前回記事から引き続き、ビジネスの話というかお金の話
ビジネスというと気負っちゃうわたしですが、そんな難しい話ではないのかも
プロと素人の違い
承認を得るためにやってることでお金を貰おうとしても、人は集まらないよ
by HAPPYちゃん
アイキンが「舞台の集客が思うようにいかず悩んでいる」ということに対するアンサーが↑の言葉
アイキンの場合は、「この芝居をたった8日で完成させたんだよ。すごいでしょ?」という意識でやって、お客さんから「すごいね!」という承認を集めていた
「プロはそんなことしないよ」っていう話でした
わたしは舞台のことはわかんないけど、自分のことに当てはめたら理解できました
わたしは編み物にハマり中。高クオリティ目指して作っていますが、プレゼントするのはまだ身近な人くらいだし、もちろん無料
作りたいから作っていて、喜んでくれる人がいるから、差し上げてる
大量に作って余らせるのも何だし、”作りたい欲”も満たせて練習にもなるから大満足!
いまのわたしは素人意識なので、これで「お金ください」なんて言えない
HAPPYちゃんの話を聞いて気づいたことは、重要なのは技術よりも”意識”ってこと。素人意識の人にお客さんはつかない
さらにいうと、相手に何かを渡したいと思っているのがプロで、自分が欲しているのが素人
<クレクレさん>にお金なんて払う人はいない。でも実は「あなたへの承認」というエネルギーをすでに渡してる
すでにそれ相応の報酬を与えてるんだから、お金というエネルギーまで渡さないんですよね
プロと素人で区別したけど、もっと突き詰めるならば、エネルギーの大きさと形の違いってことですよね
プロはお金という大きなエネルギー、素人は”お気持ち”という小さいエネルギーを回してる
「お金はエネルギー」ということはスピ業界では常識になってるけど、普段の生活ではスピ的建前と現実的本音が乖離してません?
お金のはじまり
お金のはじまりは、物々交換していた時代に、現物がないときの代用品として誕生したもの
普段は<農家の野菜>と<漁師の魚>とで現物の交換ができるけど、野菜が収穫できないときもあれば、不漁のときもある
だから、現物がなくても交換できるようにお金が登場した
次第に、モノに限らず知識や気持ちといった無形のモノもお金で払うようになった
相手が何かを与えてくれるから、こちらも対価を払う
お金が回る仕組みは時代が変わっても同じ、シンプルなこと
社会が複雑化するほど、経済の仕組みも複雑になったけど、原理は一緒なんですよね
いまハヤリのSNSビジネスだって、やっぱり一緒
わたしが知り合いにタダで作品をプレゼントするのは、ビジネスで言えば無料モニターってやつ。「いまは試作段階で商品として売るほどでもないから、無料で配布します。感想もらえたらうれしいな」ってかんじ
大きさに良し悪しはない
相変わらず「数字が大きいほど良い」「稼ぐほど良い」みたいな観念もあるし、最近は「節約志向」「ミニマリスト」という真逆の価値観もあるけど、数字は結果であって目標ではないんですよね
(短期的な目標はアリとして)
本人の求める人間関係とか環境が数字に現れてるだけ
大きな数字が必要なのは、それだけ多くの人を巻き込み、大きなことをやっている人
小さくお金を回す人は、人や環境のエネルギーもコンパクトな人
回すお金は、その人の在り方で決まるもので、そこに良し悪しはない。サイズ関係なく、何か滞っているならエゴが潜んでるってこと
何を渡せるだろう?
ここまで書いて、「わたしは誰に何を渡してるんだろう?」って考えちゃいました。笑
わたしはあんまり人に渡してないんですよね💦外に出すことがめんどくさいからサボってるんだけど、今はそれが楽しいから別にいいかな
ポジティブな解釈をするならば、貯まってるお金を使って人に渡せるものを鍛錬中なのです ![]()
一応、このブログも素人なりに「誰かの役に立つように」と思って書いてます。お金はもらってないけど、自己満足と、小さなエネルギーは受け取れているかな?
ビジネスという言葉に気負うことなく、自分が人に与えられることを小さくでもやっていけば、ちゃんとエネルギーが回って生きていけるはず
そのサイズが一定以上になったときに、ビジネスと呼ばれるものになるだけのこと
だと思うのです![]()
