Mon 240325 寒い日の続く東京で/我がジビエ史/また「畑かく」でイノシシ鍋 4507回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 240325 寒い日の続く東京で/我がジビエ史/また「畑かく」でイノシシ鍋 4507回

 いやはや、東京は寒い。来る日も来る日も冷たい雨が降って、せっかくの春休みなのに外出する気もなかなか出ない。この数年というか十数年、あんまり春が早く来るので、温暖化の心配ばかりしていたが、3月も下旬になってこんなに寒いんじゃ、温暖化を忘れてナベ物を貪りたくなる。

 

 今年は、2月が異様に暖かかった。暖かかったといより、むしろ暑かった。梅が2月初旬に咲き始めて、「こりゃ桜も3月半ばにはみんな散っちゃうかも」と心配するぐらいだった。東京でも京都でも大阪でも、たくさんの欧米男子が半袖のTシャツで闊歩していた。

(2月3日、京都鞍馬口「畑かく」でイノシシ鍋を満喫する 1)

 

 だからワタクシ、3月下旬から4月の予定を立てる時にも、最初は3月下旬を京都の桜に設定していた。「こんなに暑いんじゃ、3月下旬には吉野山の桜も満開になるだろう」「京都仁和寺の御室桜だって、4月初旬には花吹雪だろう」と考えていた。

 

 しかし諸君、東京の桜のツボミはちっとも開いてくれない。ギュッと固く縮こまって、冷たい雨に震えている。「いつ咲くんですか?」と問いかけることさえ、憚られるぐらいである。仕方がないから今日のワタクシは、これから熱燗を3本か4本、銀座か八重洲に飲みに行くことにした。

(2月3日、京都「清荒神」。「きよしこうじん」と発音する。節分会では、青竹に入れて温めた日本酒を振るまってくれる 1)

 

 思えば、こういう冷たい春も少なくないのである。若き今井君が学部を卒業して電通の入社式を待っていた年も、3月末は来る日も来る日も雨だった。3月31日、入社式前日も冷たい雨が降って、今井君は仕方なしに千葉県松戸駅前のイトーヨーカドーにワイシャツ5枚を買いに出かけた。

 

 晴れの入社式の前日である。しかも、当時は日本中の大学生の憧れの対象だった「電通」に就職が決まっていたのだ。さぞかし晴れやかな気持ちだっただろう、さぞかし勝ち誇る気持ちでいっぱいだっただろう、今では自分でもそう思うのだが、若き今井君は完全な敗者の気持ちでうなだれていた。

(2月3日、京都「清荒神」。「きよしこうじん」と発音する。節分会では、青竹に入れて温めた日本酒を振るまってくれる 2)

 

 あの頃の今井君の予定としては、学部生のうちに作家デビューして、あとはテキトーに遊んで暮らそうと考えていた。何しろ努力するのがキライ、何しろ他人の間に溶け込んで暮らすのがキライ、グッと孤立して孤独に生きていたい、そういう性格だった。

 

 就職だなんて、ましてや名高いブラック企業♡電通の社員だなんて、自分に耐えられるとはとても思えなかった。入社式前日の3月31日は、朝から冷たい雨。学部生時代の4年間、すっかり住み慣れた北松戸の町、築30年のボロアパートを出て、常磐線の電車で1駅の松戸駅で降りた。

 

 何しろ、サラリーマンっぽい白ワイシャツなんか2枚か3枚しか持っていない。そのほとんどがボロボロだ。とりあえず1週間の勤務に耐えられるように、「形状記憶」と大書された白ワイシャツを5枚、安売りのセットで一気に買い揃えた。

 

 ネクタイについても、信じられないだろうが、あのとき所有していたネクタイは2本のみ。通勤用のカバンもナシ。靴も1足、スーツも就活用に買った1着のみ。こんな状態で翌日から、いったいどうやってコネクション入社のオボッチャマ新人♡エリート軍団に伍していくのか。「そんなのほぼ不可能」としか言いようがなかった。

