憧れの誰かが

スゴイことをしていたとしても

同じ道をたどる必要はなくて

 

自分だけの道を歩けば

同じところに到達できるよね

 

という話

 

 

風船

 

 

いまHAPPYちゃんは

北極にいってるみたい

 

”さっちゃん”アカウントの方で

ちょいちょいライブ配信してて

じっくりは見てないんだけど

 

 

 

日本ではまずお目にかかれない

雄大な景色が広がっていて

わお、スゴイね!

って感動もしつつ

 

毎回、

ヘンピなところにいってるから

もはや別の意味で見慣れつつあり

変な感じもする。笑

 

 

 

で、今日?いった場所は

めちゃくちゃ静かだったらしい

 

生物もいないだろうから

地球上でも類を見ない静けさ

なんでしょうね

 

 

 

その場所の静けさというのが

HAPPYちゃんの内面そのもの

らしい

 

 

 

ちゃんと聞いてないので

詳細わかんないんですけど

 

おそらく

普段、派手なことをしているけど

内面はこんなに静かなんだよ

 

ってことを言ってたような。

 

 

 

そしたらコメント欄が感動の嵐

 

 

「スゴイ」

 

「HAPPYちゃんの内面って

こんなに静かなんだ」

 

みたいなやつ

 

 

 

こういうのを見ると

反発心が芽生えるんだな…笑

 

 

 

コメントした人たちは

純粋な感想だと思うので

ケチつける気はないんですが

 

「わたしの内面」は

すぐザワザワするんですよ

 

 

どうも比較しちゃうんだな…てへぺろ

負けず嫌いなところもあるんだな

 

 

 

HAPPYちゃんは

現実がどんなに騒々しくても

内面はすっごい静か

 

しかもそれが

”北極の静けさ”だなんて

カッコよすぎでしょ!びっくり

 

 

 

ここで

 

さすが、HAPPYちゃんはスゴイ!

 

っていう目でみると

 

自分とは遠く離れた人だ…

 

って思って分離が起きる

 

 

 

そうじゃなくて

 

「HAPPYちゃん的・

北極レベルの静けさ」を

自分の中でも再現できるはずだ

 

って思いたい

 

 

 

 

 

 

 

たとえばHAPPYちゃんは

普段、エンタメという

最高に派手な活動をしてるから

 

 

現実で静寂を味わう機会は

普通の人より少ないんじゃないかな

 

 

 

同時にHAPPYちゃんは

エンターテイナーで

パフォーマーで

メッセンジャーでもある

 

 

だから、ただ内面が静かなだけ

では足りなくて

 

「北極に行く」

という行為そのものが

HAPPYちゃんとして必要な

イベントだった

 

と思うんです

 

 

 

 

でもわたしは

もっとゆったり日常を生きてる

 

 

普段の現実世界でも

静寂が身近な場所にある

 

 

近所の公園を散歩したり

ふらっと海に行って

ボンヤリ座って過ごしたり

 

 

庭の植物や

やってくる鳥とか虫に

何かを感じることもある

 

 

さすがに現実世界で

北極の静けさは体験できないけど

 

 

 

内面であれば

いまここにいる場所から

北極レベルの静寂の場所に

いくことはできるはず

 

 

 

だって

北極に行ってない人でも

目覚めてる人はいる

 

 

 

現実が派手な人を見ると

「わあ、スゴイ」って

どうしてもなりがちだけど

 

 

HAPPYちゃんのおかげで

 

これはどういう内面が

外に現れてるんだろう?

 

って転換できるようになった

 

 

 

誰かに対して

 

うらやましい…

くやしい…

 

っていう感情が出てきたときは

 

いやまてよ、

これをわたしver.にしたら

何になるだろう?

 

って今は考えるようにしてます

 

 

 

普段と違う感情が出る

相手やできごとは

必ず自分の中に「何か」がある

 

 

 

「なんかイヤだ…」だけで

終わらせるのはもったいない

 

絶対に昇華させてやるんだ

 

って決めてます

 

 

 

こういった

”意図”の確認ができるのも

このライブ配信を見たおかげ

 

 

 

だからまるっと含めて

色々見せてくれてありがとう

って思いましたウインク