昨日のポッシブル配信でいくつか感動ポイントがあった中で一番わたしに刺さった話恋の矢

 

 

 

それは失敗したって「存在」は汚れないということ

 

 

 

 

 

 

HAPPYちゃん☆マナスル失敗

 

 

 

マナスル登山を目指してネパールまで行ったものの、ベースキャンプ到達すらできずギブアップしたHAPPYちゃん

 

 

 

半年以上前から計画して、大金かけて、大々的に公言して、たくさんの人に応戦されて、大規模な壮行会までしてもらって「1か月後にまた会おう!」と意気揚々と出発したくせに、一週間で帰ってきた

 

って…こうやって書いてみたらギャグみたい。笑

 

 

 

「HAPPYちゃんやるよね。相変わらずスゴイ。笑」って、いちファンとしては面白いんですけど、「壮大な挑戦&失敗の物語」というネタで終わるなら、たいして興味持たなかったと思います

 

 

 

でもそれだけで終わらなかった



「ダサイ」「普通ならあれだけの大口叩いて帰ってくるなんてできない」というのを一切気にしないのももちろんスゴイけど、わたしはそれよりも、失敗したのにまったく萎縮せず堂々とあることに感動しました






もしわたしがHAPPYちゃんなら、「ダサくても自分を一番に考えること」はまだ実行できそうだけど、周りに対して遠慮とか気遣いをしてしまいそう

 

あれだけ盛り上げてもらっておいてさ……ねえ?笑

 

 

 

まあ、わたしは壮行会をしてもらうような大きなイベントはないんですけど、日ごろからちょっと萎縮してるところがあるんですよ

 

 

 

わたし☆無職

 

 

 

それは無職でいること

 

 

 

細かいことは省略するけど、わたしって普通に考えると働いて当然の立場にいるんですよね(笑) でもわたしなりに思うことがあって、誰が何と言おうと自分を貫いてます

 

 

 

他人に暴言とかイヤミも吐かれたことがあるけど、別にヤツらに迷惑かけてないから関係ない。ただ「こんな自分はダメなんじゃないか」とたまに思っちゃうこともあって…

 

 

 

だから縮こまってる部分があるんですよ

 

 

 

外から見ると完全に開き直ってるように見えるらしいけど、そうでもないんですよ。常に肩が重いもの。笑

 

 

 

わたしの所属するコミュニティでは、わたしみたいな人間はどっちかというと「失敗者」「落伍者」。ほかはレールの上をまっすぐ走ってる人ばかりで、かつてのわたしもそうだったから。最初は外れるのがイヤで抵抗してました

 

 

 

 

でも「失敗じゃなく、自分らしい場所に移動しただけ」と思えてからは、「まいっか」という気持ちが強くなってきてる

 

ただ、どこまでいってもレール走者とは相容れない道だし、まだまだレール走者が多い場所にいるので肩身が狭いんですよね

 

 

 

萎縮するのも嫌だし、自己主張してもしょうがないし…っていう葛藤の中にいます

 

 

 

彼らに認められるために頑張ったりしない。でも、彼らをぶっちぎるほどの現実も創造してないから、「気にしない自分でいたい」という望みを放ちながら、淡々と身体と呼吸を整えて生きております ニヤニヤ

 

 

 

他人ではなく、自分自身が一番満足する現実を求めてるから、自慢できる事象なんてめったに起こらないもんです

 

 

 

過去のわたしは「現実創造」っていうと、でっかい夢とか理想のパートナーとか家とか、物欲だと思ってたけど、真実はそんなところにないってことももうわかっちゃった

 

 

 

わたしみたいな人、いるかな?

 

 

 

だからHAPPYちゃんの失敗しても堂々としていいっていうのがすごく心に響きました

 

 

 

わたしの場合、ある意味で「失敗し続けてる」からキツイ。でも、それでもいい。っていうか、「そもそも失敗じゃないんだよ」ってことを、自分でまだ認められてないんだなと気づかされました

 

 

 

 

自虐を肯定しない

 

 

 

たまにブログとかで見るタイプで、昔は好きだったけど今はそうでもない人たちがいます

 

 

それは自虐する女性

 

 

 

たぶん過去バリバリやってたけど今は仕方なく主婦やってる人とか、わたしみたいに力が有り余ってる割に発揮できてない人とかが、「(理想とはかけ離れてるけど)こういうのも楽しいし!」「いいの、これで!」って、明るい自虐を書いてるんですよね

 

 

 

男女雇用機会均等法以降の女性に多いイメージで、ある時期の女性誌のコラムニストやエッセイストでもこのタイプが人気でした

 

 

 

彼女たちの気持ちはめちゃくちゃ分かるし、過去好きだった!笑 でもわたしも変わりました ウインク

 

 

 

彼女たちは賢くてユーモアセンスもあるから、本気で自分のことを卑下してるわけじゃない。でもどこかで「いまの自分の在り方は間違ってるんだろうね。わたしだってやればできるんだけどね」というのを感じる

 

 

 

わたしも自虐することはあるけど(↑の章でも(笑)を多用してる)、メインテーマにはしない。ネタ半分でも、やりすぎると自分を認めない自分を肯定し続けることになるでしょ?

 

 

 

本当は自虐なんてせず、堂々としていたい。環境は変わった方がいいに決まってるし、考え方が変わった方がいいに決まってる。諦めてたまるか ニヤニヤ

 

 

 

 

身体のためにも堂々と

 

 

 

失敗しても堂々とするのって、他人からすると開き直りだけれど、自分からするとご神体(身体)を守るためなんですよね

 

 

 

その自虐的な事象を選んだのは自分。それに文句言わずついてきてくれてる身体を否定するなんて、めちゃくちゃ失礼なこと。モノ扱いしてんじゃねーよ!ってこと

 

 

 

わたしが社員として日々頑張っている会社の社長が「つまんない商品作っちゃってスミマセン」って笑いながら周りに吹聴してたら、イヤですよね

 

 

 

「えっ、わたしってつまんないもの作ってたの?ショボーン」って悲しい…というか「ふざけんなムキー」って怒るだろうな。笑

 

 

 

文句いわず心臓を動かしてくれる身体のためにも、ありのままの存在を認めて堂々としてあげなきゃね

 

 

 

身体を守ることは自分を守ること。存在のままでいれば、それは他人の存在を認めることにもつながるもんね