Sun 240317 広島にて/京都の大盛況/優秀な男子2名と出会う/浪人を決めた頃 4505回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 240317 広島にて/京都の大盛況/優秀な男子2名と出会う/浪人を決めた頃 4505回

 いま、広島にいる。昨日は京都にいた。京都から広島まで、新幹線で1時間半ちょいしかかからない。広島駅前の店で生牡蠣10個を平らげ、昨年サミットの開催された海辺のホテルに着いた。目の前の瀬戸内海を頻繁に船が行き交っている。

 

 今朝は、生温かい春の雨が降っている。午後から山口で公開授業があって、それがこの3月の東奔西走の締めくくりになる。帰京すれば、横浜と千葉の講演会があるけれども、さすがに横浜と千葉では宿泊はない。春の激しい全国行脚はオシマイ、そこから先はしばらくオウチで落ち着いて過ごすことになる。

 

 一昨日3月15日の京都での公開授業は、同志社大学・今出川キャンパスでの開催。可動式黒板のある大教室に200名を超える受講生が集まってくれた。我々の京都大学合格実績は、またまた前年を上回って482名。現在判明しているだけで482名なんだから、最終的には500名を超える可能性だってある。

(3月15日、京都・同志社大学今出川キャンパスにて、200名の大盛況 1)

 

 というわけで、生徒諸君の信頼もマコトに篤い。「今井先生が来て京都大学の問題を解説する」と宣伝すれば、あっという間に受講生が集まる。保護者の皆さんも多数参加して、春休み期間中で閑散とした同志社大学キャンパスは、我々の教室のみ湯気が上がるほどの熱気に包まれる。

 

 ただし、今回の授業で使用した教材は、東京大学の小説文である。このところ何度かの京都公開授業で京都大学の論説文を繰り返し使用したから、まあ今回は「少し趣向と気分を変えて」という意味で東大の問題に切り替えた。

(3月15日、京都・同志社大学今出川キャンパスにて、200名の大盛況 2)

 

 終了後、三条木屋町というか先斗町というか、ワタクシの大好きな界隈で少人数の酒宴を開催する。まだ大規模な祝勝会やら懇親会やらは遠慮しているが、5人から6人ぐらいのささやかな酒宴なら、まあOKとして構わないだろう。

 

 同志社からタクシーに乗り込んで歌舞練場のあたりで降りた途端、「今井先生ですか?」の2名に出会った。マコトに優秀そうな男子2名であったが、「今井先生の授業を受けて、京大に進みました」とおっしゃる。そのうちの1人はすでに京都大学で正式に授業を担当しており、もう1名もモントリオール大学のドクターコースで勉学に励んでいらっしゃると言う。

 

 そんなに優秀な青年たちが、今井の授業を受けて何か学ぶところがあったのかと心配になるが、2人はマコトに真剣な表情で、かつてどれほど楽しく今井先生の授業に夢中になったかを熱く語ってくれた。「写真いいですか?」と言うので、道ゆく人がみな興味津々で見つめる中、何枚か一緒に写真に収まった。

(3月15日、京都・同志社大学今出川キャンパスにて、200名の大盛況 3)

 

 さて気がついてみると、今日はすでに3月17日になっている。前回の更新が3月12日であったから、数えてみるとすでに丸4日も更新を怠けていたことになる。怠惰で申し訳ない。2024年の受験生諸君は、3月17日、そろそろ進路を確定させた頃だと思う。

 

「いや、まだ後期日程が残っている」とおっしゃる人も多いだろう。かく言うワタクシも遥かな遥かな18歳の年には、3月22日だったか23日だったかに、当時の「国立2期校」の受験が迫っていた。

 

 2月22日に早稲田政経に合格。2月23日に早稲田法学部も合格。3月3日に東大の1次試験を通過。3月8日と9日に東大2次試験があって、さすがに数学が1問も解けないありさまでは、不合格がほぼ確定した状態だった。

 (2月2日、京都・壬生寺に「大念仏狂言」を眺めにいく 1)

 

 東大の発表を待たずに、駿台予備校の1回目の試験を受けて浪人生活への準備も万端、ほぼ「浪人しよう」と決めて3月17日を迎えた。だから諸君、「第1志望がダメだった」という受験生の気持ちは、誰よりもよく理解しているつもりでいる。

