今回もaloness配信からの気づきを。
また本題とはズレます 笑
昨日、100人で「アイドルMOMED」をやってるのを見たら、その様子が、まあすごい。踊っているひとりひとりの感情が大爆発を起こしていた
HAPPYちゃん曰く、こんな大勢でやってるのに、全員が”内”を向いていたって
その場にいるのは、普通の会社員や主婦、社長夫人までいたらしい。基本は普通に一般社会で品行方正に生きてる人たち
でも、まったくそんな風に見えなかった。プロのエンタメ集団さながらに「これがわたしだ!!」っていう、力強さを見せつけられた。リアル「this is me」だ(映画知らないけど
でね、
こんな風になるなんてすごい!
見てる方も感動した!
こういう場所がもっと増えるといいよね!
みたいなことを、HAPPYちゃんもコメントの皆さんも言ってて
確かにその通り!
と賛成しながらも、
…ちょっと待てよ?
とも思ったの
芸術ってこういうことじゃなかったっけ?
内側に秘めた感情を表現したものが芸術じゃなかった?
わたしの中の代表選手は草間彌生ですよ
草間彌生、めちゃくちゃ苦手なんだけど 笑
得体の知れないすさまじいエネルギーを感じて、見ていると苦しくなる。ホラー映画みたい。それはある意味、草間彌生の芸術をしっかり受け取ってるということでもある
別の芸術家の展覧会では、憎悪とか闇がすさまじくて体調が悪くなったこともある
逆に、みんなが素通りする名もなき絵画に異常に惹かれて癒されることもある
友人は、ある世界的名画を1人で見たとき、引きずり込まれそうになって、とっさに逃げたんだって(わたしも知っている名画だけど、直接見たことはないし、そんなイメージがなかったので意外だった
こんな風に、良くも悪くも人が惹きつけられる芸術っていうのは、作者の感情が作品の中に閉じ込められている
強迫性障害の草間彌生にとって、作品作りはセラピーでもあるわけだ。強い負の感情を表現しているからこそ人の心を動かす。完治したら作風変わるよねきっと。それがいいのか悪いのか
でもさ、いまの芸術と呼ばれるもので、そこまでエネルギーを感じることってある?
もちろん、あるにはあるだろう。わたしが足を運んで会いにいってないだけかもしれない。そこは反省
でも大衆に示されるほとんどは、整理されすぎ、美しく整いすぎているように感じる
作る側も合わせすぎているのか、もてはやされるものが平坦に偏りすぎているのか、わかんないけど
昨日の100人MOMEDの中には絵描きさんもいたらしいけれど、絵にこの感情をぶつけないのかな、と不思議に思った
最近の言葉で「感動ポルノ」っていうのがある。そういのが出てきちゃうのも”現代ならでは”だよね。感動すらも沸き起こるものではなく、人工的になってしまっている
ほら、ここ泣くところだよー
感動するところだよー
って、うっせーわ! んなもん、自分で決めるわ! だよ 笑
そうじゃなく、そもそも作り手側が感動しているものを外に出したら、それに触れた側に勝手に響くものだろう
「感動」というのは、泣けるとか喜びだけじゃない、怒りも悲しみも全部そう
そして、万人ウケするものでもない
MOMEDがここまでたくさんの人に支持されるのは、それだけ人々が日常的に心を動かさなくなったからだ
家庭や会社でいちいち感情を爆発させていたら仕事にならないから、ある程度仕方ないんだけどね。それでも、昔の大人たちは、今より感情の発散は自由だったように思う。昔は”変な人”、もっといっぱいいたよ? 笑
MOMEDがいろんなところで開催されたら素晴らしいことだ。でも同時に、日々の抑圧が少しでも緩くなればいいよね。多少、感情的になったって許せる人間関係や社会にしたい
そして、アーティストは大衆ウケじゃなく、オンリーワンの感情爆発させてくれ。この世のアーティストは全員、岡本太郎とか草間彌生でお願いします
もちろん、あの激しいやつじゃなくても、奥底にある喜び悲しみ怒り、その人の中に渦巻いてるものを見せてほしいものね。賛否両論上等だよ
わたしも趣味でやってることがあるので、自分へのエールとしても書きました
感情、大事にしていこう