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以来(このかた)、政道を行ふに、多くは京都の叡慮(えいりよ)、伺はる。北条(ほうでう)家、盛になり、政道、雅意(がい)に任する事、今に至て少なからず。叡慮(えいりよ)に背く事多し。皆、是(これ)、二位(にゐ/の)-禅尼(ぜんに)の計(はからひ)なり。本朝(ほんてう)の往初(そのかみ)、未だかゝる例(ためし)なし。異国の呂后は漢の罪人(つみびと)とぞ云ふべき。本庁の禅尼(ぜんに)も亦、鎌倉の蠹贅(とぜい)なり。牝鶏(ひんけい)の晨(あした)するは万世(ばんせい)の誡(いましめ)なり。抑(そもそも)二位(にゐ/の)-禅尼(ぜんに)に於いては、乱臣十人のためしとするか、婦人の政理(せいり)に与(あづか)るは好しとやは云はん、悪(あ)しとやせん、兎にも角にも才智(さいち)優長(いうちやう)の禅尼(ぜんに)かな、と皆、称嘆せられけり。翌年十二月一日に、若君頼経、御袴著(はかまぎ)なり、大倉の亭の南面に御簾を垂れて、その儀式を行はる。右京〔の〕大夫北条(ほうでう/の)-義時、御腰結(おんこしゆひ)に参られ、二品禅尼(ぜんに)、若君を抱(いだ)き奉(たてまつ)らる。大名、小名、思々(おもひおもひ)の奉物(たてまつりもの)は、山も更に動き出でたる心地ぞする。最(いと)めでたうこそおはしけれ。

S0506    ○鎌倉変災 付 二位(にゐ/の)-禅尼(ぜんに)御夢想の事/143p

連年打(うち)-続(つゞ)き、鎌倉中の失火、日毎に止む事なし、僅に遁るゝ事あれども、遅速を論ずれば何れ免かるゝ所なし。又其間には大風、大雨の災(さい)起(おこ)りて、人家或は顛倒し、或は洪水の出づるに依て、河辺近き在家共は押(おし)流されて、死する者数知らず。天には彗星出でて人の目を驚(おどろか)し、下には地震夥しく、堂舎民屋(みんをく)を動(ゆり)崩す。是(これ)-等(ら)の変災一方ならず、如何様只事にあらずと諸人心を傷(いたま)しめ、夜を緩(ゆるやか)に臥す者なし。兎角する程に、物憂き

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