Mon 240304 近江坂本・鶴喜蕎麦/北斎に劣らずクワイ好き/京カルネも大好物 4501回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 240304 近江坂本・鶴喜蕎麦/北斎に劣らずクワイ好き/京カルネも大好物 4501回

 こういうふうで(スミマセン、前回の続きです)、1月9日から13日までのワタクシは、京都と大阪で大ハシャギだったわけであるが、ふと気づいてみると、9日には京都ゑびすと西宮えびすで大ハシャギ、10日には宝恵駕行列と今宮えびすで大ハシャギ、あんまりハシャギ過ぎて、その後11日と12日のことをちっとも記録していなかった。

 

 10日の夕暮れになってやっと大阪から京都に移動。今回の京都での宿泊は、御所西のブライトンホテルを選んだ。ブライトンからは、御所でも白峰神社でも、西陣でも護王神社でも完全に徒歩圏内であって、もしも朝の散歩なんかを企てるなら、これ以上に便利なロケーションは他に考えられない。

(1月11日、創業300年の名店、近江坂本「鶴喜蕎麦」を訪問 1)

 

 この10年余り、特に京都にはとてもホンキとは思えない価格設定の超豪華ホテルが林立するようになって、1泊15万円どころか、30万円に50万円に100万円超えに、「いったい誰がそんなに払うんだ?」という宿泊代をよく見かけるが、いやはやワタクシ、そんなオカネを払って宿泊する趣味も勇気も財布の余裕も持ち合わせない。

 

 そこで京都での宿泊は、まずは静かな宝ヶ池プリンス、少し疲れて「宝ヶ池は遠すぎるな」という場合には、蹴上のウェスティンか御所西のブライトン、仕事がメインの旅なら京都駅直結のグランヴィアということにしている。京都の仕事は、駅から徒歩1分の「キャンパスプラザ」か「メルパルク」か「響都ホール」、その3者にほぼ限定されているのだ。

(1月11日、創業300年の名店、近江坂本「鶴喜蕎麦」を訪問 2)

 

 しかし1月11日、ブライトンホテルの一室で目覚めてみると、丸一日完全にノープランであることに気づいて呆然とした。前回までの記事で書いた通り、9日と10日の2日間はハシャギ過ぎて全てを忘れ、翌日の12日には国立文楽劇場で人形芝居を観る予定になっていたが、間に挟まれた11日はホントに全く計画を立てていなかった。

 

 お風呂の中で腕組みしながら思いついたのが、「それなら近江坂本までお蕎麦をすすりに行こうかな」という、マコトに地味な計画だった。地下鉄・烏丸御池駅から東西線に乗りこみ、終点「びわ湖浜大津」で3両編成だったか4両編成だったかの京阪電車に乗り換え、琵琶湖を右に眺めながら、合計40分ほどの小旅行である。

(これまた名店「イノダコーヒ」京都駅店でアップルパイとコーヒー。ワタクシは、こういう芸当もできる)

 

 ブライトンから烏丸御池駅までは、0円で乗れるシャトルバスが出ているから、まあ便利だ。「まあ便利」であって「すこぶる便利」でないのは、バスが烏丸御池までしか行ってくれないからであって、「京都駅まで」と贅沢は言わないまでも、せめて四条烏丸か四条河原町まで連れていってくれれば、もっともっとこのホテルを贔屓にするようになると思う。

 

 まあ、贅沢は言うまい。ホンの5年か6年前までの今井君はホントに贅沢で、こういう小旅行の際にも、意地でもタクシーという魔法のジュータンを愛用した。あの頃は、ホントにダメなオヤジだった。

 

 いきなり坂本までタクシーと言わなくても、例えば八瀬までタクシー、八瀬から比叡山のてっぺんまでケーブル、てっぺんから坂本までもケーブル、5年前なら、その程度のことを平気で続けていた。

 

 バブルの頃には、日本中に「ちょいワルおやじ」という奇怪な人種が大量に出現したものだが、つい最近までのワタクシは「ちょいワル」どころか「大ワルおやじ」だったのであって、あのまま反省なしに進んでいたら「大悪ジーサン」「最悪ジーサン」への道をまっしぐらに進んでいただろうと思うのだ。

(坂本に出かけたついでに、比叡山麓&琵琶湖西岸の「竹林院」も訪問する 1)

 

 そういうことを考えながら、0円シャトルバスで10分、烏丸御池から地味に地味に地下鉄へ。京都と滋賀の境の険しい曲がりくねった山道を徐行しながら琵琶湖畔に出るあたりでは、線路脇でシカが草を喰んでいるのを目撃し、そのつぶらな目の真剣な眼差しにドギマギすることもある。  

 

 びわ湖浜大津で乗り換えた京阪電車は、こりゃマコトに懐かしいローカル電車であって、この小旅行を思いついてホントに良かったと感激しながら、お昼前の坂本比叡山口駅に到着した。

