どうも「推し」ってことばが
あんまり好きじゃない
わたしですが
実は
めちゃ推し活してた!
ってことに気づいた話
わたしの中で”推し活”って
ちょっと不健全な印象が
あるんですよね
わたしの勝手な解釈だし
やってる人を
とやかく言う気はないけど
「わたしはいいや」
って一線引いてるつもりでした
【24.12.19追記】
久々に読んだら
推し活してる人に対して
かなりケンカ売ってる文章でした
この話はあくまで
今のわたしがやるのは微妙だな
ということ
もっと若かったら
普通にやってるかもしれません
でもよく考えたら
HAPPYちゃんに対する熱量は
普通に推し活だったんです![]()
わたしの思う推し活とは
推しから愛をもらう代わりとか
感謝のしるしとして
応援という形で
時間やお金をつぎ込む行為
わたしはHAPPYちゃんに
お金はつぎ込んでないけど
ものすごい時間をつぎ込んでました
お金も時間もエネルギー
時間をつぎ込むってのは
お金をつぎ込むことと
同等なんですよね
![]()
わたしがHAPPYちゃんを知ったのは
いつだったろう?
少なくとも6年は経ってるかな
沼に落ちたのは
HAPPY理論というものを
体得したかったから
というのが一番の理由で
出会ってからというもの
YouTubeを見まくり
コミュニティも入り
理論を頭に叩き込んできました
去年くらいまでは
分からないことも多かったので
それでもよかった
でも、今年に入ってから
変わりつつありました
HAPPY理論を
分かってきたんですね
(実践はまだまだですが)
なのに
当初と変わらず動画も配信も
ずっと追いかけていた
それが、
ちょっと離れて戻ってきて
一呼吸おいたときに変わりました
わたしはHAPPYちゃんの
視座の高い話が好きなんです
エンタメとかビジネスとか
3次元的な話は
あんまり興味がないけど
その中で大事なこともいうので
聞き逃さないようにしてた
でも
久々に聞くと「なんか違う」
っていう瞬間がありました
前のわたしなら
自分とは次元が違う話に
嫉妬してるんだ
って自分に言い聞かせて
エゴを取り除こうと
頑張っていたけど
今回は
この話はわたしに必要ない
このノリは苦手
ってスパっと切りました
初めてネガティブな思いを
素直に受け入れたんです
この時の自分は力強かった
そんな変化にびっくりしたし
「これでいいんだ」
とも思いました
しばらくしてまた聞きたくなって
配信をつけたら
ちょうどドンピシャで
聞きたい話が始まったんです
ナイスシンクロ![]()
で、
ずっと自分よりHAPPYちゃんを
上に置いてたことに気づきました
HAPPYちゃん
=
この世の真理を知ってる人
っていう方程式が無自覚にあって
もちろん正しいんだけど
それ以上に
わたしの世界では
わたしが唯一無二で
世界一尊い存在
なんですよね
世界を動かす法則や
それを説く存在以上に
自分の存在の方が上!
法則を知って
法則を乗りこなした方が
より楽に生きられる
のだとしても
法則に縛られちゃ本末転倒
いってしまえば
法則なんて知らなくても
生きていけるし幸せになれる
法則を求めるがあまりに
法則に縛られ
HAPPY理論を追いかけすぎて
HAPPYちゃんを上に置いてた
今のわたしだから気づけた
っていうのもあります
そろそろ
ちゃんと自分の足で立てよ
っていう
ソースからの声なのかな
”人気者”とは
「人の気を集める者」
それは良いことでもあるけど
自分に回す以上に、
推しに気を与えちゃダメ
自分にとって
自分が最高の推しで
人気者にしてあげなきゃ
自分が可哀そう
ある超能力者みたいな人が
いってた話で
その人は身体に触れることなく
相手の身体のことが分かる
らしいんですけど
それは
身体が訴えてるからなんだって
本人が分かろうとしないから
自分に訴えかけてくるのだ
といってました
自分で自分を推さないから
他人の力を借りるしかない
推し活が流行ってるのって
世の人々が外の世界を見すぎ、
プラス、
リアルな人間関係で
愛をあげたり受け取ったりする
エネルギー交流がなくなってるから
なんじゃないかな
ただまあ、そんな今だからこそ
自分の内側で
エネルギーを最大限回さなきゃ
充電してまずは自分を満たして
次に増幅して
周りに分け与えられるような
存在にならなきゃ
他人に
”気”をつぎ込んでるヒマはない
自分推してこ
ちなみに今回の話に
似たようなことを過去も書いてます
同じことの繰り返し…![]()
なんですが、
くるくる螺旋階段のように
ちょっとだけ進歩してるはず

