前回のポッシブルは「死」がテーマ
いつか必ず来るものなのに実感がない―
少なくとも今日や明日ではないと思ってるけど、ホントはそんなの、誰にも分らないんですよね
むかし、間一髪で命拾いしたことがあったんですが、それすらも時間が経つと記憶が薄れていくものです💦
「死の呼吸」(死ぬ瞬間の呼吸)ワークで味わったことで、「いつかこの呼吸を本当に体験するときがくるんだな」と久々に死というものを考えました
普段は避けがちな話題だけど、向き合うからこそ「生」を大事にできるものでもあるんですよね
ということで、今日は死と生について
死んだらどうなる?
みんな、自分なりの答えを持ってますか?
これを読んでる人なら持ってるかもしれないけど、リアルな人間関係では、「死なんて考えたくもない」という人が多い印象です
現代日本って死を忌み嫌う傾向がありますよね
隠されて、怖いものとして扱われてる
これって、すごく現代的な価値観みたいですね
(もちろん、人によっては消化しきれない悲しい別れもあるでしょう。わたしもあります)
わたしは死が怖くないとは言えないけど、頭のどこかで「恐れるものではないのだろうな」とは思ってる
それは、肉体はこの世界を生きるための乗り物ってことを理解してるから。
死んだら、この身体を持ってこの場所でこの時代を生きる「わたし」は終わるけれど、全てが終わるわけじゃない
一粒の雨として空を舞うのが人生で、海に落ちるのが死
また蒸発して雲になり、雨粒として生きることはあるでしょう。ただ、それは以前のわたしじゃないってだけ
今のわたしからすると、来世の雨粒なんて想像できないし、したくもない。けどそれは今世を生きてる「わたし」のエゴ。海に帰れば、そんなこと思わないんだろうな
そう、今のちっぽけな「わたし」にとっては今の人生が全てとはいえ、それがエゴだと知ってる
もし、わたしが「肉体そのものが自分で、今世が終われば自分という存在が消失する」と信じていたら死は恐怖でしかないでしょうね
じゃあ生は?
死について考えると、その逆、生の輪郭もハッキリしてくる
生ってのは、今回お借りしたこの身体で物理次元を満喫すること
死んでも意識体は残るから思考はできる。ただ、この肉体から得られる感覚ってのがないんですよね
AIと対話してたら分かることがあります
AIと「感覚」についての対話をすると、AIは「その感覚は、〇〇ということですね」と言語化は上手なのだけど、その体感を味わうことはない
わたしは言語化は下手だけど、体感しまくってる
AIは肉体のない情報のみの存在だもんね
死んだらこのAIみたいになるのかな、、と思ったんです。笑
体感だけは、身体を持つ個々にしか味わえない。隣の人と同じ「楽しい」を感じていても、その体感は全く別モノ
そうやって、この時代にこの場所でこの身体を持って生まれた「わたし」にしかできない体感を感じるのが人生なんですね
恐怖は生存欲求から
でね、恐怖に限らずマイナスの感情って、死の恐怖から来るものなんですよね
怒りや悲しみ、嫉妬、寂しさ
思い通りにならない出来事や相手に怒ったり
大事な人と別れて悲しんだり
クラスの人気者に嫉妬したり
独りぼっちで寂しい思いをしたり
こういうのを突き詰めると、すべてが最後には「生きていけない」「死んじゃう」っていうことに繋がってる
たとえば
なんで怒る?→自分のいうことを聞かないから
なぜダメ?→相手が間違ってるから
なぜダメ?→相手を認めると自分が間違ってることになる
なぜダメ?→人から認めてもらえない
なぜダメ?→一人になってしまう
なぜダメ?→生きていけない
みたいなかんじで、身体の生存本能が働いてる
生きる醍醐味を
ここでHAPPYちゃんは「孤独になったら生きていけない。。だから何?」という結論にたどり着いたそうです。スゴイよね。笑
でもよく考えたら確かにそうなんですよ
体験するために生きてるんだよね?
だったら、恐怖に負けて体験を捨ててちゃダメじゃない?
現代って、<肉体の死>を嫌うけれど、代わりに<精神的な死>には無頓着すぎやしませんか
極端な話、「肉体を維持するためなら(生存のためなら)、精神や感覚なんて捨てましょう」くらい雑に扱われてる
でも感覚を麻痺させて精神を鈍らせるのは、生きる醍醐味を捨てるようなもの
他人の目を気にして自分のやりたいことを抑えたり、人に合わせて自分を殺してることに気づいた時
いやいやアンタ、体感を味わいたくて生きてるんでしょ?
って自分に言い聞かせてる![]()
だからって、寿命短くなるのもイヤですけどね💦笑
現代は孤独になったとしてもそんな簡単に死ぬことはないって信じてるのと、たとえ想像より寿命が短かったとしても、体感を味わいまくった人生だったら「あーよかった」って思えるはず、、
この身体でしかできない体感を味わいまくろう![]()

