Sun 241222 芸術的板書か、例題を解いていくか/秋の思ひ出①「ニュー鳥ぎん」 4607回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 241222 芸術的板書か、例題を解いていくか/秋の思ひ出①「ニュー鳥ぎん」 4607回

 例えば英文法の授業をするとき、ワタクシはとにかくひたすら例題を解きまくるのである。90分授業で25問がスタンダード。3分半で1問ぐらいのペースで進めば、意外に速く進んで25問の終了も早く、用意しておいた「補充問題」までぐんぐん解けることも多い。

 

 あまり学力が高くない層の授業なら、もう少しゆっくり進むタイプの教材を作ることもある。しかしそれでも90分で20問は解き進む。4分で1問のペース、やっぱりこの場合も用意しておいた補充問題を、残った10分ほどの時間で活用する。

 

 例題を解きまくった方が、少なくとも眠くならない。このぐらいのかなりのハイペースで解説を進めれば、居眠りしている暇なんかなくなる。例題とは、言わば英語を勉強するための絶好のオモチャであって、どんな言語圏でも、子どもはオモチャで遊びながら言葉をスピーディーに学んでいくのである。

(秋の思ひ出① 東京銀座5丁目、「鳥ぎん本店」「ニュー鳥ぎん」に入り浸った秋だった 1)

 

 ただし、「いきなり問題を解くのはイヤだ」という生徒も存在する。代々木ゼミナールではずいぶん苦労した。高校生時代ほとんど英文法なんか勉強しなかった言わば「ゼロ」の状態で浪人した受験生がたくさんいて、「問題を解く前に、まず黒板に要点をキレイにまとめてほしい」と言うのである。

 

先生がキレイに板書してくれて、それをノートに書き写したい」、そういう生徒が講師室を訪れる。「無批判に板書を書き写して、それで実力がつくと思うのか?」と尋ねると、「でもゼロの状態で問題を解いたって、答えを書き写すだけで終わるんじゃないですか?」と、至極もっともな質問を返してくる。

 

 そういう生徒諸君が一番好きなのは、とにかく板書1枚に必要事項をキレイにまとめてくれる先生なのである。4半世紀前の代ゼミには、7色のチョークが常に備えられていて、それに蛍光チョーク4色を加えて合計11色、板書はマコトにカラフルになった。

(秋の思ひ出① 東京銀座5丁目、「鳥ぎん本店」「ニュー鳥ぎん」に入り浸った秋だった 2)

 

 先生方はどの科目でも「カラフルな板書」を競い合った。あんまり板書がカラフルだから、生徒の方は3色ボールペンでも4色ボールペンでも間に合わない。

 

 あのころ生徒たちに流行したのが、12色取り揃えた「ラッションペン」という細字ペンのセット。何しろ12色あるんだから11色板書には何とか間に合うのである。

 

 中には「白いチョークは使わないでください」「白いペンってなかなかないんで」と文句をつけにくる生徒までいた。そのぐらい、多くの生徒が無我夢中で講師たちの板書を書き写した。

(秋の思ひ出① 東京銀座5丁目、「鳥ぎん本店」「ニュー鳥ぎん」に入り浸った秋だった 3)

 

 世の中もよくなかった。「東大合格生のノートは必ず美しい」などというビジネス書が出るぐらいの時代で、「ノートがキレイ」ということの意味をはき違え、とにかくひたすら色まで揃えて先生の美しい板書を書き写した。

 

 すると講師たちはますます互いにライバル意識を燃え上がらせ、板書の美しさはすでに「言語道断」と言っていい域に達する。もう「板書」などというダサい言い方はしないで、「ボード」ないし「パネル」と呼んだ。やっぱりそっちの方が間違いなくカッケーのだった。

 

 世界史や日本史の講師たちは、時代と空間を一体化させて、それを「立体パネル」「立体ボード」などと呼んだ。講師室に詰めかけたファンの生徒たちに囲まれ、「次回の授業で、摂関政治から院政時代までを立体パネルにまとめてやるぞ」などと宣言すると、ファンの生徒諸君は拍手喝采したものだった。

