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に入らせられて,人や有る?人や有ると召されたれ
ども,御答へを申す人も無し:やや有って奥
の方から老いた尼公一人参って居まらする
と,申したれば:女院はいづちへ御幸成るぞと
仰せられたれば:この後ろの山に花摘みに
入らせられたと申せば:如何に花摘んで参らせうずる
者も付き奉らぬか?然こそ世を逃れ
させらるるとも,今更習ひ無い御技は労しう
こそと仰せらるれば尼公古い事共引き-
出いてそれに類へ,捨身の行を修しさせられうずる
には,何の御憚りか御座らうと申した.この
尼公の気色を御覧為さるれば,身に着た物
は絹,布とも見分けず,浅まし気な作法
で有った.
この様で斯様の事を申す不思議さよ
と思し召し,汝は如何なる者ぞと御尋ね
有れば:尼公涙に咽び,暫しは物
をも申さず,やや有って涙を押し拭ひ,こ
れは少納言入道信西が娘阿波の
内侍と申す:内侍は紀伊の二位の娘.紀伊の
二位は又法皇の乳母で御座ったれば,然しも
御近う召し使はせられたに,御覧じ忘れ
させられ,今更夢かと驚かせられて,法皇
も御衣の袖を絞り敢へさせられなんだ.御障子
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