(2月3日、京都鞍馬口「畑かく」でイノシシ鍋を満喫する 2)

 

   大慌てで、縦型のショルダーバッグを1つ購入した。その後4年か5年、大事に使ったショルダーバッグであるが、行く先々で「ジジくせえ」「ジジくせえ」とバカにされ続けた。確かに、マコトに地味な茶色の縦型バッグ、前面についたポケットに文庫本を2冊入れて、毎日通勤電車で読み歩こうと思った。

 

  そして実際に、あのポケットに文庫本2冊、毎日持ち歩いたのである。あのころ刊行中だった旺文社文庫の内田百閒、頑張って持ち歩いて三十数冊、通勤電車で全て読み上げた。朝も深夜も吊り革につかまって内田百閒を読みながら、すぐに電通を辞めることを決意した。

 

 そういうふうだから、3月下旬に冷たい雨が降ると、どうしてもあの頃のことを思い出すのである。人はみな「おめでとう」「よかったね」「おめでとうございます」と挨拶してくれた。しかしこちらとしては全くおめでたくなんかないのである。

 

 あのワイシャツ5枚は、それから10年ほど大切に着て、いつの間にか全て新しいのに切り替わった。5枚がみんな新しいのに代わった頃に、若き今井君は河合塾の講師になり、駿台の超人気講師になって、カバンも初代のダレスバッグを購入した。茶色いダレスバッグに初期のケータイ、意気揚々と日々お茶の水に通勤した。

(2月3日、京都鞍馬口「畑かく」でイノシシ鍋を満喫する 3)

 

 今思えば懐かしいが、ワタクシにもそういう初々しい日々があったのである。どうしても1日3食、朝も昼も晩もヌイてはいかんと頑固に考えていた時代で、朝8時に牛丼かハンバーガー、昼には講師室のお弁当。夜は回転寿司その他をハイスピードで咀嚼&嚥下し、その結果が今のワタクシの巨体なのである。

 

 しかしこの15年、ワタクシの食事は一気に野蛮になった。クマにイノシシにシカにカモ、「ジビエ」と言えば聞こえはいいが、普通の肉屋では売っていない類いの肉類をワッシワシ、胃袋に送り込む頻度が一気に高まった。「どうやらオレも鬼になったんじゃあるまいか」と高笑いするのである。

 

 20年ほど前は、西新宿の「ローズ・ド・サハラ」がお気に入りだった。ダチョウのステーキ、ワニのステーキ、カンガルーやらエミューやらのステーキ、「サハラ」「アフリカ料理」と銘打っている割には、オーストラリア系のお肉が目白押しだった。

 

 その「ローズ・ド・サハラ」が閉店して、今井君の足は下北沢「禅べえ」に向いた。「禅べえ」もとっくに閉店してしまったが、シカにイノシシにダチョウにシカ、ここでも「ジビエ」の名に隠れて、ずいぶんと乱暴な肉食ぶりを発揮した。

(2月3日、京都鞍馬口「畑かく」でイノシシ鍋を満喫する 4)

 

 その前に、六本木の「マタギ」でクマの肉に慣れ親しんだ。もう10年以上足を運んでいないから、今もあの店が健在かどうか分からない。クマ肉の串焼きやらクマ鍋やらを注文すると、必ず大量のギョウジャニンニクをサービスしてもらえた。

 

 しかしそのギョウジャニンニク、強烈な匂いが肉体に染みついて、ふと自分が獰猛な野獣と化し、巨大なクマと化したかという妄想に取り憑かれるのである。鏡の中の自らを眺めてみるに、今にもヒトに跳びかかりそうな獰猛な光を目に湛えている。いやはや、ジビエもほどほどにしたほうがいい。

 

 そこで、クマの肉をいただくにしても、例えば京都の山奥「比良山荘」の上品なクマにとどめておくとか、大阪鶴橋「小原庄助」のひょうきんなクマさんぐらいにしておくとか、やっぱり今井君だって大ベテランだ、いただくクマにも限度を設けたほうがいい。

