Tue 240625 誕生日イブのゴゴゴ!!/大学入試は精選・精読・味読に戻すべきだ 4542回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 240625 誕生日イブのゴゴゴ!!/大学入試は精選・精読・味読に戻すべきだ 4542回

 我が誕生日が6月26日だから、今日は誕生日イブ、マコトにおめでたい1日である。ただしさすがにここまで人生のベテランになってくると、それこそ映画のタイトルではないが「何がめでたい?」と、思わず聞き返したくもなる。だってこの1年、まるっきり何にもしなかったじゃないか。

 

 コロナ前の15年間なら、海外での旅で毎年60日も70日も、思い切り踏ん張って過ごしていた。駿台での6年間も、その後の代ゼミの8年間も、こなした授業の数は驚嘆に値する。駿台の時代は一週間で50分授業を40コマ、代ゼミに移籍してからも一週間で90分授業を30コマ、それで丸1年ピンピンしていた。

(我が誕生日イブに、めでたく富士の勇姿を眺めてくれたまえ。ただし1ヶ月前、5月23日の富士である 1)

 

 そういう時代のことを思えば、忸怩たる思いがある。2023年の誕生日から2024年の誕生日イブまで、ワタクシがどのぐらい世の中に貢献できたかを思えば、諸君、いやはやマコトに情けなく、その不甲斐なさに思わず呻き声さえ上げたくなるのである。

 

 もちろん、ワタクシの影武者は大活躍しているはずだ。収録した映像授業の中の今井君は、相変わらず日本中の受験生諸君を鼓舞し続けている。それを一応「影武者」と呼んでおくが、誕生日イブを迎えてつくづく思うのは、「影武者ばかりに任せておけないな」と言ふことである。

(我が誕生日イブに、めでたく富士の勇姿を眺めてくれたまえ。ただし1ヶ月前、5月23日の富士である 2)

 

 こりゃそろそろナマ今井が再び登場して、日本中でまた暴れ回る時期がきているんじゃないか。山の巨岩に封印された大魔神がゴゴゴ、ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴ、巨悪を思うさま踏み倒して歩み始めるような、そういう瞬間が迫ってきているんじゃないか。

 

 ワタクシは、共通テストが大キライなのである。普通の高校教育をマジメに受けた受験生にはとても読み切れないような大量の英文を与え、量で動揺させておいてツマラン選択肢問題でひっかける、そんなクオリティの低い試験が、21世紀の日本の青年たちを追い詰め、疲弊させ、精神を傷め続けている。

(我が誕生日イブに、めでたく富士の勇姿を眺めてくれたまえ。ただし1ヶ月前、5月23日の富士である 3)

 

 共通テストのもともとの狙いは、「論理的思考力を試す」だったはずであり、「思考力と判断力を診断する試験」でなければならないはずだった。しかし2021年、2022年、2023年、2024年、共通テスト英語のいったいどこが、論理的思考力や判断力を試す試験だったというのだ?

 

 要するに、文章の量で慌てさせ、動揺したところで下劣なワナにかける。むかしの時代劇で定番の悪役たちさながらの戦術だ。昭和ならショッカー」、平成なら「ハートレス」、古い時代劇なら竹藪の暗闇で襲ってくる伊賀に甲賀の忍者連。共通テストはいつの間に、闇の軍団に成り下がったんだ?

(5月23日、京都伏見「鳥せい本店」を再訪。あんまり何度も行き過ぎて、店がキライになりそうなほどだ 1)

 

 マスコミの諸君も、全然その辺を批判しない。普通の教育を受けた高校生にはとても読み切れない量の長文を出題する方針を、批判するどころかむしろ尻ウマに乗って喝采しているようでさえある。

 

「論理的思考力を試す」「思考力と判断力を試す」というなら、英文の量はむしろ控え目に、じっくり&ゆっくり&しっかり読んだ上で、落ち着いた深みのある「少数精鋭」とも言える設問を作成し、「どうだ受験生諸君、ひるまず挑んできたまえ」と、宮本武蔵よろしく余裕の笑みを見せるべきなんじゃないか。

