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二年の春、王城の東に方(あたつ)て、禅苑(ぜんゑん)を経営あり。即ち今の建仁寺、是(これ)なり。建保元年(ぐわんねん)に僧正に任ぜられ紫衣を賜はつて、綱位(かうゐ)の重職に預る。今此(こ)/の\相州鎌倉の亀谷に寿福寺を営まれ、伽藍の構(かまへ)、奇麗(きれい)厳浄なり。尼御台所、京都にして十六羅漢の像を図せしめ、金剛寿福寺に寄進あり。葉上房律師栄西、開眼供養行はれ、説法教化(けうげ)ありしかば、尼御台所を初(はじめ)て聴聞の貴賤随喜の涙、袂(たもと)をしぼる。寺院の繁昌、宗門の弘興(ぐこう)、この時に当て盛(さかん)なり。

S0213    ○念仏禁断 付 伊勢称念房奇特の事/58p

将軍(しやうぐん)頼家(よりいへ)公天下(てんが)の政事正(ただし)からず、万の仰(おほ)せ拙(つたな)くおはしましければ、上下疎み参らせ、恨(うらみ)を含む者甚(はなはだ)多し。其中に如何なる天魔の依托(えたく)したりけん、道者、僧侶の念仏するを嫌(きらひ)出で給(たま)ふ。同じき年五月に至(いたつ)て、念仏禁断の由仰出され、誰には依(よら)ず、念仏する僧法師をば是非なく捕へて、袈裟を剥(はぎ)取り、火に焼きて、捨つべしとなり、比企弥四郎(しらう)承りて、政所(まんどころ)の橋の辺(あたり)に行(ゆ)き-向ひ、往来念仏の僧を捕へて、袈裟を剥取り、巷にして之を焼く事日毎に其(そ)/の限(かぎり)なし。是(これ)を見る者市の如(ごと)し。皆口々に謗(そし)り参せ、弾指(つまはじき)して唇(くちびる)を翻す。又此(こ)/の\人を搦(からめ)取りて、牢舎に籠(こめら)るゝ者数を知らず。民の憂(うれへ)世の煩(わづらひ)是(これ)只事とも思(おも)はれず。仏神三寳の冥慮(みやうりよ)、諸天竜神(りうしん)の照見(せうけん)旁(かたがた)以(もつ)て測(はかり)難し。此所(ここ)に伊勢国の修行者、

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