Sat 240511 上野の街の変遷を思う/春シリーズ締めくくり/墨堤散策/言問団子 4526回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 240511 上野の街の変遷を思う/春シリーズ締めくくり/墨堤散策/言問団子 4526回

 いやはや世の中は恐ろしい。何だかよく分からんが「太陽フレア」と言ふものが爆発だか何だか、要するに「ボン」「ボン」「ボン」を何連発だかやっちゃって、それで地球にも、日本にも、いろんな影響があるらしい。

 

 もちろんワタクシはたいへん楽観的なオジサマなので、「ならばオーロラを見にいこう」と思いつく。北欧やカナダまで行かなくても、低緯度の地域でもオーロラが見られる可能性があるならば、東京にだってチャンスはあるはずだ。

 

 だからワタクシ、今晩から2日か3日は深夜のトーキョー散歩を敢行する。深夜の渋谷区は治安もなかなか心配だが、「不審人物」という話になれば、この今井君が一番危険な感じ。警察のダンナに「こんな時間に何してるんですか?」と不審尋問されて、「ちょっとオーロラを見に♡」で許されるかどうか、ちょっと不安ではある。

(3月下旬から4月上旬は、寂しく東京を散策して過ごした。墨堤「言問団子」、オイシューございました 1)

 

 しかもワタクシの深夜の散策コース、意地悪な人が見れば「徘徊コース」であるが、数日前にタワマン・ストーカー系殺人事件のあった西新宿の現場近くを通るのである。不審尋問がコワい。ボーシをかぶるか、やめとくか。いやはやこの世は生きにくい。

 

 そうかと思えば、イタリアの大会で勝利したばかりのジョコビッチどんが、観客のサインの求めに応じていたところ、頭上の観客席からステンレスの水筒が落下、頭に思い切りクリーンヒットしてうずくまっちゃった。

 

 無事だったらしいからいいけれど、37歳になってもなお向かうところ敵ナシのスーパー王者といえども、頭上から降ってくる水たっぷりの重量感あるれる水筒が相手では、そりゃ防ぎようがない。諸君、身の回りにはナンボ注意してもしすぎということはないのだ。

(春の東京散策シリーズ、3月30日、眼科クリニックの帰りに代々木駅前「かつや」でヒレカツを貪る)

 

 世の中がこんなに恐ろしいから、ワタクシの生活する東京もまた恐ろしい。西新宿で発生したタワマン・ストーカー系殺人なんか、現場はワタクシの深夜の散策コースから500メートルほどの地点だ。

 

「東京・上野」が、どうもキーワードなんじゃないか。6人が共謀したことになっている凄惨な殺人事件だって、元はと言えば上野の周辺での諍いがキッカケ。西新宿の事件も、上野のガールズバーでの諍いがキッカケだ。

 

 どうも上野、坂を上がった美術館・博物館・東京文化会館あたりはいいけれども、御徒町に向かって坂を下りていったあたりの繁華街の状況を、ちょっと考え直したほうがいいのかもしれない。

(春の東京散策シリーズ、久しぶりの東京なら、何といっても「銀座デリー」の極辛♡カシミールカレーを貪らなきゃいかん)

 

 上野と言えば、20世紀までは上京してきた秋田人や山形人が初めて見る「憧れの東京」だった。青森や岩手や宮城の若者が、夜行列車で早朝の上野に着けば、まだ眠い目に映画館とレストランと喫茶店がズラリと並んで、「オラたち、こんなスンゲー都会で無事に暮らしていけっぺかな?」と、互いに蒼ざめた緊張の顔を見合わせたはずだ。

 

 今はすっかりオシャレな埼玉・群馬・栃木・茨城の諸君だって、ホンの20年前までは、通勤電車も通学電車もみんな「上野ゆき」。終点・上野で頑張って山手線や銀座線や日比谷線に乗り換えなきゃ、大手町なり銀座なり霞ヶ関なり、ホントの都心に行き着くことは出来なかった。

 

 だから、上野は繁盛した。北の街に帰るサラリーマンは、みんな上野の駅前で一杯ひっかけてから、常磐線や高崎線や東北本線の中距離電車に乗った。20世紀には、「宇都宮線」などという呼称は存在しなかった。始発駅上野を出れば、福島・仙台・盛岡・青森、遥かな北国に向かう「東北本線」しかそこにはなかったのだ。

(春の東京散策シリーズ、長い列に30分並んでも、神保町「三幸園」を繰り返し訪問しなきゃいけない 1)

 

