残せるのは、生きざまだけ -114ページ目

嘘の日

4月1日の人事発令は本物か?

見たことも聞いたこともない発令が出る事ってある???

やっぱこれは4月ばかではないかと思う…。

チベットはモンゴルじゃないぞ!

今日、初めて、バイマーヤンジンさんの講演を聞いた、感動した。

平均標高4200メートル、冬はマイナス20度以下、夏でも日本の11月の気候。

テレビも、風呂も、シャワーも、暖房もない。

草原で牛を放牧させ、乳を搾り、チーズやヨーグルトを作って売り、小麦粉やトウモロコシを買う。

お母さんは字が読めずに、病院で男トイレと女子トイレが分からず、男トイレに入り、恥ずかしい思いをした。

病院で薬をもらっても、処方箋が読めない。

字が読める人のところで読んでもらい、覚え帰る。

中国革命の時、様々なことがあったが、土地革命もその一つ。

遊牧民から土地を取り上げ、貧しい農民に開墾させようとした。

しかし、4200mの土地で何が取れるというのか。

おじいさんは、おかしいと、先頭に立って反対運動を起こした。

多くの遊牧民がそれに続いた。

ある時、中国人がおじいさんを殺人犯として連れ去った。

町で見せ物にされ、家族もいけない遠い留置所に連れて行かれた。

おじさんが2人、それはおかしいと、取り返しに行ったが、同様に捕まってしまった。

しばらくして、おじさん2人は帰ってきたが、おじいさんは8年後、死亡したと1通の手紙を受け取った。

死体もないままで、悔しい思いをした。

そのころ、親切な人が来て、土地の話ではない。と、字が読めない人たちに、書類に指紋を押させた。

それで、村人たちは、放牧地を全て失った。

お母さんは目覚めた。「字が読めなくては、中国人にだまされる。」

8人の子どものうち、長男を除く7人に教育を受けさせるべく、放牧地を離れ、町に出た。

10代の長男は、放牧を辞めれば、一家はじきに破産すると悟り、自分が働くから、みんなを学校にやるようにと母親に言い、一人放牧地に残った。そして、家族に仕送りをする。

バイマーヤンジンさんは、6番目。小学校、中学校と中断することなく通学。とても恵まれていた。それから、近くの高校(300キロ離れている)へ。親元から離れ下宿。初めて家事をしない24時間自分の時間が嬉しかった。

と同時に、一人の暮らしは寂しかった。ふと、家族一人離れて放牧をしている兄は、どういう気持ちで居るのだろうかと、思った。すると、兄にすまない。本当にありがとう。この恩をどうやって返したらいいかと、考えた。

それには、自分がしっかりと勉強して返すしかないと思い、寝る間、食事をする間をを惜しんで勉強した。

しかし、宿舎の電気は10時で消灯。悔しくて仕方なかった。懐中電灯を持っている金持ちの友人と友達になったりした。が、ある時、公衆トイレが24時間電気がついていることに気がつき、それから3年間、冬も夏も夜は公衆トイレで勉強。誰にも邪魔されず、集中できたが、冬は寒さで、足踏みを続けながら。夏は、ものすごい臭気に耐えながらの勉強であった。

その甲斐あって、四川音楽大学に合格。夢いっぱいで大学へ進学。

ところが、現実は、チベット差別が待っていた。

チベット人は野蛮だ、汚い、といじめ、差別を受け、本当に地獄の日々だった。回りは、漢民族の教授や監督の子息たち、黒い顔をして、頭は一つにしばり、スカート一つ持っていなかった。コンプレックスでいっぱい。

もう辞めよう。と思った夜に、お母さん、お父さんが夢に出てきた。お母さんは10人の子を産み、3人を亡くし、一人を引き取って8人を育てた。父さんは、背中が曲がっており、歩くのもままならない中で、お祈りをしている。

「ああ、もしここで、学校を辞めたら、兄に合わす顔がない…。」

辛い中、ある日ふと頭をよぎった。「私は2番で入学した。勉強だけは負けないんじゃないか?」

それから、勉強に引き戻してくれた。4年間必死で勉強した。

中国では、自分の就職先を自分では決められない。

この子は、成績が良いから、都市部の県庁へ、この子はちょっと生意気だから、地方で少し苦労をさせよう。と、卒業証書をもらうまでは、自分がどこに就職できるか分からない。

