MOMEDライブから4日。

体調不良続いてる…予防

 

 

 

いろんな思いが巻き起こり

ひとつひとつ自分の中で

感じたことを書き起こすと

また新しい発見がありました。

 

 

 

結局、わたしにとって

MOMEDって何なのだろう?

ってずーっと考えてたの。

 

 

 

で、浮かんだのが盆踊り

 

 

 

子どものころに参加した夏祭りで

盆踊りに混ざったら

楽しすぎて1時間以上

バターになるくらい踊り狂って

 

ものすごい爽快感と一体感

があったのね

 

 

 

MOMEDは全然踊れないので

一体感までなかったけどね

踊れたらそんな感じなのかなあ

って思って。

 

 

 

盆踊りとMOMEDの共通点は

フリが簡単なこと。

 

 

 

誰でもすぐに踊れるし

プロとかあんまり関係ない

 

 

 

見せるためのものではなく

自分が踊るためのもの

みんなで踊るためのもの

 

 

 

沖縄のカチャーシーと似てる

 

 

 

アフリカンダンスだって

祈りとかが起源だよね?

 

 

 

フラメンコでは怒りを感じるし。

”見せる”イメージが強いけど

元はもっとシンプルだったのかな

 

 

 

HIP HOPだって

その土地の歴史があって誕生したっていう

 

 

 

ダンスって最初は全部

感情表現や祈り

 

完成されたものじゃなくて

全然いいんじゃん

 

って気づく

 

 

 

それがどんどん進化して、

今やSHOW要素の強い

ダンスが乱立してる中で、

MOMEDっていう原始のダンスがうまれた

 

 

 

MOMEDはすべての感情を

感じ切るダンス

 

 

 

他との決定的な違いはそこかな。

 

 

 

盆踊りは「月だーわーいお月様

くらいの緩い楽しさを感じても

怒りや悲しみはナイ

 

 

カチャーシーに「怒」を、

フラメンコに「楽」を感じない

(詳しくは知らないけど)

 

 

 

MOMEDは

真の意味で祈りの舞かも

 

 

 

豊穣の祈り、とかではないけど

身体=神なら

それを揺らして開放することは

祈りといえる

 

 

 

理想をいうと

その辺の道で音楽が鳴っていたり

楽器を鳴らしたりして

勝手に踊っていい雰囲気

ってのがいい

 

 

 

わざわざスタジオ借りて

有志だけが集まってやるんじゃなくて

みんなに開かれた

気軽なものになればいいね

 

 

 

ラジオ体操とか

どこぞの国の太極拳と同じように

公園でなんかやってて

興味のある人がフラっと参加できるような


 

 

 

あ、でもMOMEDは

踊りだけじゃなくて

その前の開放ワークもセットなのかな?

 

 

 

冷静なことをいうと

認知されて広まるほどに

もともとの意味はおざなりになって

形骸化していくのが

世の常だと思う

 

 

 

大事なのは形じゃなく

そのココロ。精神。

 

 

 

わたしは

MOMEDライブを満喫したけど

今んとこ「モメディアン」とかは

ピンときてない

 

 

 

それは盆踊りが楽しくても

「盆踊ラー」ではないのと一緒

 

 

 

 

・感情を開放して生きる

・その手段として身体をつかう

・人数が多いほどやりやすい

 

 

 

これさえ忘れなければ

いつでも戻れるはず