Sat 240706 ただいま大阪/昨日の公開授業は「ほぼ祭」の大盛況/5月の嵯峨祭 4546回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 240706 ただいま大阪/昨日の公開授業は「ほぼ祭」の大盛況/5月の嵯峨祭 4546回

 それにしても、最近の予備校は大人しい。講師のセンセもみんな大人しくお勉強を教え、生徒諸君もマコトに大人しく勉学に励む。

 

 センセは「ボクは雑談なんかしません。雑談で人気取りするぐらいなら、キミたちの成績を1点でも2点でも上げることを優先したいんです」とか、まさに大上段に振りかぶって、あとはひたすら教材の解説を続けるのである。

 

 そういうふうだから、授業は全く盛り上がらない。というか、生徒の方でも「盛り上がろう」という気概はほぼ持ち合わせていない。盛り上がっているぐらいなら、単語1つ、文法事項1つ、いやそれこそ「速読の仕方」「スラッシュリーディング」みたいなことに懸命になりたがる。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 1)

 

 では、それで目標通りに「成績が上がる」「学力が伸びる」かというと、どうもそうでもなさそうだ。共通テストの平均点を眺めても、そういう形跡は見られないし、一人一人の模試の成績を見ても、「ぐんぐん伸びている」「右肩上がりだ」と胸を張れるような人はグッと少数派。多くの人は伸び悩んでいるんじゃないか。

 

 ワタクシはマコトにふざけた人間だから、そういう実情を見ると「もっとどんどん盛り上がろうぜ」と熱いハッパをかけたくなる。1718歳の青年諸君が、そんなに大人しく成績向上ばかり求めている光景は物足りない。

 

 講師の諸君も同じことだ。30歳代の若いイケメン先生が、生徒たちを相手に哲学論も世界観も語らず、ひたすらテキストの解説に努めているんじゃ、魅力はあくまでイケメン止まり。どうしたってこのサトイモ親父を追い抜けないじゃないか。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 2)

 

 別に自慢するわけですが、サトイモ親父の教室だけは、常に別格に盛り上がっていますぞ。この正気とは思えない猛暑の真っただ中、夏の公開授業が始まって、大きなホールも小さな会議室も、サトイモ親父の登場とほぼ同時にボーボー真っ赤に燃えあがり、ちょっとやそっと水をかけても決して消えない熱い授業が続いていますぞ。

 

 20世紀後半から21世紀初頭にかけて、きわめて激しい予備校ブームがあり、この時期なら新聞もテレビも予備校の夏期講習の広告でいっぱい。駅は夏期講習のポスターに占拠され、電車の中も額面広告や吊り広告は夏期講習だらけ。青年諸君が朝から校舎の周りに長蛇の列を作って、人気講師の授業の開始を今か今かと待ち受けた。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 3)

 

 要するに、夏期講習はお祭りだったのである。お祭りなんかで成績が伸びたり学力がついたりするはずはないけれども、オミコシ代わりに人気講師をかついで大暴れ、それでモチベーションが上がらないはずはない。祭りが終わっても、山車を引っ張って全力疾走する勢いは、日常の勉強にも必ずつながるはずだ。

 

 諸君、そういうお祭りをせせら笑うのは簡単だ。木材を組み立て紙と布で飾り立てたオミコシや山車を指差して冷笑ないし嘲笑を浮かべ、「そんなニセモノの神様を拝んだって、お金も儲からないしゴリヤクだってあるはずないじゃないか」、その類いの言葉を吐き捨てて帰る、その程度の人は古代&中世にだってナンボでもいらっしゃった。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 4)

 

 ではその冷笑タイプの人々が幸福な人生を送ったかと言えば、いやそんなことはない。せめてオカネでも稼いだかと言えば、残念ながらオカネさえ手に入らないし、一生の友人も伴侶もできない。冷笑癖がついた人に、残念ながら熱い友人や伴侶ができるはずはないじゃないか。

 

