Sun 250511 母の日/オジちゃん&オバちゃんの日を提案する/満開のカキツバタ 4672回
別に今さら言うまでもないが、今日は「母の日」。一昨日あたりから電車の中なんかでカーネーションを持った青年たちを見かけたし、先ほども地下鉄の中で小学校高学年ぐらいの聡明そうな女の子が、一本のカーネーションを大切そうにダッコして、真剣な表情で(おそらく)家路を急いでいた。
日本の子どもたちも、まだまだ満更ダメなわけじゃないのだ。やっぱりママないし母親はマコトに素晴らしい存在であって、こうやって5月の第2日曜日、「母の日」と言ふことになれば、コドモは素直に感謝の気持ちを伝えなきゃいかん。
もっともそのママないし母親であるが、今井君ほどの大ベテランになると、彼女たちの世代が「モト生徒」の諸君だったりする。今井センセが最初に駿台や河合塾で授業を担当した生徒諸君は、もうすでに40歳代の後半。代ゼミで今井センセの授業に夢中になってくれた諸君も、40歳代前半から30歳代後半になっている。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 1)
そういう諸君が立派なママないし母親になって、子どもたちから「おかあさん♡ありがとう」とか言われ、小さな花束をもらって半泣きになっている姿を思えば、かつて彼女たちの授業を担当した身としても、やっぱり何となく嬉しいのである。
むかしのセンター試験の英語だの、早慶上智の長文問題だの、難関国公立の英作文だの、ホンの25年ほど前まであんなに苦労し悩んでいた諸君が、よくここまで頑張って子供たちを育ててきたものだと思うと、さすがに感慨深いのは当然だろう。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 2)
「じゃ、オマエ自身はどうなんだ?」と問われれば、何しろ今井君の世代の日本人は多くが極めて恥ずかしがり屋だったから、なかなか「お母さん♡ありがとう」と素直に発言できないし、ましてや「カーネーション」などというのは、大都会の高級ママにしか似合わないような気がして、どうしても尻込みしてしまう。
むしろワタクシの母上は、年末に「シクラメンの鉢植え」を要求するのである。「母の日」と言ってお互い改まってやり取りするのはどうしても恥ずかしいから、クリスマスの季節になると「シクラメンの1つぐらい、もってこい」と命令口調の電話がかかってくる。
で、12月の末にデカいシクラメンの鉢植えを持っていったのを、シコタマ丁寧に水やりを続けて、驚いたことに3月になってもまだ花をつけていた。いやはやそれじゃ今さらカーネーションどころではないのである。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 3)
今井君がまだ小学生の頃は、母の日にも父の日にも、自作の「お手伝い券」を親にプレゼントするのが流行していた。
何しろ当時、子どものお小遣いは「1ヶ月:310円」というのが基本だった。1日10円あれば駄菓子屋での子ども同士の付き合いはなんとか成立したから、1ヶ月31日で310円、かなりのお金持ちでもその金額が相場。当時の日本はマコトに質素で質実剛健な国だった。
しかし1ヶ月:310円ではカーネーションなんか簡単には手が届かないから、「母の日」が近づいた子どもたちは、ワラ半紙を材料に青いボールペンで「お手伝い券」を手作りしたのである。
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「ワラ半紙」と言っても通じない世代が増えてきたようだから、こういうブログを書くのもなかなか厄介であるが、要するにクオリティの劣悪なコピー用紙だと思ってくれたまえ。昭和の昔、いや平成に入ってもなお、定期テストの問題用紙や解答用紙には、薄茶色のガサガサしたワラ半紙を使った。
「お手伝い券」は、たいていは縦3cm × 横5cmぐらいの長方形。ボールペンの点線で切り取り線をつけ、ハサミで切り取って使えるようにするのが普通だった。
「皿洗い券」「ゴミ出し券」「部屋の掃除券」「玄関の掃除券」「犬の散歩券」、そういうチケットを合計30枚ぐらい作って、「お母さん♡ありがとう」「お父さん♡ありがとう」みたいな照れ臭いことを言いながら、母の日&父の日のプレゼントに手渡すと、パパなりママなりがホロリと涙ぐんだ。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 5)
そういうチケットの中に必ずあったのが「肩たたき券」だった。もらったチケットをママ&パパが発行元の子どもに手渡すと、小学生の息子や娘がしっかり肩をたたいてくれるのである。工夫に工夫を重ねて「30回券」「50回券」「100回券」、いろんなチケットが母の日&父の日の家庭内を乱舞した。