 

 ただし、何しろ今井君はチャラン&ポランであるから、現役生の時に実際に受験した「東大文科一類」がホントに第1志望だったのか、3月中旬になって考えてみるとよく分からなかった。

 

 何しろ高3の11月上旬までは医学部志望で、最初は東大理Ⅲ志望とかバカなことをほざいていたくせに、やがて「神戸大医学部がいいな」「長崎大医学部がいいな」「京都府立医大がいいな」とめちゃめちゃなことを言って友人たちを激怒させ、いつの間にか作家志望になって東大文Ⅲを受けると言い出し、11月下旬には「弁護士になるから」とホザイて実際に受験したのは東大文科一類だった。

 

 だからホントに、あの頃の自分の第1志望がどこだったか、今もサッパリ分からない。要するに見栄を張りたいだけだった気もする。そんなふうだから、3月22日だったか23日だったかに迫っていた「国立大2期校」でも、受験票をもらっていたのは東京外国語大学の英米語専攻(当時)だったはずだ。

(2月3日は、廬山寺の鬼踊りを眺めにいく予定になっていた 1)

 

 で、結局はその東京外語大、受験を放棄した。あの頃は「東大に落ちたら駿台で浪人生活」というのがまだ田舎の受験生の常識だった時代で、その駿台の一番難しいコースに一発合格したのを、友人たちから祝福される始末だった。

 

 今では信じられないことだが、昭和の時代の駿台予備校はそれほどに入学困難で、3月中に4回も入学試験があったのだが、それでも一番ラクなコースにさえ入学できない受験生が多数存在したはずだ。

 

 そういうふうで、今井君の浪人生活が始まった。父の転勤があって、家族全員で秋田市から埼玉県の大宮市に移転。駿台生になった今井君は、京浜東北線の始発・大宮駅から毎日お茶の水まで電車で通学することになった。

(2月3日は、廬山寺の鬼踊りを眺めにいく予定になっていた 2)

 

 浪人生活を始めるにあたって、若き今井君が決めたことが1つあって、「毎日1冊の岩波新書を読み切る」というのである。大宮は始発駅だから、1本電車を待てば必ず座って通学できる。大宮から秋葉原まで45分、秋葉原で総武線の黄色い電車に乗り換えれば、通学は楽チンだ。

 

 朝の電車で45分、帰りの電車で45分、それに授業の合間の休憩時間や昼休み時間を合わせれば、3時間ほどの読書時間が取れる計算になる。ならば「岩波新書1日1冊」は余裕で実現可能なはず。土曜日や日曜日の模擬試験の日もそれを続ければ、1年の浪人生活で300冊近い岩波新書が読み切れる。

 

 それまでに貯め込んだ貯金をつかえば、購入費用も賄えそうだった。神田神保町の古書店街を歩けば、1冊50円どころか、1冊20円の新書や文庫を満載したワゴンがそこいらじゅうに置かれている。そういう古書をあさって、1年で300冊はいけるだろう。

 

 3月から4月にかわる頃、今井君は意気揚々と言うか、むしろ「浪人してよかったな」「あのまま現役で東大なんかに進んでいたら、返って恥をかくだけだったな」と、負け惜しみにしてもホッと安堵するような気持ちもあった。

(北野天満宮から徒歩5分、お蕎麦の「すさかべ亭」。今年も何度かお世話になりそうだ)

 

 で、いったい1年で合計何冊読み上げたか数えてみたことはないが、5月初旬の第1回模擬試験を慶応三田キャンパスで受けた日に読んだのが、山口昌男「アフリカの神話的世界」だったのは記憶している。

 

 文化人類学者としてスターの座に駆け上がっていった山口昌男が、トリックスターの概念を分かりやすく紹介した新書で、「大学に進んだら、こういうのも悪くないな」とニヤニヤした。その山口昌男が東京外国語大学の教授で、つい2ヶ月前に東京外語大を受験しなかったのが大損だったようにも感じたものである。

 

「だから何だ?」とコワい顔で睨みつけられても困るが、思い返せばワタクシの中途半端な生き方は、あの浪人時代に始まったように思う。もっと真剣に、マナジリを決して受験勉強だけに邁進すべきだった。

 