 

 英文の量は完全にショッカー集団、設問のクオリティはハートレス並み。はっきり言えばこんなの、人間らしい能力よりもAI的大量&高速処理能力を求めているようにしか思えない。大学を、人間の楽園ではなくAIの天国にしたい悪の集団が、どこかでトグロを巻いてるんじゃないか。

(5月23日、京都伏見「鳥せい本店」を再訪。あんまり何度も行き過ぎて、店がキライになりそうなほどだ 2)

 

 だとすれば、今井君みたいな太古のサトイモ大魔神がゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ、封印されていた古い岩壁を崩壊させてゴゴゴゴ、ハートレスやショッカー軍団を懲らしめに出現する時期が迫っている。ショッカー軍団のトグロ、許すまじ。ハートレス集団の悪だくみ、許すまじ。その叫びを上げる時が来ている。

 

 諸君、ビジネスパーソンのための英語民間テストと、大学で学ぶための英語力試験とは、クオリティが全く違うはずだ。大学での勉強で必要な英語読解力と、ビジネスで使う英語力とを混同してはならない。観光客の道案内で必要な英語力と、論文を正確に読む英語力のクオリティは全く別だ。

(5月23日、京都伏見「鳥せい本店」を再訪。あんまり何度も行き過ぎて、店がキライになりそうなほどだ 3)

 

 その辺を理解できない人々が、塾や予備校の英語の授業をさえ激しく歪めている。彼らは、「量さえこなせばそれでいい」と誤解する。かつての優れた教師たちは「精選」という言葉を大切にした。精選に精選を重ねたテキストを深く深く精読&味読することを何よりも大切にした。

 

 優れた教師が精選を重ねた選り抜きの文章を、真摯な態度で精読&味読することにこそ英語学習の神髄があるのであって、AIやら3流のライターやらが書き殴った乱れた大量の文章を、ごまかし&ごまかし混乱した精神で読みまくっても、決して論理的思考力なんかは身につかない。

(京都伏見は、坂本龍馬の街でもある。竜馬通りの看板もマコトに派手に並んでいる)

 

 いったい誰が、英語教育をこんなにダメにしたんだ? そう問いかけた時、ふとワタクシは「それは大ベテランたるオマエ自身が、怠け放題に怠けていたせいなんじゃないか?」と言ふ、自らの心の声に慄然とするのである。

 

「オマエが何の努力もしなかったせいじゃないか」。いやはや確かに、ワタクシは怠け続けていた。何もしないで、しかめ面で腕を組んでいるだけ、誕生日イブであるからこそ、そういう怠け者の自らを激しく叱責したくなるのである。こりゃそろそろ「ゴゴゴゴ」をやらなきゃいけないんじゃないか。

(5月23日、京都伏見「鳥せい本店」を再訪。あんまり何度も行き過ぎて、店がキライになりそうなほどだ 4)

 

 ワタクシはもともと、クオリティの低い商品の大量消費は大キライ、そういうタイプなのだ。納得のいく商品を選りすぐって、徹底的に使い倒す。靴でも鞄でも、スーツでも時計でも、ポリシーはあくまで精選・精読・味読の繰り返し。人間関係だって同じことだ。

 

 英語でも同じことで、世界の未来を託すべき青年諸君に真剣に取り組んでほしいのは、20世紀と21世紀の精神世界を代表するような、優れた英文の精読と味読なのである。共通テストに出題されている類いのコドモだましのデータ処理なら、今やロボットやAIがナンボでもやってくれる。

(5月24日、京都宝ヶ池のひだまりに、亀さんたちが仲良く1列に並んでいた。亀は万年、マコトに縁起がよろしいな)


 ま、そういうわけで誕生日イブ、今井君は燃えに燃えている。ナンボでも熱い授業がしたい。本日ただいまから今井君は、前代未聞にバシバシ、まさに年甲斐もなくバシバシ、一切の時間の無駄を省きつつ「ゴゴゴゴゴ」を実現することにしたいと、ホントに真っ赤に燃えている。

