反省するということ | どんまいそん

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こんにちは。

久しぶりの更新ですが、今日はちょっと最近気になっていることを。


最近、反省するということについてよく考えています。



特に反省ばかりの生活を送っているというわけではありませんが。
いや、反省のまったくない生活もそれはそれでどうかとも思いますが。



というのは、反省の仕方によって、そのあとの過ごし方がかなり変わってくるな、ということをふと思ったからなのです。


例えば、良い結果が起こった場合と悪い結果が起こった場合…
普通であれば、
「良い結果が起こった場合にはそれに値する正しい理由があったに違いない」「悪い結果が起こった場合にはそれに値する正しくない理由があったに違いない」と、大抵の人間は判断すると思うんです。


つまり、「どうして良い結果が起こったのか」「どうして悪い結果になってしまったのか」というところから反省が始まるんじゃないかと思うんです。





しかし、僕はそれでは反省したことになっていないのではないか、と最近考えるようになりました。



どういうことかというと、その反省の仕方では「偶然」というものを捉えきれないのではないか、と感じるんです。




そもそも、僕は「誤った根拠からでも良い結果は起こりうる」「正しい根拠からも悪い結果は起こりうる」と思っています。



よく「結果オーライ」という言葉がありますよね。

あれは、過程(根拠)のところで間違った事項を選択してしまったにもかかわらず、結果としては良いものに終わってくれたという例の最たる例であると思っています。



だからこそ、僕が考える反省というのは、こうです。



その結果をもたらした根拠が必ずあります。逆に言えば、その根拠があるから結果があります。


前述した、いわば「結果から逆算する反省」ではなく、根拠の部分から、それを根拠としたのが正しかったのかどうかを検証する、それが反省なのではないかと考えています。




ポケモンの対戦を例にとりましょう。
なぜかというと、最近はまっていて例の提示がしやすいからです。



AというポケモンとBというポケモンが対面していたとしましょう。
こちらは、相手のBを倒したいためにどういう技を考えに考え、最終的にCという技を選択しました。

しかし、Bは倒れず、逆にBのDという技によってAが倒されてしまったとします。




通常の反省であれば、「Cという技で相手のBが倒れず、逆にDという技によってAが倒された」という結果から、「あそこでCという技を選択したことが間違っていたから倒されたのだ」という結論に行きつくと思います。



しかし、僕が考えている反省方法であれば、
「Cという技を選択した、その判断に至った根拠が正しいのか正しくないのか」から検証することになります。

その場面で繰り出しうるあらゆる状況を考えるわけですが、
・Cという技が、相手のBに当てられるダメージが最も期待できた、あるいは一番倒せる可能性が高かったと判断できる場合、Cという技を選択したことは決して間違っていなかった、ということになります。

しかし、

・検証した結果、Cという技よりもっとダメージを期待できる、あるいは倒せる可能性がより高かった技が存在した場合、Cという技を選択したことは間違っていた、ということになります。



前者の結論が得られた場合、勝負に負けたのはCという技を選択したからではなく、もっと別のところに原因があったということができるわけです。また、後者の結論が得られた場合、Cという技を選択したから勝負に負けた、という判断をすることができるわけです。





そのような検証を重ねた上で本当にCを選択したから負けたというのであれば、それは従来の反省でも同じ結論がもたらされるので問題はありません。しかし、もしCを選択したことが敗因でなかったとしたら、それは問題です。



真の原因は別にあるにも関わらず、それに目がいくこともなく、実際には原因にならないことを原因だとして処理してしまうのは、物事の本質を見抜けません。





つまり、この反省方法は、その結果やそれに行き着くまでの根拠を含め、その本質を見抜くことに非常に優れているのではないか、と僕は思っています。
またさまざまな検証を重ねることができるので通常のものと違い、その後の応用にも活かしやすいものであると思っています。



とまあここまで長々と認めてきましたが、最近こんなことをよく考えるようになってます。
とりあえず、反省というのは結果からではなく根拠の部分から入ることが大事なんじゃないかな、と思っています。


こんな感じです。