2度目の

aloness集中プログラムが

ついにスタート

 

 

 

24日のMOMEDイベントが

ライブ配信されるということで

ちらっと見てみました

 

 

 

わたしにとってMOMEDは

最初は苦手意識が強く

次にちょっとハマって

今は遠目に見てる状況です

 

 

 

MOMEDは身体と

それにくっついてる感情を

味わうためのダンス

 

 

というのは理解してて

メリットも受け取って

きてるんですけど

イマイチ乗りきれない自分もいて

 

 

なんでMOMEDじゃないと

いけないんだろう?

 

ほかのダンスじゃダメなの?

 

なんで大人数でやるの?

 

などなど、

ずっと考えてたんですよね

 

 

 

過去記事で分析してるんですが

今回でやっと

腑に落ちた感じがしました

 

 

 

過去、色々書きました…

 

 

そもそもダンスの始まりは

古代は神々への祈りだったはず

 

豊穣とか感謝とかね

 

 

でも年月が経つにつれ、

神との距離ができてくると

ダンスで表現する内容も

変わってきた

 

神に向いていたものが

他者へと向かうものとなり

 

感情を表現していたものが

美やテクニックを競うようになり

 

 

 

完全に断絶された今は

かつてあった意味も形骸化して

エンタメの道具になっている

 

 

 

 

ダンス詳しくないので

間違ってたらすみませんが

 

 

自然を表現するアロハ、

自らを鼓舞するハカ、

暴力の代わりとしてのブレイキン

 

などを見てると

 

近代になるにつれ、

神へ捧げるものから

自分自身、他人へと

移り変わってますよね

 

 

 

ここに挙げた3つのダンスも

元々あったはずの意味は

かなり薄まってる

 

 

ダンスといえば

遊びやエンタメ、

スポーツ、ショービジネス

 

というイメージが定着した現代に

MOMEDが出てきた

 

 

 

 

HAPPYちゃんは

 

今ある”ダンス”とは違う

 

”ダンス”ではない、

MOMEDというジャンルだ

 

と最初は言ってました

 

 

 

後に「ダンスです」って

認めてたけど。笑

 

 

 

おそらく当時は

”ダンス”という言葉が持つ

集合意識に影響されたくなくて

「ダンスじゃない」って

言ったんでしょうね

 

 

 

 

じゃあMOMEDが

今までにないダンスとしたら

何が新しいのか

 

 

 

このMOMEDてやつは

 

神が人という姿で

地上に降り立ったときに

やってたこと

 

ではないでしょうか?

 

 

 

アロハなど

神々や自然に向けて

ダンスをしていたということは

実は既に神との距離ができてた

ってことでもあるんですね

 

 

 

それよりもっと昔、

まだ人間が自分は神である

と知っていたときの話。

 

 

 

 

3次元的な身体を持たず

愛と平和しか知らなかった神が

 

初めて身体を持ったとき

喜びにあふれていたはずで

 

今まで知らなかった

怒りや悲しみ、ネガティブな

感情を知った

 

 

それすら喜びだったはず

 

 

 

身体を持ったばかりの頃は

敢えて”ダンス”なんて言わなくても

 

 

身体を持って存在すること

そのものがダンスだった

 

 

 

それが少しずつ

長い時間をかけて

神だったことを忘れて

極限まできてしまった

 

 

 

現代人は、その気になれば

ほとんど人に会うことなく

衣食住を手に入れられる

 

 

外に行かなくても

人に聞かなくても

欲しい情報が得られる

 

 

物理的にひとりぼっちでも

生きていけるようになり

 

 

 

技術革新もすさまじく

もう3次元的な身体さえも

不要なんじゃないか

とさえいわれている

 

 

 

同時に心を動かすことも減った

 

 

 

めんどくさい経験を通じて

いろんな体感を味わいたくて

 

身体を持って生きる

というダンスをしたくて

この3次元世界に生まれたはずなのに

 

 

 

それを嫌い

忘れてしまった

 

 

神からしたら

 

ちょっと待て滝汗

 

って感じなのでは?笑

 

 

 

人類が誕生した意味さえも

手放そうとしてる今

 

人類の奥底に眠ってる神が

軌道修正をかけるツールとして

HAPPYちゃんに

MOMEDを誕生させたのかも

 

 

大人数でやることにも

意味があって

 

 

 

もとは、全部がひとつ

であることを知っていたけど

どんどん分断されてってますよね

 

 

 

地上に生きていた植物たちが

全部分類されて

ポットで栽培されるかのように

 

人間も神から離れるほどに

全体からの分離が起こって

バラバラになった

 

 

 

100%の分断はないにしろ

かなり薄まってる

 

 

 

人の思い、想念の力は

本当はめちゃくちゃ強い

 

 

 

本気で同じ方向を向けば

世界だって意外と簡単に

ひっくり返る

 

 

 

一部で「MOMEDは宗教」

と揶揄されてるらしいけど

 

大勢の思いの力を使う

 

っていう意味では

一緒といえば一緒ですよね

 

 

 

人々の力を自分の思う方向に

使おうとする教祖なら

それは教祖次第で悪へと傾く

こともある

 

 

 

でも

HAPPYちゃんは教祖じゃない

 

MOMEDは特定の誰かのためや

個人の欲のために使うんじゃなく

 

みんなの力を借りて

自分の力を取り戻すもの

 

 

 

分断がキツイ人ほど

1,000人MOMEDの

効果あるんじゃないでしょうか

 

 

 

 

人が本来の力を取り戻して

記憶を呼び覚まして

それぞれが自分の人生を

生き始めたときに

MOMEDも一定の役目を終えるんでしょう

 

 

 

 

――とまあ、

こんなにMOMEDについて

語ってるわたしですが

イベントにはそれほど

興味がなくて。笑

 

 

 

この春のMOMEDフェスで

必要なものはもらいました

 

 

 

必要な体感を一度知ったら

あとは思い出して自分で

コントロールすればいいし

 

今回も

ライブ配信見るだけで

「こんな感じだったな」って

体感リバイバルできました

 

 

 

最先端は宇宙?

メタバース?

もっと先の科学技術?

 

 

そうじゃない

 

 

多くの人が置き去りにした

”身体”を取り戻すことが

逆戻りのように見えて

実は最先端

 

 

先取りしちゃいましょ