 

「年甲斐もなく」と書いてふと、自らの不甲斐なさを思うのである。不甲斐ないと書いて「ふがいない」。語源を辿れば、「言ふ甲斐なし」であって、「言葉にする意味もないほど情けない」の意味。45歳を過ぎてからの今井君の日々は、まさに「言ふ甲斐なし」の惨状を呈していた。

(京都伏見の名店、ササキパン。午後の遅い時間帯に訪問。すでに売り切れのパンが多かった)

 

 同じ言葉を「腑甲斐ない」と書いてもいい。こちらは「腑ぬけ」から派生した言葉で、腑とは「臓腑」のこと、ポンポンから大切な臓腑がみんな抜けてしまえば、肉体にも精神にも力が入らない。

 

 大事な臓腑がみんな抜け落ちたみたいなヤツを腑抜けと呼び、だから腑甲斐ない、まあ当て字であるが、誕生日イブのワタクシにはズンと重たく響く言葉だ。

(京都岩倉、青もみじで名高い実相院。すぐ近くでクマの目撃情報があった)

 

「不甲斐ない」「腑抜け」の類義語としては、だらしない・甲斐性がない・度胸がない・腰抜け・根性ナシ・卑怯もの・coward・もどかしい・弱気・怯懦・へなちょこ・ぶざま・弱虫・へっぽこ・惰弱・軟弱・小心・弱味噌・ぬるい、その他マコトに厳しい言葉が並ぶ。

 

 いまや引退ぐらい考えてもいいぐらいの年齢になった今井君が、誕生日イブにこんな厳しい言葉を自らに浴びせかけるのであるから、今の怒りの激しさを、ぜひ諸君も感じ取っていただきたい。何しろ「ゴゴゴゴゴ」寸前の楕円サトイモ大魔神なのだ。

(京都伏見「鳥せい本店」で、デザートがわりのお豆腐をいただく。オイシューございました)

 

 そもそも、今から15年も昔の2008年6月5日、まだ若々しい今井君がこのブログを始めた時に、今井君はすでに引退のことを思っていたはずだ。「少し疲れてしまった」「しかし、それでは寂しいのだ」とあの日の若き今井君は書いた。今でもなお、「しかしそれでは寂しいのだ」の思いは変わらない。

 

 それではそろそろ「ゴゴゴゴゴ」、封印された山の岩盤が少しずつ崩れ始めている。ワタクシがここからどんな活躍をするか、できるか、自分でも想像はつかないが、誰でも誕生日イブにはこんな気持ちになるはずだ。そしてその気持ちが長持ちすることは、滅多にないことなのだ。

(確か「デザートがわりのお豆腐」だったが、、その後さらに〆の「鶏そぼろ丼」をいただいた。オイシューございました)

 

 そういう滅多にないことを、どうやって実現していくかといえば、やっぱり何といってもメシが大事。本日の写真は、まず5月23日の春の富士、こりゃ間違いなく縁起がいい。ついでに京都伏見「鳥せい本店」の焼き鳥どんたちの勇姿も載せておく。

 

 冗談でも何でもなく、誕生日から先のホンモノの「ゴゴゴゴゴ」には、鳥でも豚でも牛でも、イノシシでもクマでもシカでもヒツジでも、とにかく肉をワシワシやるのがベスト。ワタクシはこれからも食べまくりますぞ。明日は、うなぎ行きますかな。ヒレカツ? それとも、真っ黒な極辛カレー?

 

1E(Rc) Backhaus:BACH/ENGLISH SUITE・FRENCH SUITE

2E(Rc) Walter & Columbia:HAYDN/SYMPHONY No.88 & 100

3E(Rc) Collegium Aureum:HAYDN/SYMPHONY No.94 & 103 

4E(Rc) Solti & London:HAYDN/SYMPHONY No.101 & 96

5E(Rc) Ewerhardt & Collegium Aureum:HÄNDEL/オルガン協奏曲

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