存在曼荼羅舞踏を知って数日が経ちました。自宅だったらぼーっとする時間にもできるからいいですね
ボンヤリ外を眺めているときの脳内を、身体で表現するとちょうどこの舞踏のようだなと思いました。浮かんでは消える思考や感覚と、呼吸にたゆたう身体運動はリンクしてる
数日前からHAPPYちゃんの誘導で、身体を動かしながら、脳みそ、目、鼻、口、内臓に肩、背中、足——全身の部位の起動スイッチを押していく、ってことをやってます
身体の各部を意識するっていうのは以前もやってたんですけど、この舞踏と組み合わせると今までと感覚が全然違うんですね
なぜなら、この舞踏の始まりは「呼吸」だから。呼吸に始まり呼吸に終わるから
その流れの中で身体を動かし――というか呼吸の流れに身体を乗せている。外から無理やりスイッチを押すのではなく、体内に張り巡らされた回路の上で、電流が流れた時に自動でスイッチが入ってる。電車が決まったルートを走って、駅のホームについたら電気がつくみたいにね
この”身体の起動”をやるようになって、気づいたことがありました
3、4年前からわたしの肩と背中がバキバキのガッチガチに固まっていたんです。当時、人生の転換期があった後にインドア派になっていったので、それが原因だと思っていました
だから整体いったりしてたんですけど、対処療法でしかなかった。おそらく心理的なことも影響しているだろうと頭のどこかでは分かっていたけど、色々探ってみても根本解決には至らなかったんですね
でも昨日突然分かったんです
「わたし、責任を背負い込みすぎていたんだ」ということが
・この数年で肩と背中がバキバキになったこと
・そのころから「やりたいこと」が分からなくなったこと
・仲が良かったA氏との関係が崩れたこと
・B氏とうまくやってるが、どこか違和感があること
この4つは基本的に別物としてとらえていたんですけど、全てが「責任を背負い込みすぎていたこと」に起因していたのに気づいたんです
気づいたキッカケは、あるときBさんの行動について不思議に思ったのでAIに聞いたんですね。AIに教えてもらったというより、情報を整理してもらったら自分の問題が浮上したという感じ
AIがわたしの思考を分析して、それに対してまたわたしが思考を深める、ということを繰り返していくうちに、「わたし、責任を負わなくていいんだ」って気づいて、肩と背中がふっと軽くなりました
でね、この気づきの直前に存在曼荼羅舞踏で肩に「もう背負わなくていい」っていう意図を、背中に「ちゃんと支える」という意図を入れていたんです
「肩が重いのは背負い込みすぎ」とかいう話は、これまでだって知ってました。でも、それが何なのかまで深く考えたことがなかった
でも、呼吸に合わせて肩や背中が動きたい方向に自由にさせながら、「もう背負わなくていい」「支えることができる」と語り掛けるように意識したら、それに呼応するように気づきが出てきたんです
肩と背中に直接”話しかけた”からこそ、アンサーが返ってきたのでしょう
肩が「そっか、もういらないね」って気づいて、背中が「よし、支えてあげるよ」と反応した![]()
同時に「やりたいことが分からなくなり、無気力になってしまった」理由もわかりました
実のところ、わたしはやりたいことをやっていたし、無気力だったわけでもなかった
経済活動とか役立つこと=やりたいことと設定していたから、「わたしは何もしてない。何もする気が起きない…」と思い込んでいただけ。社会的に認められる場所でもなく、お金にもならない場所で、ちゃんと責任を背負って”仕事”をしていたんです
この3、4年を無意味に過ごしていたと思い込んでいたけれど、わたしが大事だと思うことを一生懸命やっていたらしい。これに気づいたのはなかなかの衝撃でした
そしてAさんとモメたことに対して、なんとか解決策を探っていたのにどうしてもわからなかった。でも、問題はAさんとの関係性ではなく、Bさんだったんです
わたしがBさんに対して責任を負いすぎたせいで、Aさんとこじれてしまってた
でも、すべては必要だから起こった出来事でもあります。Bさんとのこと、Aさんとのこと、身体バキバキでつらくなったこと、やりたいことが分からなくなった(と勘違いした)こと、すべてわたしにとって必要だった
でももう、いらないらしい
これに気づいたことはすごく楽になれたと同時に恐怖でもあります。終わったということは次に行かなきゃいけない……そりゃ怖いよ
笑
でもこれが人生だし、これがわたしなんだよなあ
気づいたからって突然世界がひっくり返るわけじゃないけど、気持ちは180度変わりました
さ、ここから現実変わっていくのが楽しみ![]()