 

 2月3日、紫式部ゆかりの廬山寺で鬼法楽ないし鬼踊りを満喫した後は、今井君定番の鞍馬口「畑かく」を訪問して、イノシシ鍋の夕食を楽しむことにした。「畑かく」はすでにワタクシの定番、記録を調べてみるに、つい3ヶ月前の11月30日、この店で驚くほど大量のイノシシ君をペロリと平らげている。

(4年前の2020年11月26日、京都鳥居本の名店「平野屋」のイノシシ鍋)

 

 京都の優しいイノシシ鍋は、もともと嵯峨野・化野の奥、愛宕山の麓、鳥居本の名店「平野屋」でいただいたのが最初である。平野屋はもともと「あゆよろし」の看板が有名な鮎料理のお店で、ワタクシも最初は鮎をいただきに平野屋の御座敷に上がり込んだ。

 

 しかし平野屋、夏は鮎だけれども、晩夏に鮎の季節が終われば、地元の猟師さんが獲ったイノシシのお肉を鍋にして供するのである。たっぷりのイノシシ肉、たっぷりのキノコ、たっぷりの山の幸。ワタクシはすっかりイノシシ鍋のトリコになってしまった。

 

 しかし諸君、化野は遠い。鳥居本は遠い。御所のすぐそば、紫式部が住んでいた廬山寺で鬼踊りを満喫した後、清荒神(きよしこうじん)で、赤い焚き火で熱した竹の器の日本酒を満喫した後では、とても鳥居本「平野屋」の座敷を訪ねる気力は湧かないのである。

 

 ワタクシは、西陣の北、鞍馬口の名店「畑かく」もヒイキにしている。前回の訪問が11月30日、「イノシシ肉を2人前追加」という離れワザを演じてわずか2ケ月で、またまた畑かくの個室に闖入することにした。

(京都北山コンサートホール、小さな売店のナポリタン。こりゃウメーや)

 

 ただし諸君、11月30日の時はお昼過ぎ。今回2月3日は夕暮れの訪問だ。すでに「馴染みサン」の扱いを受けているけれども、さすがに担当のスタッフは違う。

 

 前回はホントにホントに馴染みのスタッフ、今井君の扱い方も完璧に心得ていらっしゃったが、今回のスタッフは、今井君の奇矯な行動や発言の数々に慣れていらっしゃらない。だって諸君、今井君とはマコトに不可思議な生き物であり、初対面では驚きのマグニチュードが大きすぎる。

(京都府立植物園は、100周年を迎える。今年も年間パスポートを購入する予定だ)

 

 いやはや、いろいろ驚かせてしまって申し訳なかった。最初の大盛りイノシシを瞬時にペロリ、それにもさぞかしビックリなさっただろう。しかしその直後の「イノシシ肉を2人前追加♡」、それもさぞかし大きな驚きだっただろう。「このままでは、京都中のイノシシを全て食われてしまう」という恐怖さえ、抑えきれなかったかもしれない。

 

 しかしまあ諸君、今井もそろそろ限度を知る年齢に達したのである。入店から2時間強、そろそろ夜8時が迫る頃、ワタクシはタクシーを呼んでいただき、宝ヶ池の自らの住処に、マコトに大人しく帰館を決めた。宝ヶ池は、イノシシも出没するあたり。マコトにワタクシに相応しい山の宿なのである。

 

1E(Cd) Mehta&London:BERLIOZ/SYMPHONIE FANTASTIQUE

2E(Cd) Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:BERLIOZ/SYMPHONIE FANTASTIQUE

3E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3

6D(DPl) 文楽:妹背山婦女庭訓④「井戸替の段」竹本伊達路大夫 「杉酒屋の段」竹本越路大夫 「道行恋苧環」豊竹咲大夫 豊竹嶋大夫

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