 夏期講習は、一種のお祭りだ。冬期講習も直前講習もやっぱり一種のお祭りだ。お祭りなら熱く盛り上がる方がいいので、ソッポを向いて冷笑しながら何だかシコシコやっているのは、明らかに損な役回りというもの。諸君、ここはせっかく猛暑の夏だ。徹底的に盛り上がるしかないと思うのだ。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 5)

 

 いやはや、昨日7月5日の公開授業も激しく盛り上がった。会場は、大阪・鶴見区。東進移籍以来すでに20年、これほど全国行脚と東奔西走を続けてきたサトイモ親父にとっても、まさに初体験の土地である。

 

 大阪の背骨・地下鉄御堂筋線に乗っていて、心斎橋の駅に近づくと「長堀・鶴見緑地線はお乗り換えです」というアナウンスが入る。まさにその長堀・鶴見緑地線の終点近く、鶴見緑地の入り口というか端っこというか、そのあたりに存在する我々の校舎が会場だった。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 6)

 

 校舎内の自習室から机を全て取り払って椅子だけを並べ、まさに「スシ詰め」の状況。参加者は約100人ではあったが、何しろ長いコロナの世界で厳禁中の厳禁だったはずの「3密」が復活。3年前の現東京都知事なら、「3密は避けてください」と厳しい表情で指導なさる状況になった。

 

 もちろん、窓は開け放った。校舎内全てのクーラーを18℃に設定して、入口&出口には扇風機とサーキュレーターを大量に設置。冷たい風が室内をビュービュー吹きまくるような会場設定にした。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 7)

 

 しかし諸君、こりゃお祭りだ。久しぶりに「もうもうと湯気が上がり、湯気が教室内に立ち込め、メガネが白く曇るような熱気」「完全に椅子が足りなくなりました」の世界が復活したのである。2020年のコロナ発生から5年が経過。サトイモ大明神のサトイモ大祭が、ついに再開したのである。

 

 キャパ1000人の会場に500人が「一席空け」で大人しく居並んだのと、せいぜい60人の会場に100人近くがぎゅーぎゅーに詰めかけたのと、どちらが盛り上がるかと言えば明らかに後者だ。担当スタッフに「今日の写真をブログに掲載してもいいか」と尋ねたところ、本部にも問い合わせをしてくれて「OK」の判断が出た。

(7月5日、大阪鶴見のサトイモ親父祭り。湯気の上がるこの強烈な熱さが懐かしい 1)

 

 諸君、いま日本人は大人しすぎるのだ。みんな上品すぎて、お祭りさえ静かに上品に、あっという間に終わってしまう。「猛暑だから外に出ると危険」「だからオウチにこもっていてください、テレビのニュースでそんなに連呼されたら。そりゃ素直に従うしかないのかもしれない。

 

 でもそんなに大人しいと、山のクマさんまで心配して、「人間たちは大丈夫なんだろうか」と、思わずお山を下りて集落や村や町の様子を眺めにやってくる。ここは一番、若者諸君だけでも威勢よく水をかぶって外に出て、オミコシを担ぎ、山車を引っ張り、ダンジリをぶつけあって、クマどもをオドカシて山に追い返そうじゃないか。

 

 昨夜の大阪・鶴見では、このサトイモ親父がまさに率先して、クマどもを山に追い返す祭の基本を見せつけた。受講生諸君も、一人に与えられた約70cm四方の小さな空間の中で、若い肉体を懸命に揺すりながら今井ミコシを担いでくれた。今井ミコシ、またの名を里芋ダンジリ、走り出したらもう誰にも止められない。

(7月5日、大阪鶴見のサトイモ親父祭り。湯気の上がるこの強烈な熱さが懐かしい 2)

 

 そういうふうに書くと、まるで90分まるまる大騒ぎして終わったかのように思う冷笑マニアがいるかもしれないが、そんな会場で全身汗まみれになりながらも、サトイモ親父は最難関大学の長文読解問題をまるまる1題、見事に解説しきったのである。

 