ということは、昭和から平成初期にかけての日本のパパやママは、よっぽど肩こりに悩んでいたのである。我が母上&父上も、今井君が小学生の頃には盛んに「肩が凝った」「肩が凝った」と肩のあたりをグリグリさせ、「肩を揉んでくれ」「肩を揉んでくれ」と連呼していたように思う。
つまり今井君んちでは、肩はたたくものではなくて揉むものだった。何しろ流行だから、幼い今井君も「肩もみ券」を大量発行した。肩もみ券は当然のことながらインフレを起こし、破格の100回チケットをボールペンで乱発。おかげさまで幼い今井君の握力はどんどん向上した。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 6)
ああいうチケット制、今も健在なんだろうか。それとも「お手伝いなんかしている暇があったら、塾の宿題をサッサとやっちゃいなさい!!」なんだろうか。
何しろ今や東大&医学部専門の大学受験塾なんかでも、もう非常識と思われる量の宿題が課され、高校の授業中に内職して塾の宿題をやっている、マコトに嘆かわしい状況なんだそうだ。肩たたき券や肩もみ券なんかで握力を鍛えている場合じゃないのかもしれない。
さて今井先生は今や、「モト生徒たちが母や父として大活躍している」というほどの大ベテランに成長した。そういう大ベテランとして提案したいのが、こんな感激の日を「母」と「父」に限定しておくんじゃなくて、もっともっと広範囲に感激を拡大すべきだと言ふことなのである。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 7)
まず、①「伯母/伯父の日」。続いて②「叔母/叔父の日」。最後に③「先生の日」。以上3つ、もしかしたら「もうとっくにあります」なのかもしれないが、少なくともワタクシはいまだ寡聞にして存じ上げない。
諸君、aunt/uncleという存在は、少なくとも20世紀の半ばごろまでは、もっともっと大切にされ、もっともっと子どもたちの成長過程の前面で大活躍していたのである。
子どもが初めて都会に出る時、頼りになるのは「東京横浜のオジサン」ないし「大阪神戸のオバサン」であって、上野駅や東京駅や大阪駅にニコヤカに出迎えるのは、すっかり都会慣れした貫禄たっぷりのaunt/uncle。田舎の実家から届いた電報を手に、甥や姪の到着を今か今かと待っていてくれた。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 8)
ワタクシ、21世紀日本の余りにも急速な衰退は、aunt/uncleのパワー衰退と密接に関連しているんじゃないかと愚考する。オバもオジも、もうあんまり活躍しない。
それどころか「東京にaunt/uncleがいるんだけど、一度も会ったことがない」などという寂しい状況も少なくない。なぜaunt/uncleが活躍しないかと言えば、aunt/uncleとの交流の場が少なすぎるだ。
だから諸君、例えば7月の第3日曜日を「伯母/伯父の日」と決めようじゃないか。伯母/伯父とは、パパやママの兄君ないし姉君であるから、甥&姪としてもかなりの敬意が必要だ。
どうだい、伯父/伯母さんの中には誰か1人ぐらい、ちょっと知的な職業についている人がいるんじゃないか。大学教授・医師・弁護士・会計士・高校の先生・茶道の師匠・お琴の先生・一流企業の取締役・アーティスト。うぉ、そういう伯父/伯母さまに久しぶりに連絡して、丸1日付き合ってもらったら、甥&姪の人生にどんなにプラスになるか分からない。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 9)
「君は将来、どんな仕事がしたいんだね?」「君は大学で何を専攻したいんだね」「君たちは、どう生きるんだ?」。コーヒーやお茶のカップを手にしながら、ちょっとコワい伯父さまに、そう優しく問いかけられてみたまえ。素晴らしい日曜日になるんじゃないか。
和服をキチッと着こなした伯母さまに、能や文楽やオペラやクラシックのコンサートに連れて行ってもらうなどということになれば、甥っ子や姪っ子の緊張感はもう計り知れない。
何しろパパ&ママの兄上&姉上なのだ。パパ&ママの幼い頃の情けない失策もみんな記憶していて、それを思い出してクスッと笑いながら、「あの〇〇ちゃんもすっかり立派になったものね」などとおっしゃる。その「○○ちゃん」こそ、甥っ子&姪っ子自身のパパ&ママなのだ。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 10)
甥っ子&姪っ子がもしすでに成人であれば、能や歌舞伎を観た後は、いよいよ伯父/伯母さまの行きつけのバーか何かに連れて行ってもらえる。伯父/伯母さまの知性の一端が思い切り露わになるのが、バーのカウンターでの所作というか態度というか、その辺だ。甥&姪諸君、そりゃ素晴らしい夜になると確信する。
