少し前のある日、一日を通して、大きなトラブルではないけど「…なんなのよ
」という程度の不快な出来事が起きまくった
夕方まで無自覚だったのだけど、「あ、わたしがチャンネル合わせたせいだ」と気づいて、対応したことで色々気づきがおきました
不快な一日
その数日前から、ずっと不快なニュースに目を向けていた。前記事にも書いた、いま話題の話…
こういうの見ちゃうよね。わたしならどうするかな?とか考えて、人の意見が自分と近いかそうじゃないか、確認してしまう
あまりに不快感とか正義感とかを煽る情報のシャワーを浴びすぎたせいで、周波数がばっちり合ったのか、色々起きました
・お気に入りブロガーの記事が気に入らない
・お気に入り作品の嫌なところが目に付く
・わたしじゃないんだけど、久しぶりに親戚から親に電話がかかってきて、延々と愚痴を聞かされていた。笑
・カフェに行ったら隣の客がものすごく下品な人で、ゆっくりしたかったのに早々に退席
・広い歩道いっぱいに歩く高校生が前から来て、避けようと端っこ歩いてるわたしの正面の子がスマホに夢中。
横にいる子たちも誰ひとりその子に注意しない![]()
爆発するほどでもないけど、軽度のイライラがずっとあったのね。あまりに続くので、さすがに「なんか変だ。っていうか、もしや…わたしのせい?」と気づいた ![]()
それで思い出した。カフェで下品な客が来る前に来たひとが、一度わたしの横に荷物を置いたのに、別の席に移動してたの💦笑
偶然、別の良い席が空いていたから移動したかもしれないんだけど、潜在意識でわたしの荒い波動をキャッチして避けた可能性もあるよね…![]()
身体感覚に目をむけてみた
自己責任か…と反省し、身体に意識を向けてみた
胸から胃にかけて、キュっと緊張している感覚
上半身全体がほんのりビリビリしてる
喉が少し詰まってる
じんわり身体内をこだまする響きを感じ続けてたら、ポカポカしてきて少し緩んだ
一通りの流れを体験してみて、
そっか、これをやればいいんだ![]()
ってうれしくなった
切り替えるのではなく味わう
いままでのわたしは、不快感に気づいたときに「この状態は良くない」と、頭を切り替えるようにしてた
昔懐かしい「エイブラハムの感情の22段階」ってあったじゃん。あれに従って「良い感情を味わなきゃ」と思ってたからね
気を紛らわせるために、動画を見たり散歩に出たり。一見、良さそうな対策じゃん?
でもコレ、頭でやってるだけで身体ガン無視だったんだよ
身体はこの不快感に気づいてほしくて、ずっと危険信号を発信している。これを無視するから、気づいてくれるまで消えない
気をそらしてその場をしのいだとしても、スイッチさえ入ったらまた同じ信号を発信して、またイヤな感覚を呼びおこす現実を生む
だから、イヤな感覚があるときはトコトン感覚を味わうのがいいのだ
身体に意識を向けてる時は、思考が働かない。その時に、自分と同一化していた不快感が、「自分とは別物の存在である」ことが分かる。不要な周波数がはがれて透明な壁ができる
ここまできて、やっと周波数と身体感覚のつながりが体感として理解できた気がした
我慢せず利用しちゃえ
でも思ったの
それでも、不快になるニュース見たくなるじゃん?
人間だもの
笑
じゃあどうする?
どうせなら、そんな不快ニュースすら周波数剥がしに利用したらいいんじゃない?
見たいのだから、見たらいい
でも、見てる時に不快な体感に耳を傾けることを忘れない。
「あ、出た出た」って思って、たまに目を瞑ってジワ~って味わう
そしたら、どんどん自分を客観視できるようになるし、どんな不快なことだって「自分とは関係ない」って思えるようになる。そのうち、自然と興味を持たなくなると思う
いつかの記事でも書いたけど、まず、身体反応が先にあって、後で脳が「この感覚は不快なやつ!」と思考に変換してるんだよね
不快な身体感覚は、生命維持を危ぶむ存在。だから細胞たちは「主さん、きづいて!」といっている
不快なニュースを見るくらいでは、生命を落とすことはないけれど、この蓄積なんだよね
歳をとると、身体にガタが来るのは当たり前?
違う。生きていくうちに我慢して蓄積してきた不快感が、処理しきれなくなって表に出てきただけ
「そういうものでしょ」っていう人は変われないけど、「サインだ」って気づける人は変われる。
歳を取るごとに重くなることもできれば、軽くなることもできる
不快感は変化できるチャンス
ぜんぶ楽しめる自分でいこう![]()
