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古郡(ふるこほり)左衛門尉保忠(やすたゞ)に契(ちぎり)て比翼の語(かたら)ひ水漏さじと、思(おもひ)-染(し)みて侍りし所に、保忠、甲斐国に下向しけるが、帰るを待たずして尼になる。さこそは悲しさの余に男女(なんによ)の道を忘れけん。保忠鎌倉に帰りて微妙が事を尋ぬるに、栄西の門弟祖達総を師として尼に成(なり)たりと語るを聞きて、彼(かの)庵室(あんしつ)に行(ゆき)-向(むか)ふ。祖達房を捕へて散々に打擲す。近隣、出合ひて取りさへける。尼御台所より朝光を遣して保忠を宥(なだ)められ、翌日、保忠、御気色を蒙る。昨日(きのふ)、理不尽の所行を誡(いまし)めらるゝ所なり。

S0307    ○判官(はんぐわん)-知康落馬 付 鶴岡塔婆造立地曳の事/83p

頼家(よりいへ)卿は官(くわん)加階(かかい)滞りなく、次第昇進し給(たま)ふ。八月二日、京都の使節参著す。去ぬる月二十二日、左近衛(さこんゑ/の)-中将より転任あり、従二位(にゐ)/に叙せられ、征東(せいとう)-大将軍(たいしやうぐん)に補せられ給(たま)ふ由を申(まう)す。

即ち鶴岡に於いて宮前拝賀の式をぞ行はれける。愈(いよいよ)日毎の御鞠(おんまり)は天下(てんが)の政道に替へ給(たま)ひて、世の誹(そしり)、人の嘲(あざけり)を知(しろし)召さず。同じき十一月二十一日、将軍(しやうぐん)家、若者善哉(ぜんや)-公(ぎみ)、年(とし)三歳始て鶴岡に神拝(じんはい)あり。神馬(じんめ)二疋を奉(たてまつ)らる。同十二月十九日、将軍(しやうぐん)家、御鷹場(たかば)を御覧(ごらん)ぜんとて山内(やまのうち)/の-荘(しやう)に出で給(たま)ふ。夜に入て還御ありける所に、判官(はんぐわん)-知康、御供に候ず。亀谷(かめがやつ)の辺にて乗(のり)たる馬、物影に驚き、頻(しきり)に棹(さを)-立(だ)ちて、知康、鞍壺に堪(たま)らず、旧井(ふるゐ)の中に落-入りたり。されども別義(べちぎ)なく、額(ひたひ)の辺(あたり)を打(うち)損じ、湿々(ぬれぬれ)と

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