卒業の日、バイマーヤンジンさんは、自分の行き先の書いた紙を見て目を疑った。

四川音大の教員として学校に残ることになった。同級生でただ一人、それも、12年ぶりにだ。

差別に苦しんだ4年間だったが、どこかで誰かが、自分を見ていてくれたと、思うと嬉しくて涙が止まらなかった。

しかし、それが誰だったのか、いまだに分からない。


卒業コンサートを終え、感無量楽屋に戻ると、白い顔にめがねをかけたやさ男が訪ねてきた。

「あなたは本当にチベット人ですか?」

差別を受けることには慣れていた。(またか、卒業の時まで来るのか…。)いつもなら無視するところだったが、

(この男なら、負ける気がしない)と思い、「そうだ、私はチベット人だ!」と言い放つと、彼は、満面の笑顔に、非常に変竹林な中国語で、「チベットは素晴らしいところですね」と言った。

私は耳を疑いでも、とても嬉しくなって、めがねの男がすごくかっこよく見える様になっていった。

でも、自分よりも変な中国語なので、どこの出身か?と聞くと、日本だとのこと。

これが、今の旦那さんだ。


日本に来て、感激の毎日だった。

バスは、電車は時間通りに来る。

牛の数以上の自動車が御堂筋いっぱいに途切れもなく走って行く。

空には飛行機が飛び、

家には機械がいっぱい。

何でもスイッチ一つで仕事ができ、

冬は暖かく、着る物も沢山。

夏は暑いが冷房があり、

冬に果物が食べられる。

ご飯のおいしさは格別で、何とも言えないもちもち感と、おいしさでおかずはいらない。

自然は美しく、満開のさくらと青空、冬の紅葉と湯豆腐

感激の毎日。


なんと言っても、日本語も出来ない、仕事もない、何の役にも立たない自分を

すーっとドアを開けて受け入れてくれたお母さん、お父さんの恩は忘れられない。

何か役に立ちたいと思うし、一生、この恩は忘れないと思う。


日本は何でこんなに裕福なのか?天国の様な暮らしなのか?

お父さんに聞いてみた。「それは教育だ。」でもぴんと来なかった。

お母さんに聞いてみた。「日本は昔から豊かだったわけではない。ハルピンから引き上げてきたとき、家もない何もない生活。長女だったので、食べ物は下の子にあてがった。妹を背負って、アメリカ人の教会の前を歩いていると、たまに、チョコレートを恵んでもらった。それを食べて、飢えをしのいだ。ある日、背中で妹が死んだ。悔しい思いをした。その時、湯川秀樹博士がノーベル賞を取った。私たちに希望を与えてくれた。だから息子は秀樹という名にした。日本人は努力したのだ。…」


しかし、努力ならチベットの兄やお母さん、兄弟もしている。チベットの親は何のために朝から晩までお祈りをしているのか…?


これは教育の違いだと、やっと分かった。そして、チベットに学校を建てようと思った。20年かかって1校出来ればいいと思って、ロッテリアでバイトを始めた。始めると、協力者が現れた。そして、3年半で1校が出来ると、後は早かった。12年で10校が出来た。みんなの力を合わせれば、目標は達成できる。


昨年来、ふるさとは、非常に厳しい状態にある。自分が家に帰るにも、特別許可が必要になっていた。昨年、許可を取って帰った。成都から、いつものバスで2日間揺られ、2歳半の息子を抱いて帰った故郷には、3階建てくらいの検問所があり、銃をぶら下げた中国人がうろつき、まるで戦場だった。

自分の故郷に帰るのにも、息子のおむつの仲間で全部調べられなければならない事に、許せない憤りを覚えたが、夫が「ここは我慢だ。」と冷静さを取り戻させてくれた。


いま、チベットは戦場と化しているが、漢民族が入ってきても、正々堂々と仕事をし、暮らしをして行く民族になってゆきたい。

日本は本当に素晴らしい国だ。本当に信頼される国である。それを築いてきている。これからも、軍事ではなく、真の幸せな国になって頂きたい。そして、アジアの小国に希望を与えて頂きたい。