 上野の衰退は、40年昔の東北&上越新幹線の開通もさることながら、この10年一気に進行した「上野素通り」ないし「上野パッシング」が原因だろう。今や上野では、普通のサラリーマンは下車する必要がない。

 

 すでに上野は降りる駅ではないのだ。みんながパスする駅であって、コドモたちは「どうして新幹線がみんな上野に止まるの?」とパパに尋ね、30歳代ぐらいのパパやママなら、やっぱり上野の過去の栄光を知らないのである。

 

 だって北からの中距離電車は、みんな東海道線に直通の「上野東京ライン」に変身し、東京を経て横浜に向かう。「北からの列車は全て上野が終着」だった記憶は、人々の記憶からマコトに急速に薄れつつある。人々の記憶が薄れていく速度は、どうやら我々が思っているよりも遥かに速いのである。

(春の東京散策シリーズ、長い列に30分並んでも、神保町「三幸園」を繰り返し訪問しなきゃいけない 2)

 

 そうやって過去のヒーローがあまりに急速に力を失ってしまうと、いろんな弊害が生まれてくる。ワタクシは10年ぐらい前まで、上野と御徒町にいくつも店舗を連ねていた「大統領」という名の店での昼飲みを楽しみに上野の美術館に通ったものだが、どうも上野の街の雰囲気がコワくなって、美術館からさえ足が遠のいた。

 

 予備校講師についての記憶なんてのも、30年も40年もしつこく記憶している今井君がむしろおかしいので、今や伊藤和夫と言っても、奥井潔と言っても、鈴木長十と言っても、知っている受験生は驚くほど少ない。というか、ゼロに近い。かつて「英語の神様」と呼ばれた3人衆なのに、である。

(春の東京散策シリーズ、長い列に30分並んでも、神保町「三幸園」を繰り返し訪問しなきゃいけない 3)

 

 20世紀の駿台♡数学で「3N」と言えば、知らない者はいなかった。言うまでもなく野沢・根岸・中田であって、それに長岡亮介を入れて「4N」という呼称もあったが、2024年の受験生で彼らの名を全て知っている人って、果たして存在するんかいな?

 

 その4Nに秋山仁(本日も全て敬称略といたします)や山本茂年が入ってきたり、いろいろクンズ&ホグレツがあったけれど、みんなみんな上野始発&上野終着の北行き中距離列車よろしく、人々の記憶からどんどん遠ざかっていく。

 

 と言ふことは、この今井君というか今井センセというか、勇ましい楕円球アタマの高級オジサマについても、あと30年もすれば

「それって誰?」どころか「それって、何?」と、ヒト扱いではなくモノ扱いの対象となっているに違いない。

(春の東京散策シリーズ、長い列に30分並んでも、神保町「三幸園」を繰り返し訪問しなきゃいけない 4)

 

 ワタクシも、諸行無常というか盛者必滅というか、人の世の無常を感じ取ってしょんぼり、西の空に沈んでいく夕陽に向かって手を合わせ、六波羅蜜寺の平清盛像みたいにウツロなお目目で来世のことを夢見ることにするしかなさそうな気がする。

 

 しかし諸君、そうは問屋が卸さない。今井君はまだまだ圧倒的に元気であって、むしろ「さあ今こそホントの人生が始まろうとしている」ぐらいの気概でパンパン、今にも弾けそうな勢いだ。

(3月末の墨堤を散策して、「言問団子」から「長命寺」へ、背後にスカイツリー。快晴から、いきなりの雷雨へ。熱帯の夏のようなお天気だった)

 

 今井君なんかがそんなにキンキンに張り切っていたんじゃ、これから出世しようとする青年たちの邪魔になるかもしれないが、いやいやそんなことはない。すげー邪魔なヤツがこうやって頑張っているからこそ、それを踏み越えていこうとする若者が鍛えられるんじゃないか。

 

 だから、まだまだ本も書く。参考書で勉強する受験生が激減していると言うのであれば、参考書以外のところでナンボでも工夫が出来るはずだ。全国の関係者の皆様には、どんどん遠慮なく講演会&公開授業を企画していただき、要するにナンボでも今井を呼びつけてほしいのだ。あたしゃ、いつでもどこでも行きますよ。

(3月下旬から4月上旬は、寂しく東京を散策して過ごした。墨堤「言問団子」、オイシューございました 2)

 

 さて、長々と書き連ねてきた「2024早春シリーズ」の記録であるが、前回の広島&山口訪問でとりあえずオシマイと言ふことになった。

 