 電車の中も休み時間も、英語例文集なり、数学のコメンタールなり、世界史用語集なり、昔から「これぞ受験勉強」という定番だけをカバンに詰め込んで、毎日ちゃんと睨めっこして過ごすべきだった。岩波新書1日1冊だなんて、まさにふざけた浪人生活だった。

 (2月2日、京都・壬生寺に「大念仏狂言」を眺めにいく 2)

 

 それもこれも、みんな見栄なのだ。思えば、見栄ばかりの生活に終始してきた。何と4505回を迎えるこのブログにしても、いやはや見栄また見栄の連続であって、こりゃ若い諸君への反面教師にしかならないかもしれない。

 

 もしもキチンとギュッと真剣に受験勉強をして、何かの弾みで京都大学に志望を変えて、思わず当時流行の文化人類学なんかに夢中になっていたら、今頃どうなっていただろう。

 

 今みたいに年がら年じゅう京都をぶらついて、あっちのお祭り&こっちのお祭りと無遠慮に首をつっこんで眺めて歩くと、そういう選択も悪くはなかっただろうなと、やっぱり寂しくなるのである。

(2月2日、壬生寺の帰りに「元祇園 梛神社」に立ち寄る 1)

 

 例えば一昨日3月15日、嵯峨釈迦堂(清涼寺)では「京都3大火祭り」の1つ「お松明式」があった。お松明式に先立って「嵯峨大念仏狂言」の公演もあった。3大火祭りとは、①五山の送り火 ②由岐神社の鞍馬の火祭りと、③この清涼寺お松明式であるが、こういうお祭りが毎日のように京都のどこかで行われている。

 

 2月2日、八坂神社の豆まきと吉田神社の節分会を眺めた後のワタクシは、その足で壬生寺に向かい。壬生大念仏狂言を堪能。何しろ2月2日の夕暮れから夜にかけてだから、あまりの寒さにホントに凍えそうになり、境内のテント小屋の店で熱燗2本飲み干したが、それでもまだ凍死の危機を感じたほどだった。

 

 壬生寺を出てすぐにタクシーを拾おうと思ったが、流しているタクシーを求めて右往左往していると、壬生寺のすぐそばに「梛神社」という神社があって、こちらも大勢の人でごった返し、灯りの中で巫女さんがクルクル回ってみせていた。

(2月2日、壬生寺の帰りに「元祇園 梛神社」に立ち寄る 2)

 

 正式名称「元祇園 梛神社」、「梛」と書いて「なぎ」と読む。869年建立、素戔嗚尊(スサノオノミコト)などを祀り、疫病除けの神として知られる。祇園祭・山鉾巡行の「傘鉾」の起こりもここであるという。いやはや、知らないことばっかりだ。

 

 前回だったか、「京大のヌシみたいになってもよかった」と書いた。ホンキで深く濃厚に研究に励んで、しかし大学に受け入れられず、いわゆる「ヌシ」的存在に徹し、午前は四条河原町の老舗喫茶でブランデーコーヒー、午後は熊野神社あたりのジャズ喫茶でストレートグラスのジン、夜は出町柳の名曲喫茶で濃厚な黒ビール、その間に専門書を1冊読み上げたりする。

 

 その種のヌシになるのも、決して悪くない。というか、もしも予備校講師の生活に飽きてしまったら、今からでも遅くない。日本中のお祭りを求めてあっちへフラフラ&こっちへフラフラ、その間に分厚い原書を読みあげ読みあげ、ニヤニヤ&ニヤニヤ日々を過ごす、そのたぐいの生活も悪くないなと、瀬戸内の海を眺めながらそう思うのである。

 

1E(Cd) Barenboim & Berliner:LISZT/DANTE SYMPHONY・DANTE SONATA

2E(Cd) Chailly & RSO Berlin:ORFF/CARMINA BURANA

3E(Cd) Pickett & New London Consort:CARMINA BURANA vol.2

6D(DPl) 文楽:妹背山婦女庭訓②「猿沢池の段」「鹿殺しの段」「掛乞の段」「万歳の段」竹本津駒大夫「芝六忠義の段」竹本綱大夫「道行恋苧環」竹本春子大夫 竹本津大夫 豊竹嶋大夫 竹本南部大夫 豊竹咲大夫

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