 どのレベルの「汗まみれ」かというに、それは正直、あの場の興奮を共有した受講生諸君でなければ分からない。ハンカチ1枚がぐしょぐしょになったばかりか、シャツもびしょびしょ、ワイシャツもびしょびしょ、ネクタイはもう結び目が汗でギュッときつく固まって、解けなくなるほどなのだった。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 8)

 

 生徒諸君も同じだっただろう。机もない中、それでも懸命にメモをとりまくって大健闘、「もうもうと湯気が立った」というのは大袈裟でも冗談でもなくて、博多の山笠だって、津軽のねぶただって、岸和田のだんじりだって、なかなかあれほどの汗まみれが経験できるものではない。

 

 というわけで諸君、京都ではすでに祇園祭が始まっている。7月17日のクライマックス・山鉾巡行に向けて、1か月に及ぶ長い長いお祭りは、猛暑の中で着々と進んでいる。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 9)

 

 いや、その後も7月24日の後祭・山鉾巡行が続き、それどころか28日の夜にもいろいろド派手な催しが続いて、ホントに7月まるまる1か月、京都は祇園祭一色になる。

 

 いいじゃないか、いいじゃないか、古代&中世から延々1000年以上、我々はこんなにお祭りの真っただ中にいたのだ。21世紀になって、ついでに令和になって、いきなり青年諸君まで今みたいに大人しく冷ややかな嘲笑癖にとりつかれたんじゃ、そりゃクマさんも山から下りてくるわな。諸君の熱気と迫力でクマを追い返してくんろ。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 10)

 

 5月26日というのだから、すでに1か月半も昔のことになるが、ワタクシはまだ爽やかな初夏の京都に「嵯峨祭」を眺めに出かけた。愛宕神社と野宮神社の二基のオミコシが御旅所を出て、嵯峨清涼寺 大覚寺から嵐山一帯を巡行、600人の担ぎ手が渡月橋をわたっていく。こりゃたいへんなお祭りじゃないか。

 

 朝10時からオミコシを先導するのは、5つの剣鉾。龍鉾・麒麟鉾・澤瀉(おもだか)鉾・菊鉾・牡丹鉾の5つであって、鉾が揺れるたびに、鉾の先の鐘が爽やかな音を嵯峨の町に響かせる。山車で引く祇園祭の鉾と違って、この嵯峨の祭では、頑丈な腰帯をつけた人間が一人で重い鉾を支え、独特の足さばきで悠然と練り歩いていく。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 11)

 

 5つの鉾に続いて、獅子舞が道を浄めながら嵯峨清涼寺をめぐり、2基のオミコシは昼ごろに大覚寺に到着する。大覚寺では、神式のお浄めとご祈祷があり、仏式のお浄めとご祈祷もあり、嵯峨の町内をめぐりながら、午後の嵐山渡月橋まで続く。

 

 愛宕神社のオミコシは赤、野宮神社のオミコシは紫。野宮神社とは、嵯峨野巡りの出発点のあたり、竹林から常寂光寺まで外国人グループと修学旅行軍団とで真っ直ぐ前進することもままならない、まさにあのあたりに鎮座する小さな神社であるが、この紫のオミコシはさすがに勇壮だ。

    (5月26日、京都「嵯峨祭」の熱狂が懐かしい 12)

 

 元禄4年には、松尾芭蕉も見物したんだという。大きな辻ごとに高い「辻竹」が立ち(本日6枚目の写真参照)、マコトにおめでたい。7月のこの猛暑に比較すれば、5月の暑さはまだまだ穏やかなものだったが、オミコシをかつぐ人も、剣鉾を捧げ持つ人も、地元の人が中心の見物人も、みな朝から汗まみれだった。

 

 いやはや、お祭りはいい。もっともっと賑やかに、ナンボでもお祭りを続けたいものだと、ワタクシは熱望するのである。

 

1E(Cd) Luther Vandross:LUTHER VANDROSS

2E(Cd) Luther Vandross:DANCE WITH MY FATHER

3E(Cd) Luther Vandross:SONGS

4E(Cd) Luther Vandross:NEVER LET ME GO

5E(Cd) Luther Vandross:YOUR SECRET LOVE

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