タイトルは、最近ツイッターで見かけたことばです

 


これを見たとき、軽い衝撃を受けました滝汗


 

哲学的で深そうな言葉ですけど、逆にいうと

 

 

あんたのために生命があるんじゃない

 

 

生命のためにあんたがいる

 

 

あんたの生命をどう扱うか、あんたが決めることじゃないから

 

 

って喝を入れられたような気がして

 

 

 

”わたし”がこの生命を生きてるんじゃなくて、”わたし”を通して生命が生きている

 

 

 

短いことばですが、わたしの価値観をひっくり返すのに十分でした

 

 

 

 

 

 

時々ね、「生きるのめんどくさいな」って、投げやりになるときがあるんです

 

 

 

ただ、昔からどんなにツラくても自〇だけはしない、って決めてます。理由は色々あるんですけど、今回の言葉を聞いたら、そんなのどうでもよくなりました

 

 

 

生き死になんて、最初からわたしが決めていいことじゃなかった

 

 

 

最近のHAPPYちゃんの配信で、「この世の始まりは粒(ツブ)だった」といってました

 

 

 

ただのツブ

 

みんなツブ

 

 

 

物理の世界でも、物質の最小単位までいくと、中性子とか電子、クオークとか?まで分解できる

 

 

 

スピの世界でも、始まりは「小さな揺らぎだった」っていうし

 

 

 

知識として何となく知ってたので、HAPPYちゃんが「ツブだった」とか言い出しても「へえ、見たんだ」って普通に受け入れてました 笑

 

 

 

そしたら、似たことを言ってる人がいるんですよね。自然派インフルエンサー(?)の山納銀之輔さん

 

 

 

銀之輔さんは臨死体験したことがあるそう。ワンネスに戻っちゃう「光の塊」に吸い込まれる一歩手前まで行ったらしいです

 

 

 

「その光の塊に入ったら、ツブになる」って言ってたような。ちょっと忘れたけど…(大事なところなのに 笑)

 

 

 

<山納銀之輔さんの臨死体験>

 

 

 

魂であるツブに「死」はないんですよね。肉体を離れても、前世の個性は一旦リセットされたとしても、「無」に戻るわけじゃない

 

 

 

いずれ、また地球人なのか、高次元の存在なのかは分からないけど、どこかに生まれ変わる

 

 

 

地球に生きていると、肉体を持った自分を「わたし」と思っているけれど、肉体の死を迎えたとしても存在しつづける

 

 

 

 

 

 

ただ、この地球上でこの身体を持ったこの人格は、ひとまず終わり

 

 

 

肉体の細胞は、ここにしかいられない。細胞はわたしを通してこの世界を満喫してる

 

 

 

だから、わたしという人格を持ってこの身体を最大限に喜ばせること(喜怒哀楽、感覚ぜんぶ)がわたしの使命なのだ

 

 

 

っていうか、それがしたくて来たはず

 

 

 

となると、自〇なんてもってのほかだよね、って

 

 

 

生きてたら、〇にたいほど辛いこと苦しいこともある。でも、〇んだらこの身体は終了。細胞たちは一旦解散。わたしは転生するけど、細胞たちは?

 

 

 

わたしの魂を借りて地球を楽しんでいたのに、エゴが行き過ぎて強制終了なんて、細胞は「聞いてないんだけど」って感じなのでは?

 

 

 

持ち主が何を考えようと、細胞は生きようとしてる

 

 

 

また、別の人が「自分が世界を見ているのではなく、神が自分の目を通して世界を見ている」というようこともいってました

 

 

 

わたしという個性がこの世界をどう感じているのか、神は知りたいんですね

 

 

 

これもまた、「わたし」が主体ではない見方

 

 

 

わたしを使いたい細胞と神

 

 

 

そして、呼吸は”わたし”と神・細胞をつなげる方法

 

 

 

わたしのエゴが暴走することなく、個性として一番うまく働いているときに、細胞は喜んで力を発揮する

 

でもエゴが暴走しすぎていると、神との分離が起きて細胞への貢献もおざなりになる

 

 

 

神とのつながりを忘れそうになったら、呼吸という手段で、いつでもつながり直せばいい


瞑想とかもあるけど、呼吸が一番シンプル

 

 

 

 

 

 

いろいろと小難しいことを書いたけども

 

 

 

めんどくさくなったら、「細胞のために生きよう」って思えばいいんじゃないか

 

 

 

食事の際は、食感や味、においに音、見た目まで五感フル稼働で味わい愛でてみる

 

 

 

歩くときの一歩踏み出す関節の動き、筋肉の力み、足の裏と地面がつく感覚。足の裏と靴下が擦れる感覚

 

 

 

人と話しているときの相手の目、姿、ことばの抑揚

 

 

 

服を着た時の布のこすれ、音、におい

 

 

 

一挙手一投足に集中しだすと結構忙しい

 

 

 

そのうちに「次はこういう感覚味わいたい」って、浮かんでくるかもしれない

 

 

 

〇にたいほど辛いことって、人間社会特有のルールに縛られてることが多いけど、感覚を味わうことに人間社会も集合意識も関係ない

 

 

 

五感だけは、わたしと細胞だけで完結する

 

 

 

そこに集中しまくってたら、何が起こるのか、見つめてみるのもいいですよね

 

 

 

暇なときはそうしよっと