とにかく御(み)こゝろを決(けつ)して、はやく都(みやこ)へかへりのぼり給へ」など、さま<いひこしらへ給ふ折(をり)しも、彼(かの)廉夫人(れんふにん)尋来(たづねき)て、「こは王女(わんによ)、こゝに在(ゐま)せし歟(か)。帰京(ききやう)の首途(かどで)も翌(あす)あさての頃(ころ)ならんに、などて漫行(すゞろあるき)し給ふぞ。とく帰(かへ)り給へ」とて、わりなく誘引(いざなひ)まゐらする間(はし)に、為朝(ためとも)はそと其処(そのところ)を走(はし)り去(さ)り、いよ<路(みち)をいそぎ給ふに、王女(わんによ)の教(をしへ)給ひしごとく、ゆけども+4家(いへ)もなく、只茫〓(ばう<)たる平沙(へいさ)なり。日もやゝ向暮(くれなん)として、夕〓(ゆふげ)ほしうなり給へ/ば、ひらめなる石(いし)に尻(しり)をかけて、向(さき)に貰得(もらひえ)たりし裹飯(つゝみいひ)を打ひらき給ふに、飯(いひ)にはあらで、日本(やまと)にはいまだ見もせぬ、蒸(むし)たる芋(いも)なり。これを食(たうべ)給へば、その色黄(いろき)にして味(あぢはひ)いと甘(あま)し。二ッ三ッにして既(すで)に腹(はら)に満(みち)ぬ。

△後世(こうせい)この芋(いも)薩州(さつしう)に渡(わた)り、世(よ)に琉球芋(りうきういも)と称(せう)するはこれなるべし。按(あん)ずるに琉球芋(りうきういも)@関東(くわんとう)の|俗(ぞく)は薩摩芋(さつまいも)/と称(せう)す。当初(そのかみ)薩|州(さつ|しう)に種(たね)を得(え)たれば也@東埔塞瓜(かぼちやうり)@小なるを唐|茄子(たう|なす)といふ@の二種(にしゆ)、近来(ちかごろ)本邦(ほんほう)に多(おほ)く種(うへ)て、下賎(しもざま)のもの第一(だいいち)の菜蔬(さいそ)とす。婦人(ふじん)尤(もつとも)これを嗜(たし)む。又荒年(くわうねん)には粮(かて)に当(あつ)べし。これを食(くら)ふに毒(どく)なし。但(たゞ)琉球芋(りうきういも)/に/は墨(すみ)を忌(いみ)、東埔塞瓜(かぼちやうり)に胡椒(こせう)を忌(いむ)といふ。世人(せじん)琉球芋(りうきういも)に墨(すみ)を忌(いむ)事をしりて、いまだ東埔塞瓜(かぼちやうり)に胡椒(こせう)を忌事(いむこと)をいはず。よりて談(だん)今こゝに及(およ)ぶものは、亦是(またこれ)作者(さくしや)の老婆心(ろうばしん)のみ。