確かに、あのぷるぷるのフォルムは、クラゲみたいに海に浮いているとか、ゼリーみたいに粉に水を混ぜて作るとか、そう考えるのも、わかりますよね。
ちなみに魚が切り身で泳いでいると思っている子供がいるという危機的状況の昨今、「食べ物をスーパーから食卓に来るもの」と考えること自体が、まずい。
ということで、「都会と田舎をつないで日本を元気にしよう」を目標としているわたしたち、greensmile(毎度略すけど、グリスマね)は、12月15日、蒟蒻芋から作る蒟蒻作りを体験し、田舎の恵みに感謝するイベントを開催しました。

イベントの舞台は、耕作放棄地を開墾した1平米からのレンタルファーム「平米ファーム」を展開している東京都西多摩郡檜原村。去年の11月から毎月訪れる、グリスマの田舎界では、エースで4番的存在の村です。
檜原村は、東京都でありながら(島嶼部を除く)唯一の村であり、人口は2000人余り。東京の中心から一番近い“ど田舎”と認定します。
この村に、ハツエさんという、72歳の女性がいます。
ハツエさんは、グリスマメンバーにとっては、「伝説のハツエ」(※本名はハツヱらしいけど、タイピングしづらいのでハツエにします、ソーリー)。
なぜかというと、平米ファームの開墾に行けば、竹ハウス(グリスマの檜原村でのアジト)に「ハツエさんの野菜」が玄関に届く。
登山道を歩いてイタリアンレストランにたどり着けば、「ハツエさんの蒟蒻やお惣菜」が届く。
檜原村に移住して農業をやっている竹さんがいつも口に出す「ハツエさんは俺の農業の師匠」ってなことで。
ハツエーーーーーーー、あなたは、どんな人なんだ!!!
そんなフラストレーションがたまっている、私たちの間に、ある日、テレビとネット記事のニュースが飛び交いました。
「檜原村には在来の大豆である鑾野(すずの)大豆があって、それを守り続けている農家の女性がいる。名前は高橋ハツエ」
あのハツエさんだ!
なんと、今回の蒟蒻作り体験の先生を、お引き受けくださいました。
というわけで、私たちグリスマと仲間たち15人は、「伝説のハツエ」と濃く、楽しく、おいしい一日を過ごさせていただきました。

さぁて、自己紹介の後、さっそく蒟蒻作りスタートです。
まずは、蒟蒻芋の説明から。このごっつくて黒いコレ。土の中で、4年も5年も寝ないとダメだそうです。大きな芋から横っちょから枝みたいに生えたやつを切り取って、また土に埋めて、と、結構じっくり育つやつらしいです。

今回は、2キロほどの蒟蒻芋を使います。

洗って、皮をむきます。

ここからが大変! 当初ミキサーで、がががががががががーって、平成的に処理しようと思ったのですが、ミキサーを割ってしまうというアクシデントが。そこで、急きょ、おろしがねですりおろすことになりました。だけど、ハツエさんが娘さんのころは、ミキサーなんてなかったのだから、神の啓示です。文明の利器は使うなよ、と。はい。

蒟蒻芋は冷たい水の中ですりおろさないとNG。参加して、だまになっちゃうそうです。ええ、冬です。水冷たいです。だから、つらい作業です。

冷たさに耐えきれず、水に漬けずにすっていたら、ハツエ爆弾が飛んできました。必ず水のなかでやれと。そうですよ、楽しちゃだめですよ、Gちゃん! 新宿二丁目じゃないほうのお釜いっぱいに、すりおそした芋。これを今度は火にかけます。昔ながらのかまどでやります。薪を燃やして。
火は強ければいい、とキャンプファイヤー並みに火をぼーぼー炊いていたら、はい、飛んできましたハツエ爆弾。そんなに強くしなくてよいと。
かまどにかけてぐつぐつやることしばし。

この間に、他のお料理を習いました。檜原村の野菜の浅漬け、檜原村のゆずのお浸し、檜原村の豆腐と油揚げとさといもを入れたけんちん汁。とにかく、檜原村の田舎料理づくしで。
さといもの皮もみんなで協力してむきました。

お釜もいい感じにぐつぐついってきたので、かき混ぜます。ハツエさんの指導では、こうやれと。
こう。腰がどっかり据えられてますね、さすがです。

船頭さんみたいですけど。お釜の下の方からかき混ぜないと均等に混ざりません。

みんなで交代して、かき混ぜました。まるで、ねるねるねるねの魔女。蒟蒻って、結構手がかかります。
この後は、人畜無害な精製ソーダを混ぜ込みます。混ぜる量は、ハツエさんからきっちり教わりましたよ。

そして、また、ひたすら、ねるねるねるねは、ひっひっひ、ねればねるほど、チャーラッチャチャーーー(昭和の人間しか知らないか)。この後1時間半ほど、煮詰めないといけません。
ここで、平米ファームの視察に行きました。さぁ、乗った乗った。出発だー! (ポリスは読むべからず)

山間の檜原村の畑は、急斜面にあります。ご老体には堪える環境です。実は、ハツエさん、前述の鑾野(すずの)大豆も、このような急斜面で栽培しています。在来種のこの大豆は、戦後間もなく、ハツエさんの旦那さんが職場で一握りの大豆をもらって帰ってきたものでした。ハツエさんはお姑さんと一緒にこの大豆を育ててみました。大量栽培で刈り取りやすいように上の方に実がなるように改良された他の品種とは違い、この大豆は根の近くに実がなるので刈り取るのが一苦労。だけど他の品種との交配はせず、この土地だけで、何十年も、大事に育ててきました。この貴重な在来種で、今年は味噌や豆腐を作ってみるそうです。
話を平米ファームに戻しましょう。
冬。作物はどうなっているでしょうか。成長は遅いけれど、先月植えたソラマメの葉がのんびり顔で土の上に顔をだしていました。
!!! 「ラディッシュあったでー」
振り向くと、引っこ抜かれたラディッシュ。そして、マヨネーズを隠し持ってきたメンバーがいました。

世界で一番畑に近いサラダ。そりゃおいしいだろうよ。
この前、それぞれのオーナー看板を作ったので、それを据えました。

うん。いい感じ。グリスマの平米ファームらしくなってきましたね。それを見ていた初参加のAちゃん。

「わたしも、オーナーになります! 」
その一言で、はい、開墾けってーーーーーーーーい。
そう。このファームは、オーナーが増えるたびに、開墾し、広がっていくので。この度は人手もあることだし、と、3平米ほど開墾しました。おいしい蒟蒻が待っていますからね、これくらいの野良仕事はなんてことない。

あれ!?
ひとり、鍬じゃない人がいます......
畑視察の予定が、すっかり開墾になってしまった平米ファームですが、そろそろハツエさんの田舎料理もできているころかしら。畑を切り上げて、蒟蒻作りの舞台、竹ハウスに戻りましょう。
いやぁ、この後も、あんなことや、こんなこと、あんなものや、こんなものがあったのですが、ちょっと、昨日お土産でもらってきた蒟蒻を切って食べる時間になったので(というか、村での出来事を思い出していたら、わたしの腹の虫がグーっとなったので)、とりあえず腹ごしらえさせてください。
ということで、続きは、のちほど。
(文責:黒川豆)