         (久しぶりの坂本に到着)

 

 世間というものはホントに冷酷なので、4年前にはあんなに繁盛していた駅前も、今や閑散として人影は少ない。というか、パッタリと人影が途絶えている。思わず「無人駅になっちゃった?」と心配になるぐらいである。

 

 4年前に何があったかといえば、「麒麟がくる」の大騒動があったのだ。象も虎もライオンもシマウマも来ないけれども、麒麟だけは颯爽とやってきたので、明智光秀をポジティブに描いたNHK大河ドラマは、まさにコロナがやってきたあの年の初め以来、この坂本に大量の観光客を惹きつけた。

 

 しかし今や、何が何でも紫式部であって、京都なら廬山寺、滋賀なら石山寺、「紫式部ゆかり」「藤原道長ゆかり」の看板がないと、観光客は見向きもしない。4年前には「麒麟がくる」の無数のノボリがハタハタはためいていた駅前も、今や真冬の比叡おろしの寒風が砂埃を舞い上げているだけなのであった。

(坂本「鶴喜蕎麦」で、小鮎の佃煮を2皿。オイシューございました)

 

 あんまり寒々しいから、ワタクシはもう何が何でも手っ取り早く目的のお蕎麦屋に入ることにして、駅から徒歩1分「本家 手打 鶴喜蕎麦」に直行した。長い時代を経た看板にも暖簾にも「本家」の文字があって、近隣の類似の店にギュッと厳しい視線を投げている。

 

 創業が享保元年というのだから、恐れ入る。暴れん坊将軍が享保の改革を始める頃じゃないか。初代・鶴屋喜八の名を取って鶴喜蕎麦。今や8代目と9代目が蕎麦を打っている。いやはやこの看板、伊達ではないのだ。

  (坂本「鶴喜蕎麦」の鴨せいろ。オイシューございました)

 

 すでに何度かこの店に足を運んでいるが、この日は初めて座敷に通された。これまでは入り口すぐ横のテーブル席だったけれども、今回は畳の上にテーブルと椅子を並べた座敷。座敷からは暖かいお日さまに照らされたご自慢の庭園も見渡せる。

 

 さっそく注文したのは、まず日本酒2合と「小鮎の佃煮」。琵琶湖のお魚は、モロコも小鮎も噛みごたえがあって大好きだ。何でもかんでもグルメ番組の食レポよろしく「やわらかーい♡」と涙目になっていないで、たまにはワシワシ顎を鍛えることも忘れたくない。

 

 もちろん「2合」というのは控えめに注文しただけであって、まもなく3合 → 4合 → 5合と増えていくのであるが、何しろこの日は仕事ばかりかプランさえ皆無の気楽な小旅行。小鮎をペロリと1皿平らげた後は、すぐに「もう1皿ください」と言って、お店のオネーサマをびっくりさせた。

 

 お蕎麦の方は、普通の盛りそばでも良かったのだが、ちょっと見栄を張って鴨せいろを注文。見栄だけではなくて、どんどん運ばれてくる日本酒をいただくには、やっぱり鴨の肉の噛みごたえも必要かと思ったわけである。

(坂本に出かけたついでに、比叡山麓&琵琶湖西岸の「竹林院」も訪問する 2)

 

 午後2時近くなって、他のお客さんたちもみんな帰ってしまい、お店が少し寂しくなる時間帯まで座っていた。「まあせっかくの坂本だ、『竹林院』ぐらい行っておくか」と重い腰を上げ、外に出てみると何しろまだ1月の中旬だ、すでに夕暮れの雰囲気が迫っていた。

 

 こうして、11日はマコトに楽しく過ぎた。翌12日は、冒頭に書いた通り、大阪日本橋の国立文楽劇場で1月初春公演の第2部を観た。もう10年も大阪の文楽に付き合ってくれている古い友人がいて、何しろ大学学部1年の入学式直後に外国語の教室で一緒になって以来の長い長い付き合いである。

 

 文楽のことについては書くのを、今日は遠慮しておく。最近はオウチの書斎で半世紀も昔の人形浄瑠璃のDVDばかり眺めて暮らしているせいで、ブログの方も文楽への言及が多くなり、「文楽なんて知らねえよ」という若い読者は、さぞかしウンザリしているだろう。

 

 そこでワタクシは、文楽の後の懇親会というか反省会というか、あまりに長く付き合いの続いている友人との飲み会の話にまで、ぴょんと跳んでいってしまおうと考える。

 (大阪心斎橋の老舗洋食「ロッヂ」。この老舗感が素晴らしい)

 

 12日夜の飲み会の1次会は、大阪心斎橋の老舗洋食屋「ロッヂ」。「ロッヂ」であって「ロッジ」ですらないあたりに、この店の老舗ぶりと長い歴史を感じるが、昭和の日本には「ロッヂ」「ヒュッテ」「ヨッホ」など、山やスキーや南ドイツの旅を思わせる名前の店が、たくさん存在したのである。