 広島から帰京して、3月20日には朝から横浜、夕暮れから千葉市幕張、そういう強烈なダブルヘッダーもあったが、まあそのぐらいは軽々とこなして当たり前、「何なら朝と夕暮れの間にもう1本はさんで『トリプルヘッダー』はいかがですか?」というのが、今井君の普段のスタンスなのである。

(3月下旬から4月上旬は、寂しく東京を散策して過ごした。墨堤「言問団子」、オイシューございました 3)

 

 しかしまあ、終わっちゃったものは終わっちゃったで、もうどうしようもない。3月下旬の10日間ほどは、あまりに楽しかった早春シリーズを懐かしみながら、つまりは「ロス♡」と言ふことであるが、呆然とした思いで東京都内を日々散策したのである。

 

 それこそ、上野の付近を呆然を歩き回ったこともあった。表参道から地下鉄・半蔵門線に乗って、神保町を過ぎ、大手町を過ぎ、錦糸町を過ぎて、昔は東武伊勢崎線だけの駅だった「曳舟」で降りた。目の前にはスカイツリーがあって、隅田川沿いの桜を眺めるには格好の快晴の日だった。

(長命寺さくら餅。さすがに老舗だ、定休日なのに周囲は桜餅のカホリに包まれていた)

 

 曳舟から東向島の方向に墨堤を目指せば、そこはもう永井荷風「濹東綺譚」の世界。東向島の駅は、かつて「玉の井」の駅名だった。遥かな昔の話とは言え、この場で深入りはしないでおく。「濹東綺譚」、関心のある人はぜひ図書館でどうぞ。

 

 30年前、1992年に映画化もされているので、古くさい活字のキライな人は映画でどうぞ。津川雅彦・佐藤慶・乙羽信子・浜村淳・杉村春子・宮崎美子、おお、昭和のオールスターキャストだ。

 

 新人として、墨田ユキが主演。隅田川が舞台だから「墨田」、主人公の名がお雪だから「ユキ」、鳴物入りで登場の新人だったが、その後の出演映画は、舘ひろし主演の「免許がない!!」ぐらい。いやはや、世の中はマコトに難しい。

(浅草から大汗をかいてたどり着けば、「銀座ライオン」の冷たい黒ビールほど旨いものはない)

 

 散策すること15分ほど、墨堤こと隅田川の堤防に出ると、「言問団子」の看板が見つかった。散策の目的は、このお団子。「花より団子」のモトになった団子とは、おそらくこの団子なのだ(と思うし、「諸説あります」でござるよ)。

 

 団子を3個(本日1枚目の写真参照)、大急ぎで貪りながら、ワタクシは人形浄瑠璃・文楽で人気の演目「団子売」のことを思った。若々しい夫婦、お臼(おうす)と杵造(きねぞう)の2人が、2人で力を合わせて団子を作る場面である。

 

「臼と杵」と言えば、ある一定の年齢以上の読者は何を意味しているか分かるだろうが、臼と杵との熱心な共同作業の末に、見事な団子がたくさん出来あがる。豊かな江戸期の庶民の明るい笑顔が見えるようで、マコトに楽しい舞台。若い諸君も、難しいものと勘違いせずに、どんどん文楽を観にいこうじゃないか。

(黒ビールのオトモは、熱いグラタン。ヤケドしそうな舌を、冷たい黒ビールで冷やしながら、平らげるのに10分もかからない)

 

 あの日のワタクシは、3つの団子を10分ほどで平らげた後、墨堤沿いにしばらく南下、突然の雷雨に驚いて、一気に隅田川を西に渡って浅草に出た。

 

 浅草は、まさにオーバーツーリズム。日本語なんか全く聞こえてこない。意外なことに、英語も中国語もすでに劣勢。東南アジアのさまざまな言語が縦横無尽に飛び交って、それに中南米からの人々のスペイン語が混じる。たまに日本語が聞こえてくると、それが外国語みたいに錯覚するから不思議なものである。

 

 当初は浅草「神谷バー」で一服しようと考えていたが、この有様にさすがの今井君も浅草をパス。外国の人々で超満員の銀座線に乗り込み、一気に銀座を目指した。

 

 しかし浅草から上野を経由して銀座に至る道のりも、まさにオーバーツーリズムの真っただ中での悪戦苦闘。大汗をかいて銀座に到着、馴染みの「銀座ライオン」に腰を据え、何度も何度も「いやはや」「いやはや」を繰り返したのだった。

 

1E(Cd) Kenny Dorham:QUIET KENNY

2E(Cd) Max Roach:DRUMS UNLIMITED

3E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION

4E(Cd) John Coltrane:AFRICA/BRASS

5E(Cd) Kirk Whalum:COLORS

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