最近、HAPPYちゃんがやってる
MOMED ONE WALK
モメッド ワン ウォーク
alonessの皆さんは興味持ってるかな?
わたしは毎度のことながら、それほどでもなかったです💦
(MOMEDの時も最初は引いてた)
ただ今回も、見ているうちに「なるほど」と思えるようになってきました。参加したいかどうかはともかく、見ることで呼び起こされる体感があったので、それについて書こうと思います
フェスをきっかけに始まったMOMED ONE WLAK
ショーとしてはいいけれど、HAPPY理論の一環としては理解できなかったので一歩引いたところから見てました
調和した”集合”の中にいる”個”は、孤立した個より何倍も輝く
ということを表しているのは、最初に聞いていたので知ってました
けど、あくまでエンタメじゃないですか。一日限りのエンタメじゃなく、日常で実践できなきゃ意味ないのでは?
と思っていました
それが、最近の配信を見て、「ある意味わたしの理解は正しい、でもそれがすべてではない」と考え直しました
MOMED ONE WLAKで沸き起こる体感は、HAPPYちゃんの日常なんですね
最大限に才能を発揮した最強の”個”の集団でものづくりをしているHAPPYちゃん。詳細な過程を見ずとも、プロでもここまでできないだろう、ということを個人手配で次々とやってのけ、結果を出し続けているのは明らか
でも、HAPPYちゃんのやってることは理想だけど、それができちゃうのはHAPPYちゃんが特別な人だからでしょ?
って思うじゃないですか。でもHAPPYちゃんからすると、「誰でもできるよ」ってことなんですね
わたしみたいなフツーの人間からすると、団体や組織にいると、「いいものをつくりたい!」っていう純粋な思いがあっても、エゴがぶつかり合って中途半端な結果になることがほとんど
MOMED ONE WLAKでは、そんなHAPPYちゃんが過ごしている理想の”体感”を疑似体験できる
体感を求めることでそれが実現化するというHAPPY理論で、そもそもの体感を知ることは重要
未経験の人にとっては体感を知る貴重な場になるし、わたしのように配信を見るだけで思い出す人もいますよね。それこそがMOMED ONE WLAKの良さかなと理解しました
最近気づいたのですが、わたしは学生時代からずっと、チームワークの良さを感じる場にいることが人より多かったかもしれません
でも気持ちがくじかれる方が年々増えて、「みんな本気で叶える気ないんだ。世の中こんなもんか」っていう諦めとかスネが強くなってました
それでも、ほんの少しだけ、ごく一瞬だけ訪れるチームの一体感を知ってたんですよね
だからMOMED ONE WALKを見て、「この感覚わたしも知ってる」って思い出せました
よくわかんないけど、多くの人は一度は味わってるはず。一瞬だとしても最高の瞬間を
純粋な思いを踏みにじられすぎて、諦めムードに何となく同意してしまって、引き出しの奥の方に隠れちゃっただけなんですよね
でも、数少ない例だとしてもHAPPYちゃんは理想の形の中を生きているし、世界を見渡せばそういう人もいるはず。それはきっと増えてる
とことんまで分断された今、小さな逆流が起きている
そろそろ本来の姿に戻るとき
本当はみんな”一致団結”得意なんだよ
わたしは知識がないので、最近ハヤリの「日本人の底力はすごい!」とか言えないけど、少なくとも自分とその周りに対してはそう思う
HAPPYちゃん的な仕事法で成功している人もいるだろうし、何かしら伝えてくれようとしている人もいるだろうけど、”体感できるエンタメ”は一番手っ取り早いツールであり、それをしているのは今のところHAPPYちゃんだけなんじゃないかな
HAPPYちゃん以外にも、世の中をよくしようとしているインフルエンサーの発信を見ることがあるんだけど、全体的な流れを見ると、いい方向に行ってる気がします
今の自分にはできなくても、きっとできるようになるし、周りも同じだろう
と思える今日このごろ―![]()
おまけ:
わたしは自分がステージに上がりたいとかダンスしたいと思わないので、HAPPYちゃんが新しいことを始めるたびに「そろそろ離れ時かな」と思うんですよね
理論は知りたい、でも実践編のエンタメはちょっと…
これは好みなので仕方ないと思ってます
ただ、「HAPPYちゃんは理論と関係ないことをしないだろう」と信じている部分もあるので、最初から拒否せず意図を知る努力もしなきゃね、といつも思い直してます