本当にありがとうございました。

日本人として、生きると言うことが、ただ単に日々の生活に追われる日本人ではなく、アジアの中の日本の役割を自覚して生きて行くことを教えられました。


子に教わる。

今朝、ふと思い出した。とても大切な事を。
昨日の自転車散歩の続き。
近頃、娘は大きな家を見る度に、「あの家がいい」「この家が理想だ」と大きな家に憧れを口にする。
昨日もそうだった。
そこで「大きければ何でもいいの?」と聞くと、返事が曖昧だ。
そこで「お父さんはね、長く大きな屋根のある家で、屋根の下がベランダになっている家がいいな。」
娘「雨の日でもバーベキューとか出来るの?」
「ああ、そうだよ。雨でも、ゲームをしたり、本を読んだり出来るんた。」
娘「お父さん、そう言う家を建ててよ。」
「お父さんが?」
娘「そうだよ。お父さん、夢は願い続ければ叶うんだよ。沢山お金持ちになって、建て。」娘は満面の笑顔だ。
それから、国道に出て信号待ちをしていたところ、大型のオートバイの二人乗りが通りすぎた。
娘「お父さんもああいうバイクに乗ったら?」
…私のバイクは原付。
「かっこいいねぇ、」
娘「じゃ、私が小学生の内に免許取ってね。」
「えーと、二年以内だね。」
「そう。そうしたら私が後に乗れるしね。」その時、娘の頭の中は、すでにどうやってオートバイをゲットするかを考えていた。
全く「すなお」とはこの事だ。
夢を持ち諦めないこと。
目標には期限区切る事。
私が言い訳を挟む間もなく娘は言い放った。万象皆我師、まさに、娘は私の師である。

「よーし、任せとけ!」と言い切れなかった私を無視して、娘の空想は完成している。

今、人波の中で小さな声でつぶやく。
「よーし、父さんに任せとけ。」

サイクリング

下の娘と、久しぶりにサイクリング。

家から、プラッと自転車散歩。

昼過ぎに出たので、日差しは結構暖かい。

でも、時折吹く風は、冷たさを感じた。

娘の策略?で、桜並木の大学通りへ。

今年は早いかなあ?と思いきや、まだ、1分咲き?

ここのところの冷え込みで、花はちょっと足踏み模様だ。

この分だと、入学式にはちょうど満開になりそうだ。

通りのはずれの、娘お目当てのアイス屋さんで一服。

キウイのアイスは、穏やかな味、ちょっと野菜風味。


自転車でさらに行き、学業の神様の天満宮へ。

ブロンズの牛の鼻先がてかてかに光っていた。

御利益有りそう。

お参り済ませて、絵馬を覗くと、合格ありがとうございます。のお礼の絵馬が多数。

皆さん、お礼を忘れないで奉納に来るとは…えらい。


しばらく走るとコンビニでおにぎり休憩。

田舎の風景も通り一つ超えると、急にビル街に。

線路をくぐり、繁華街へ。


マックで一服。

100円マックのハンバーガー、何と80円だって!

シェイクと合わせて180円なり。


外へ出ると、太陽は傾き始めていた。

車の少ない道を選び、いつもは通らない道を通り、

素敵な家にいくつも見とれて、ようやく我が家へ。


明るい内に、早めの風呂。


たまには、ゆったりと、頭を空にして散歩することもいいものだ。


夜は録画した「ごくせん」に涙して、さらに頭の中が空っぽになった。



強風もよし。

天候気候を心配する、一喜一憂するクセは、人間のクセの中で最も根本的なクセらしい。

良い天気と言えば晴れ、天気が悪いと言えば雨、と相場は決まっているが、これも、おかしな話。

この、天気で気持ちを左右させるクセを無くすと、心配性が徐々に消えて行くそうな。

今日の強風も意味があってのこと。

「花粉が」「砂埃が」「自転車が倒れる」などと、いやがらないで、淡々と「良い風やねえ」と言えるといい。