前記事で引用した動画で

色々気づきがあったんだけど

タイミング逃してしまいました💦

 

 

ということで

今回は「幸せとは何ぞや」

についての話

 

 

HAPPYちゃんによる「幸せ」の話は17:23~

 

 

 

この話を聞いて思ったのは

 

「幸せ」ということを

意識した瞬間に

別の何かに乗っ取られてしまうよね…

 

ってこと

 

 

 

言葉っていうのはクセもので

言語化する前段階の

感覚的な存在のときは

無意識で理解してるはずのに

 

言葉で認識した瞬間

ある一定の方向を向いてしまう

 

 

 

「幸せ」という言葉を考えたとき

たとえば

 

アイスを食べて幸せ!

推しのライブに行けて幸せ!

 

などと目の前の簡単な幸せを

表現することもできるけど

 

 

 

こと「生き方」になると

 

憧れの職業に就けたら幸せ

好きな人と結婚出来たら幸せ

子どもができたら幸せ

収入が増えたら幸せ

 

とか、なんとなく

世間が考える「幸せ」

寄せてる自分がいる

 

 

 

実は

”叶ったら幸せであろう状況”

って自分の考えじゃなくて

他者からの刷り込みが大きい

 

 

 

就職も結婚も出産も

その瞬間は幸せだけれど

一生同じ幸せが続くことは

あり得なくて

 

 

 

「幸せ」の通過点に過ぎない

 

 

 

とりあえずの目標を定めて

そこに向かって走るのも

1つの方法ではあるんだけど

 

 

 

目標を達成したら

とりあえず終わりなんですよね

 

 

 

1年後、2年後も

幸せを継続できるかどうかは

まったくの別問題

 

 

 

一時的なものではなく

ずっと続くものが

本当は欲しいはず

 

 

 

状況を求めるのが違う

というのであれば

なにを求めればいいのか

 

 

 

わたしも就職や恋愛で

これ以上ないくらいの幸せも

感じたことがあるけど

 

どちらも同じくらい

どん底も経験してる

 

 

 

できるものなら

どん底なんて味わうことなく

生きていきたいけど

どん底を知らなきゃ

最高を知ることもない

 

 

 

結局、

わたしにとっての幸せとは

「幸せなわたしはこちらを選ぶ」

という前提で行動し続けること

 

 

 

その選択がどっちに転ぶか

という「結果」は手放す

 

 

 

幸せを感じたならば

その幸せが続くように、

 

不幸を感じたならば

一秒でも早く抜け出せるように

 

ただひたすら

「幸せな自分ならこうする」

選択をし続けること

 

 

 

じゃあ、「幸せな自分」とは

どういうものなのか?

 

 

 

わたしは

過去の体験を思い出しました

 

 

 

子ども時代に

全力で遊びまわって

外でも家でも騒いで

クタクタになって寝る

 

 

 

っていう自分は

今思えばめちゃくちゃ幸せだった

 

 

 

でも当時は幸せなんて

かみしめてないし

 

 

自分の喜びも

他人の喜びもまったく考えず

 

 

 

大人たちに怒られたり

友だちとケンカして

ギャン泣きすることも

あったけど

 

しばらくしたら

ケロっと元通り

 

 

 

子どもなりに不安とか

苦しみを感じるときも

もちろんあったけど

 

ワンシーンを切り取れば

何も恐れがない瞬間もあった

 

 

つまり

手放しで今を生きる瞬間が

幸せってこと

 

 

 

そこでHAPPYちゃんの

話を聞いて分かったのが

 

 

今を生きる

ってことは生命の赴くままに

動くこと

 

||

 

振動すること

 

 

 

プラスだろうが

マイナスだろうが

どっちでもいいから

振動してたいんですね

 

 

 

HAPPYちゃんは「フルエ」

という言葉をよく使うんですけど

 

 

わたしはこの言葉からは

「武者震い」みたいな

感極まったときに起こる様子を

連想しちゃって

ちょっと大げさに感じるので

 

 

わたしは「フルエ」ではなく

「振動」や「揺れ」ってことで

脳内変換してます

 

 

(「振動」「揺れ」だと

小さくてもOKと思えるから)

 

 


「振動」とは

言語化の直前にある「体感」

 

 

ゾクゾク

ザワザワ

キュン

キューッ

ドキドキ

ワクワク

 

 

その他いろいろ

 

 

 

身体を持つ人間なら

絶対味わったことがあるモノ

 

でも、共有できないモノ

 

(できるかもしれないけど

一般的なメソッドはない)

 

 

 

いま書いたやつって

必ずしも喜びばかりではない

 

ゾクゾク +

ザワザワ -

キュン +

キューッ -

ドキドキ +

ワクワク +


と分けることもできる

 

 

 

これらは片方だけってことは

あり得ない

 

ドキドキワクワクが大きいほど

ザワザワも大きいもので

必ずワンセット

 

 

 

「振れ幅」だってさまざま

 

 

 

歓喜の裏には絶望も潜んでる

 

 

 

絶望を避けていたら

歓喜も訪れない

 

 

 

小さい振動も大きい振動も

命は味わいたいのだから

 

何かを避けることなく

逆に、無理やり何かを

目指すでもなく

自由にさせたらいい

ってことなんですよね

 

 

 

じゃあそうするための方法は?

 

 

 

 

 

自分の命が求める振動

っていうのは

自分の細胞がすでに知ってる

 

 

 

脳で考えても分からない答えを

身体は知っているのだから

とりあえず

身体作りをしたらいいよ

 

 

というのが

HAPPYちゃんの考え方

 

 

 

身体作りとはすなわち

丹田をつくること

 

身体から切り離された頭を

再びつなげること

 

 

 

その第一歩は

呼吸という超超超地味なこと

 

でも誰でもできること

 

 

 

脳で考える方が

何かをやってる気になれるのが

やっかいんなんだけど

 

 

 

いま大事なのは

ただの呼吸、そして

ただ身体を動かすこと

五感を使い倒すこと

 

 

 

最近、AI関連の書籍を

いくつか読んでるんですけど

わたしが好きな人はみんな

身体の重要性を説いてました

 

 

 

 

人間が自ら切り離してきた

身体と脳だけど

今後、脳の部分のほとんどは

AIが担ってくれる

 

そのAIが進化したときに

人間に求められるのは

身体性であり感性

 

 

 

人間の進化と科学技術の進化って

ちゃんと繋がってるんですね

 

 

 

2025年は大事な節目だそうで

早く身体を取り戻した方が

いいみたい

 

 

 

わたしは身体バキバキで

リラックスとは程遠いんですが

がんばりますてへぺろ