能楽堂の中を慣れた様子で闊歩する伯母さまの姿、女子大仕込みの古風な英語を見事に使いこなし、背筋をシャンと伸ばして街をゆく伯母さまの姿は、甥っ子姪っ子の憧れになるだろうし、海外生活の経験を知的な言葉遣いで語る伯父さまの笑顔を眺めながら、若い甥っ子姪っ子は将来の目標をグッと明確に見据えることになるだろう。
それが、今日の提案の②「叔母/叔父の日」となると、だいぶん様相が違ってくる。例えば11月の第4日曜日を「叔母/叔父の日」とする。しかし何しろ叔母/叔父とは、パパ&ママの弟や妹なのであるから、甥っ子&姪っ子にグンと年齢も近くなる。
ビシッと高級スーツを着こなした偉い伯父サマや、一分のスキもない和服姿の伯母サマの時の緊張感は、もはやそこにはない。パパ&ママに幼少期の情けない失敗の数々を熟知されている、「あの幼かった〇〇ちゃん」が、いま叔父&叔母として目の前にいる。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 11)
だから叔父/叔母、無理に知性的な感じを前面に押し出す必要はない。高級スーツじゃなくてセーターにジーンズでいいわけだし、「スキのない和服」どころか、姪っ子とそっくりのくだけた服装でいいだろう。ほとんど友達みたいな口調で話し合いながら、いつの間にか甥っ子や姪っ子のホントの悩みや苦しみを理解してくれる。
だから、ラーメン屋とかカフェとかでいいわけだ。若い諸君の志望校が、叔父ちゃんや叔母ちゃんの母校であったりすれば、20歳ほど年上のカッケー先輩として、有益か無益か分からないいろんなアドバイスをくれるだろう。1年に1回のそういう付き合いは、甥&姪にとってよりも、むしろ叔父叔母にとってこの上なく楽しい経験になるに決まっている。
どうだいワタクシ、照れくさすぎる母の日&父の日よりも、①「伯母/伯父の日」や、②「叔母/叔父の日」こそ、若者たちの成長に大きく寄与する1日になるんじゃないかと愚考するのだ。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 12)
例えば今日の写真は全て4月30日、東京・根津美術館のカキツバタのものであるが、あの日カキツバタが満開になった庭園に、それこそ一分のスキもない和服を着こなした「伯母さま」風の女性がいらっしゃった。
いやはや、ダラシない甥っ子たちがその場で厳しく一喝されかねない伯母さま。カキツバタの庭園を訪ねるのに、白い和服の帯はまさにそのカキツバタのデザイン。さりげなく日傘で初夏の陽光を払いつつ、悠然と庭園の散策を満喫していらっしゃった。
もしあそこに、例えば甥っ子2名&姪っ子2名、後ろからくっついて静かに笑いさざめきながら散策を満喫していたら、その後のコーヒーやらお茶席やらが、さぞかし素晴らしい知的刺激の場になったんじゃないか。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 13)
ワタクシは今もなお、aunt/uncleの存在の素晴らしさ、若者たちがその存在から受ける憧憬の価値を、心から信じているのである。
提案の③「先生の日」は、今のところ実現は難しそうだ。小・中・高、あらゆるステージにおいてワタクシは先生方の艱難辛苦を熟知している。実は予備校講師についても、同じように講師たちの艱難辛苦を熟知しているつもりであって、いつかどこかで「先生♡ありがとう」の熱烈な一言があっていいと信じる。
でも世の中には、残念なことにその熱い「ありがとう」を根こそぎダメにしてしまうような困ったセンセも少なからず存在し、何しろ世間はそっちの方にばかり気を取られてしまう傾向にあって、「ありがとうなんて、とんでもない」と、激しい失笑を買いかねない。
(4月30日、東京・根津美術館にて。庭園のカキツバタが満開を迎えていた 14)
しかし諸君、やっぱり卒業式の日以外にも、人々がこぞって「先生♡ありがとう」を恥ずかしそうに口にし、先生方も思わず目がウルウル、口もプルプル、先生も生徒もみんな涙をこらえるのに必死、そういう1日があったら素晴らしいと信じている。
もちろんその場合、「肩たたき券」も「肩もみ券」も「職員室掃除券」も必要ないのだ。黒板に先生をあっと驚かせるチョーク絵なんか描いてくれる必要もない。みんなでミカンかトマトか菓子パンでもかじって、「明日から、また頑張ろうぜ」と肩を叩き合うだけで十分なのだ。
1E(Cd) Larry Carlton:FINGERPRINTS
2E(Cd) Larry Carlton:DEEP INTO IT
3E(Cd) Four Play:FOUR PLAY
4E(Cd) Kirk Whalum:HYMNS IN THE GARDEN
5E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
8D(DMv) SWIMFAN
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