日々流れてくる情報を
意図的にストップして
頭が静かになってきて
ふと思ったことがあります
いまの不安や悩みって
”いま”特有のものでしかない
この不安や悩みも
自分の環境や
集合意識が変われば
自然になくなっていく
だからあまり深く考えず
日々淡々と自分に集中してたら
いいんだろう
ということ
ここ数年のわたしは
より良い人生にしよう
っていうのがテーマで
スピとか自己啓発とか
とにかく良い情報を得て
自分のマイナスを減らそうと
躍起になってたんですよね
マイナスのままだとしても
「それすら意味がある」
とか考えて。
たくさん学んで
この世の法則や
さまざまな解釈を知って
さんざん知識を詰め込んで
初めてそこから距離を置いて
遠くから眺めてみると
結局、自分は自分のままで
いいんだな
ってところにたどり着きました
変わりたいと思って
すぐに変われる部分は
タイミングが来たから
変わりたいのに
変われない部分は
まだタイミングじゃないだけ
なかなか変われない部分に
固執するより
変わりやすいことに集中していれば
知らないうちに
そこから抜け出していたりする
だから
無理して何かを変えようと
しなくていい
引き寄せでよく言われる
”最初からある”ことに気づけよ
っていう言葉の意味が
ようやく理解できたような。
でもって
いま飛び交っている
色んな情報を見て思うのは
何かが流行ると
必ず誰かが逆張りして
逆張りの逆張りもあって
支持を得た説が大きくなって
集合意識が反転すると
また逆張りする人が出てくる
歴史ってその繰り返しだよね
ということ
わたしが生きている時代は
生まれたときから
既に物質優位の世界で
精神性よりモノ・カネ・権力だった
それがいま
精神性が優位になりつつある
でもわたしが生まれる前には
その逆の現象もあったはず
なんですよね
スピードは違うかもしれないけどね
逆転現象が起こるときは
摩擦が大きいはずで
それだけ人の心も現実世界も乱される
そういう時に目立つのは
逆張りをする人
みんなが言ってることに対して
「それは違うよ」と
声をあげた人が
有名になったり名を残したりする
有名人でない普通の人でも
「よく言った!」みたいに
持ち上げられたり
それを聞いて
「自分もそう思ってた!」
ってスカっとすることはあるけど
実際はそこまで極端なことはない
人でも物事でも
一部を切り取れば
最悪も最高もありうるけど
全体を見ればグラデーション
いいところもあれば
悪いところもある
否定することで
新しい概念や技術が生まれる
スクラップ&ビルドは
ある意味で自然なのだろうけど
振り子のように
いちいち大きく振れるのも大変
スピ業界では
「いまは人類史上
いちばんおもしろい時代」
ということを聞く
そうだとしたら
この振り子は
どういう状態なんですかね?
振り子の一番高いところの
左から右に変わる
ということなのか
振り子の振れ幅がどんどん
小さくなっていて
真下で止まることなのか
前者ならただの繰り返しだし
後者ならゼロに戻るということ
何がいいのかよく分かんないですね
まあ壮大な話は
ひとまず置いておくとして
これを踏まえて
現実のわたしは
極端な論調に流されず
その逆張りにも流されず
全体をぽやっと見ながら
「ところで
わたしはどうしようかな
」
っていう余裕を持ちたい
って思いました