(秋の思ひ出① 東京銀座5丁目、「鳥ぎん本店」「ニュー鳥ぎん」に入り浸った秋だった 4)

 

 そういうやり方が理系科目にまで蔓延して、化学や生物の先生も立体ボードだの4次元ボードだの、恐るべき板書があっちの先生からこっちの先生へ拡大、激しいボード合戦が20世紀末から21世紀初頭の予備校を席巻した。

 

 理社科で終わってくれればまだ安心だったその「ボード合戦」、まもなく我が英語科にも波及してきた。何と言うお名前の先生だったか、真っ赤な三ツ揃のスーツ姿で現れる3年目だったか4年目だったかの英語講師を、ファンとおぼしき男子生徒が3人とりまいて、「今回の五文型のパネル、よく分かりました」と騒いでいるのを目撃した。

 

 するともちろんのこと赤スーツ先生も満面の笑みで、「次回は不定詞と分詞を1枚のパネルにまとめてやるぞ」と答え、ファン諸君も「すっごい楽しみです」と喝采する。こういうふうだから、12色のラッションペンは必須。3色ボールペンなんかカチカチ言わせているのは、どうしても時代遅れの感があった。

(秋の思ひ出① 東京銀座5丁目、「鳥ぎん本店」「ニュー鳥ぎん」に入り浸った秋だった 5)

 

 そういう世の中を、どうやってこの今井君が生き抜いてきたのか、今でもちょっと不思議なのだ。今井君の平凡な板書は、基本として3色しか使わない。白と黄色と蛍光ピンクである。東進に来てからはそれに蛍光グリーンとか蛍光オレンジを加えることもあったが、ホントは3色にとどめておきたい。

 

 だって諸君、11色もあれこれ使ってカラフルにしたんじゃ、生徒がその科目にとても集中できないじゃないか。90分で25問の問題演習だって、ペンの持ち替えが忙しくて不可能になるじゃないか。

 

 予備校における立体的な板書の草分けは、おそらく平成初期の駿台予備学校・世界史エースだった関先生である。関先生は、授業の冒頭大きな黒板に長い1本の線を引く。その直線に上にマコトに見事に時代の移り変わりを描き出し、世界地図の空間と歴史の時代がいつの間にか立体的に描かれた。

(秋の思ひ出① 東京銀座5丁目、「鳥ぎん本店」「ニュー鳥ぎん」に入り浸った秋だった 6)

 

 そういう見事な板書を眺めて育ち、やがて予備校講師になった若者たちが、日進月歩の努力を重ね、その努力の積み重ねの結果、まさに芸術的パネルやら驚異の立体ボードやらが、ポコポコそこいら中に生まれていったのである。

 

 しかし今井君は、とにかくナマケモノ。パネル作りの膨大な努力なんかできないし、ボードやパネルの随所に描かれる可愛らしいイラストなんかを工夫するのもイヤ。ただ例題を可能な限り効果的に配置して、テキストの25問を解き終わった時には、その単元が100%理解できているように工夫するのは大好きだ。

 

 だから今井センセの授業の場合、生徒はボードもパネルも書き写す必要はない。ラッションペンどころか、3色ボールペンも不要。今井がテキストに並べた通り、ごく素直に楽しく例題を解いていけば、25問解き終わって、関係代名詞が完璧にわかり、仮定法が完璧にわかり、不定詞も分詞も動名詞も完璧にわかる。そういうふうに例題を巧妙に配置する。

(カレーももちろん貪った。お馴染み「銀座デリー」は「鳥ぎん」から徒歩5分。時にはタマネギたっぷり「コルマ」も試してみた)

 

 だから、2回か3回か4回か、今井の授業に出ているうちに、例題を解くことの効果を生徒諸君も実感する。ちっともボードをキレイにまとめてくれないけれども、ただ問題を解いているうちに何だか異様によく分かる。ダマされたかと思うほどよく分かる。こりゃいいや、こりゃ楽しいや、そういう実感がある。

 

