ここ数年、毎年のようにHAPPYちゃんが年1でやってる大型イベントに参加してたんだけど

 

いつもは無条件に「絶対行く」って思っていたのが今年は不思議とそういう気分にならなかったので、パスする予定です

 

 

 

配信聞いてると行った方がよさそうなのだけど、「即決できない時点で打算だな」と思ったので止めました。今年のわたしは行かなくていいってこと

 

 

 

でもまだ納得しきれてなかった真顔

 

 

 

参加しなきゃ変われないかも

置いて行かれるかも

 

 

って怖かったんですね

 

 

 

わたしの中の抵抗がうずいている…

 

 

 

そんな時は自己対話!

 

 

 

ここからは、自分の選んだ道を正解にするための独り言です↓

 

 

 

イベントに行かないと決めたのは直感だけど、「行かなくても大丈夫」とも思ってる

 

 

 

HAPPYちゃんのイベントを別の角度から見ると”時代の転換期の合図・象徴”のようでもある。大きく転換する時代のオープニングセレモニーみたいな

 

 

 

あと、”イベントに参加して特別な場を体験する”ということに少し飽きてる

 

 

 

非日常な空間で非日常体験をすると、覚醒した気分になるけれど、結局、地味な日常でどれだけ自己変容できるかの方が大事でしょ?

 

 

 

参加したところで準備できていなきゃ変われないし、準備できているなら、どこにいても誰といてもそのうち変わる。参加するしないは、早いか遅いかの違いだけ

 

 

 

「深淵に潜る」「変容する」という抽象的な言葉は、それを日常に生かしてこそ意味がある

 

 

 

わたしは何の変哲もない日常の中で自己鍛錬したいし、出来るはずだ

 

 

 

それに、過程について配信を聞いているだけで、すでにいろんなものを受け取ってる。すでに儀式は始まってて参加させてもらってる

 

 

 

ここまで来たら「ま、参加しなくても大丈夫だよね」と思えました

 

(参加する場合はそれを”わたしの正解”にするので、どっちでもいいんですけど)

 

 


わたしはいつも、みんなと同じ方向が向けない自分を許せないみたい

 

 

 

自分が興味を持てない話で盛り上がっているのを見ると、イヤな気分になって、自己卑下するか逆に他者を攻撃したくなってました

 

 

 

今回初めて、その理由を考えたところ、輪に入れない寂しさを感じてたことに気づきました

 

 

 

そういえば子どものころ、何度か転校した時、こんな感じだった…今気づいたけどこれが原因かも滝汗

 

 

 

でも今回はいつもと違って冷静でいられた。これは呼吸の鍛錬をしてきたおかげ。HAPPYちゃんがしつこく呼吸とか身体の大切さを説いてくれたのが効いてるんだと思います

 

 

 

ポッシブルでは地味なワークを淡々とやってて、一日で劇的な変化はないし、あったとしても習慣にならなきゃすぐ戻りますよね

 

 

 

結局、人が変容するのは継続して臨界点を超えたとき。大きなイベントに参加することは転機にはなるけど、一瞬ですべてがひっくり返ることなんてない

 

 

 

イベントに行かなくても日々を大事にしていけばいい

 

 

 

HAPPYちゃんは今年を区切りにして、「今後は奥に引っ込んでいくと思う」って言ってました

 

 

 

ご本人の感覚で言っているのだと思うけど、巷では”人々の変革のピークの山場がちょうど今だ”という話をよく聞きます。HAPPYちゃんはそういう外部の情報ではなく、自分の身体でキャッチしてるんでしょうね

 

 

 

多くの人がさまよっていた方向性が、大体一方向に決まってきている。大きなパワーで先導するのが終わって、小さく分散しても大丈夫になっていくのだと思う

 

 

 

わたしは今後の自分がどこに行くのか、何をしているのか具体的なことはまったく予想がつかないんだけど、イマココに生き続けてその時々の最善を選び続ける人生にしたい

 

 

 

今いるこの場所で鍛錬していって、この場所を神域にしていこう