武道家みたいになってきた
HAPPYちゃん 笑
予想もつかない方向にいくので
おもしろいよね
最初はエイブラハムの教えを元に
座学だったり
瞑想とかの内容だったのが
徐々にHAPPYちゃんオリジナルに
MOMEDをきっかけに
声や身体といった「自分自身」に
注目するワークが中心になりつつあり
今や最先端の内容を更新している
最近やってるワークって
実は日本古来からあった知恵だよね
特に最近は
忘れ去られた日本人の身体感覚
ってやつに再注目されている時期で
HAPPYちゃん以外でも
身体論とか身体感覚、調整を
教えてくれる先生はたくさんいる
ただ、やっぱHAPPYちゃんの
アプローチっていうのが
”心”や”生き方”を
前提にしてるのもあって
理解の方向が違う
わたしも以前から身体論には
興味があったクチなので
ワークだけ見てると
「そんなの知ってる」という
エゴが出てきそうになるんだけど
身体の使い方を変えると
考え方、生き方まで変わる
という両面から教えてくれる人は
あまりいない
いや、いるにはいるんだけど
理解しづらいんだ
HAPPYちゃんは探求の深さと
言語化能力がズバ抜けてるので
言葉と動きから
最短距離で核心をついてくれる
で、昨日の背骨ワークの
アーカイブを見てて「あっ」って
思い出したことがあった
うちの亡き祖父
リアルな人間関係の中で
わたしが一番尊敬している人
100歳超えで亡くなる直前まで
短歌の先生をしていて
背筋もしゃんとしていて
考え方もしっかりしていて
いつも朗らか
まったく強そうに見えないのに
しなやかな
たとえ
理不尽なことをいわれても
感情的に怒っているのを
少なくともわたしは見たことがない
特に目立つタイプでもなく
一目置かれるような感じでもない
一見、ごく普通の人
客観的にみると
激動の人生を歩んでいるのに
まったく悲壮感がなくて
淡々と楽しそうに生きてるので
誰も同情しないの
(実の子どもたちですら 笑)
そんな祖父を両親や親せきは
軽く扱っていたのだけど
わたしは理由もわからず
めちゃくちゃ尊敬していた
それが背骨ワークを見て分かった
祖父は身体とともに生きている人だった
若い頃から
剣道と居合、詩吟をしていて
すべて全国大会に出場するくらいの
腕前だったらしい
剣道も居合も武道
”力み”で勝負するものではない
思い返すと
いつも緩んだたたずまいだった
それが生き方に現れていたのだろう
わたしが生まれたころには
武道はもう止めていたけど
詩吟はたまに聞いていた
ほんとに”ええ声”なんだ 笑
肚から響く振動だった
あの振動は
祖父の身体のみならず
聞いているわたしの内臓や骨まで
揺らしていたんだ
ちなみに囲碁も将棋も強くて
短歌は県の重鎮だった
子どもの頃は
「多趣味な人だなー」
くらいにしか思ってなかったけど
祖父は日本古来の身体と声を
日々培っていたんだ
だからあんなカッコよかったのか
仕事については
あまり知らないけど
大企業勤めで75歳超えでも
辞めないでくれと引き止められたとか
そういう時代だったのもあるけど
「おじいちゃん大事にされてるのね」
と思った記憶
晩年は子どもたちの希望で
しぶしぶ施設に入居したけど
モテてた 笑
きっと、祖父みたいな人
男女関係なく、
かつてはたくさんいたはずだ
一時期忘れ去られて
いままた思い出そうとしてるんだ
わたしは「粋な人」になりたい
ってずっと思ってて
でも「粋」が何なのか
ぼんやりしていた
でも分かった気がする
「粋な人」はきっと
身体とともに生きている人だ
HAPPYちゃんはそれを
分かりやすく的確に教えてくれる
ほんとaloness入っててよかったよ
14日のフェス、
たまに合宿配信をみて
「えー…ついていけるかな?」
みたいな不安が
未だに沸き起こるのだけど 笑
きっと大丈夫よね
その瞬間もその先も楽しみ