最近、よく考えるようになったことが一つ。
「自由」とは何だろう。
人々は自由というと、自分のやりたいようにできる、どんなもの・こと・人にも縛られずに過ごす、ということを想像することが多いだろう。
では例えば、「一週間どんなことをしてもいいですよ、あなたのやりたいように自由に過ごしてください」と言われ、実際にそう過ごしてみようとすると、どうだろう。
多分、最初の2日間くらいはのびのびと楽しく過ごせるだろう。
しかし、程なくして人々はだんだんと苦しくなるだろう。
おそらく、「自由」にとらわれすぎるはずなのである。
「自由に過ごせる」から「自由に過ごさなくでは」というように考えが変わるのではないだろうか。
自由に過ごすことにとらわれすぎるのである。
夏休みの宿題として「自由研究」というものを課されたことがある方は多いだろう。
そして、人々は皆困ってしまうのである。「自分が研究したいことを自由にやっていいですよ」と言われ、「自由」という言葉にとらわれすぎるために何をやっていいのかわからなくなるのである。
つまり、「自由」に束縛されているのである。
何にも縛られずにいられるはずが、「自由」そのものに縛られてしまうのである。
自由に過ごしたいという欲望はほとんどの人にあるだろうが、それゆえに人々が「自由」に縛られてしまう、ということがないようにしてほしい。と思うのである。
悔しいのが、では本当の意味での「自由に過ごす」というのはどういうことなのか、という問いについての答えがまだ全然見えない。
多分、これからも細々と考えていくのだろう。
とにかく、人々にはほんの少しでも自由について考えてほしいな、と勝手に思った次第である。