 ただしそれでもどうしても「いきなり問題を解かされるのはイヤ」「キレイにまとめてくれなくちゃイヤ」という諸君は存在する。たまには「今井って、ただ問題解いてるだけじゃん」という陰口が聞こえてきたこともあった。

 

 遥かな遥かな昔、電通をヤメた直後にアルバイト気分で塾講師をしていた頃のことだが、よほど今井センセが嫌いだったのか、「先生って、テキストの例題を解いていくだけじゃないですか」と、授業中に面と向かって苦情を言われたことさえあった。

(カレーももちろん貪った。「コルマ」も試してみたが、やっぱり15年食べ続けた極々辛口「カシミール」がいい)

 

 あの時はまだ20歳代だったから、さすがに今井君も激しくムッとしたが、あのころ仕事をしていた埼玉県のチェーン塾では、「KB先生」というベテランの先生が人気。要するに久保先生というお名前であったが、保護者にまで強い信頼感が浸透していて、「KB先生のクラスがいい」「今井先生じゃ問題を解いてるだけだ」と、面白くない批判を浴びた。

 

 その後KB先生は確か長野県の中学教諭になって塾を退職されたはずだが、まさにKB先生こそ英語ボードやら英語パネルやらの達人であって、当時の中3生たちが一度今井君のところにKB先生の板書を写したノートを持参し、「今井先生もこういう板書でキレイにまとめてください」と言いにきたことがあった。

 

 いやはや、まるで参考書の「まとめ」ページのように、色とりどりに重要事項をまとめてあるのであった。ワタクシの意見は、「でもこれって、参考書のまとめのページを見ればそれで足りるんじゃん?」であって、生徒諸君は不満げに去っていった。

 

 KB先生は社会科も兼任、英語よりむしろ社会科のほうが人気があるぐらいだったが、その社会科のボードも見事。さすがにあれだけの信頼を集めた人だ、素晴らしい中学教諭になられたに違いない。

(うなぎももちろんいただいた。馬喰町の、ちょっとかわったうなぎ屋で、肝焼き3本いただいた)

 

 しかしその後の今井君もマコトに頑固。例題を巧妙に並べたテキストで「90分で25問」のスタンダードをどんどん進化させ、とうとうこんな大ベテランの年齢までこの世界を生き抜いた。例題をどんどんオモチャのように解いていくことで、実戦的な言語の運用能力を磨く。それが最も効果的でスタンダードな学習法と信じてやまない。

 

「他人の書いたものを無批判に書きうつす」という姿勢には、どうしてもある種の嫌悪感が拭えない。それで学力や運用能力や思考力が身につくとはどうしても思えないのだ。オモチャで遊ぶからこその思考力、問題を解いてみるからこその思考力、思考を積み重ねるからこその実戦力、ワタクシはそう考えるのである。

(うなぎでも、工夫を凝らしすぎてスタンダードを外すと、ワタクシは少なからぬ躊躇を感じる)

 

 例えば焼き鳥だって、やっぱりじっくり噛みしめたいじゃないか。キレイに工夫を凝らした絶品焼き鳥の写真を眺めて、写真をそのまま絵に描きうつして、それで旨いか?、それで栄養がつくか?、ワタクシの思いはまさにそこなのである。

 

 最もスタンダードな焼き鳥を、絶妙の順番で注文して、まだ熱いうちに次々と噛みしめる。英語の勉強を焼き鳥に例えるのを不謹慎だとおっしゃる人もいらっしゃるかもしれないが、それはむしろ焼き鳥に対する侮辱だ。焼き鳥の価値は、決して英語学習に劣りはしない。

 

 工夫に工夫を重ねた絶品でなくていいのだ。工夫しすぎた焼き鳥は、咀嚼も嚥下も難しい。スタンダードなものを、まだ熱いうちに、どんどん噛みしめて楽しく&おいしくいただく。諸君、「2024年秋の思ひ出」第1回には、こうして「東京銀座『ニュー鳥ぎん』のスタンダードな焼き鳥写真を採用することになった。

 

1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6

2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6

3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2

6D(DMv) KINGSMANTHE SECRET SERVICE

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