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「夜、いたう更(ふ)けぬれば、今宵(こよひ)過(す)ぐさず、御返(かへ)り奏(そう)せむ」と、いそぎまゐる。

月は入(い)りがたの、空清(きよ)う澄(す)みわたれるに、風いと涼(すゞ)しく吹(ふ)きて、草むらの蟲の聲(こゑ)<、もよほし顏(がほ)なるも、いと、たち-離(はな)れにくき草のもとなり。

@鈴蟲(すゞむし)のこゑのかぎりを盡(つ)くしてもながき夜あかずふるなみだかな

えも乘(の)りやらず。

@「いとどしく蟲の音(ね)しげきあさぢふに露おきそふる雲のうへ人

かごとも聞(きこ)えつべくなむ」と、いはせ給ふ。

をかしき御(おほん)-贈(おく)り物など、あるべきをりにもあらねば、たゞ、「かの御かたみに」とて、「かかるようもや」と、殘(のこ)し給へりける御(おほん)-裝束(さうぞく)一(ひと)くだり、御(おほん)-髮上(ぐしあげ)の調度(てうど)めく物、そへたまふ。P1039

若(わか)き人々(ひとびと)、かなしきことは、さらにも言(い)はず、内(裏)((うち))わたりを朝夕(あさゆふ)にならひて、いと、さう<”しく、うへの御(おほん)-有樣(ありさま)など、思(おも)ひいで聞(きこ)ゆれば、とく參(まゐ)りたまはんことを、そゝのかし聞(きこ)ゆれど、「かく、いまいましき身のそひたてまつらむも、いと、人聞(ぎ)き憂(う)かるべし。又、見たてまつらでしばしもあらむは、いと後(うしろ)めたう」おもひきこえ給ひて、すが<とも、えまゐらせたてまつり給はぬなりけり。

命婦は、まだ、大殿篭(おほとのごも)らせ給はざりけるを、あはれに見(み)たてまつる。御前(おまへ)の壷前栽(つぼせんざい)の、いと、おもしろき盛(さか)りなるを、御覽ずるやうにて、忍(しの)びやかに、心にくき限(かぎ)りの女房、四五人((よたりいつたり))さぶらはせ給ひて、御物がたりせさせ給ふなりけり。

このごろ、あけくれ御覽ずる長恨歌の、御(おほん)-繪(ゑ)、亭子院の書(か)かせ給ひて、伊勢・貫之(つらゆき)に詠(よ)ませ給へる、やまとことの葉をも、唐土(もろこし)の歌をも、たゞ、そのすぢをぞ、枕(まくら)ごとに、せさせ給ふ。

いと、こまやかに、ありさまを問(と)はせたまふ。あはれなりつる事、忍(しの)びやかに奏(そう)す。御返り御覽(らん)ずれば、「いと

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