直感に従うトレーニング

きづいたこと・その②

 

 

その①はコチラ

 

 

 

繁華街やショッピングモールなど

人がたくさんいる場所に

1人で行くと

いつも抱く感覚があります

 

 

目の前に広がる世界は

360度型のリアルな舞台

 

わたしと関係のないところで

わたし以外の全員で

演劇が繰り広げられていて

 

中心にひとり

観客として存在している

 

というね。

 

 

自分だけが

世界から切り離されたような、

やたら客観的な視点を

体験してるんですね

 

 

この状態って、

ちょっと寂しいけど

嫌なわけではない

 

 

 

それどころか

この寂しい感じ、好きかもしれない真顔

 

 

って

今回初めて自覚しました。笑

 

 

 

よく考えたら

小さい時からそう

 

 

 

いつも周りに人がいたので

1人になりたいときは

精神的に瞬時にヒキコモる技

を身に着けていて

 

 

 

学校でも会社でも

プライベートでも

大勢の中で孤独になるのが

得意だし快適

 

 

 

今回のことはその延長

みたいなもの

 

 

 

チューリップ

 

 

 

最近、引き寄せとか

HAPPY理論とか

いろんな人の話を見聞きして

 

 

 

自分なりの幸せや喜びを

手に入れよう!

 

 

って頑張ってたんですけど

 

 

一見ネガティブに見える

「寂しさ」も実は好きだった

 

 

 

 

生き方や考え方

自己啓発

スピリチュアル

 

 

っていうと

 

「良くなろう」

「幸せになろう」

「喜びを感じよう」

「最高にしよう」

 

っていう

ポジティブ至上主義になりがち

 

 

 

でも対極にある寂しさ

も感じたいんですよ

 

 

「寂しさ」っていっても

ネガティブなことばかりでもない

 

 

 

直接的なふれあいはなくても

 

みんなの中にわたしもいる

 

と、他人がいるからこそ感じる

孤独を楽しんでいたり

 

 

風が気持ちいい

 

街路樹の葉っぱが揺れてる

 

って

他人と触れ合わずとも

何も気にせず存在する自然に

シンパシーを覚えたり

 

 

そこでしか味わえない感覚を

ちゃんと楽しんでるんですよね

 

 

 

同じように

怒りやむなしさとかも

必ずしも避けたいワケじゃない

 

 

 

哀しみや怒り、むなしさも

体験しなきゃ

喜びも幸せも分からない

 

 

 

逆にいうと

喜びや幸せが叶うなら

哀しみや不幸も叶ってる

 

 

 

喜びを望むことは

哀しみを望んでいる

ということ

 

 

 

そうはいっても

顕在意識ではやっぱり

哀しみはあまり味わいたくない

 

 

 

だから

喜びも哀しみも

やがては過ぎ去る

 

って頭の片隅で覚えておいて

どっちもしっかり味わった後に

さらっと流したらいい

 

 

 

結局、身体のない神が

知りたかったことってコレ

 

 

 

幸せだけでなく

その対極にある感情も知りたかった

 

 

 

だから味わえてることは

すごくうれしいんですよね

 

 

 

 

―と、いうことは

十分承知の上で

 

 

でもやっぱりさ

幸せを求めちゃうよね 笑

 

 

人間だものてへぺろ