 

「今夜は、軽く行こう」と申し合わせてあったが、とりあえず赤ワインをボトルで1本。すると20分ほどで空っぽになっちゃったので、「もう1本行くか?」とニヤニヤ、そうしてニヤニヤしているうちに2本目も空っぽ。まだ店に入って1時間も経っていなかった。 

 

 すると当然のように「もう1軒、行くか?」と頷き合い、ここはさすがにタクシーを拾って、谷町6丁目の名店「燗の美穂」へ。ぬる燗でも熱燗でも思いのまま、日本中の日本酒を思うぞんぶん楽しめる。

 

 ワタクシは、数多くの日本酒メニューから「奥能登 白菊」を選択。カウンターには募金箱もあったぐらいで、能登の造り酒屋はどこもピンチであるらしい。ワタクシはもともと「奥能登 白菊」の大ファンで、店にあればあるだけみんな飲んでしまうのだが、この日はやっぱり特にこの酒をありがたいと感じた。

 

 胃袋のほうは、徹底して慈姑で満足させることにした。慈姑と書いてクワイと読む。まあ、下の写真を見てくれたまえ。

(谷町6丁目の名店「燗の美穂」で、クワイを貪る。まずは1皿目)

 

 チューリップの球根のような形だか、生のクワイは色っけも紫がかって、余り旨そうには見えない。大きな芽が突き出してくるのが特徴で、大きな芽が出るから「おめでたい」と言われ、かつてはお正月やおせち料理の定番だった。コイツらが、ワタクシの大好物なのである。写真の1皿目、あっという間に全てワタクシの胃袋に収まった。

 

 葛飾北斎も、クワイが大好物だった。彼の傍らにはいつも丼いっぱいのクワイがあり、彼の口にも常にクワイがあって、彼はクワイを頬張りながら名作を描き続けた。60歳半ばで「神奈川沖浪裏」が完成、70歳を過ぎて「富嶽三十六景」を刊行、その後も「うまくなりてぇ」「もっとうまくなりてぇ」とうめきながら、90歳まで描き続けた。

(谷町6丁目の名店「燗の美穂」で、クワイを貪る。これが2皿目)

 

 別に、北斎のマネがしたいのではない。マネも何も、そんな強烈な天才とは全く無縁の平凡なサトイモに過ぎないのであるが、ただ「クワイが大好物」という点だけは、決して北斎に引けをとらない。さっそく2皿目を注文し、その2皿目も1人ですぐに食い尽くして、お店のオネーサマは今度はびっくりではなく、すっかり呆れてしまった。

 

 クワイどんは、すごい栄養価が高いのである。カリウム・葉酸・亜鉛・カテキンを含み、タンパク質が豊富。しかしワタクシは、そういう七面倒な理由でクワイを愛するのではなく、旨いから旨い、好きだから好き、ただそういうことである。

(大好物の「京カルネ」。京都駅新幹線コンコース売店で購入 1)

 

 ついでにこの「バッカリ食べ」、ただクワイのみにとどまらない。好きになれば徹底的に食べ尽くし、自分の分も友人の分も、赤の他人の分でさえ、遠慮なく食べ尽くさずにはおかないのである。12日の夜は、クワイ以外は何にも食べなかったほどだった。

 

 そして13日の夕暮れ、いざ東京に帰る段になると、もう1つの「好きなもの♡バッカリ食べ」の悪癖が火を噴いた。それが写真の「京カルネ」である。

 

「京カルネ」は、京都の老舗パン屋さん「志津屋」の定番商品。「ドイツ風のフランスパン」というなかなか難しいパンに、ハムとタマネギを挟み、マーガリンで仕上げる。

(大好物の「京カルネ」。京都駅新幹線コンコース売店で購入 2)

 

 この至って普通の丸パンが、ワタクシの悪癖♡バッカリ食べを触発する。食べても食べても止まらない。新幹線で京都から名古屋に到着するまでの30分ほどの間に3個、缶ビール1本で完食してしまう。

 

「カルネ」とは、フランス語で「回数券」のこと。パリで地下鉄に乗る時、まずは切符売り場で「カルネください」と言って10枚だったか11枚だったか1組の回数券を購入する時代が長く続いた。パリの駅の地面といえば、タバコの吸い殻とカルネ券のポイ捨て。ついこの前まで、それが定番の見慣れた光景だった。

(大好物の「京カルネ」。京都駅新幹線コンコース売店で購入 3)

 

 もちろんパリだって、キャッシュレス&チケットレス化は急速に進み、コロナのせいで行けずにいる間に、回数券カルネもきっと時代遅れなり時代錯誤なりの代物になってしまっているだろう。しかし京都のパン屋さんは、今もカルネという名を大事にしてくれている。

 

 2005年から2019年まで、ワタクシのパリ滞在は合計で150日ほどになっているはずだが、是非また近いうちに「カルネください」のフランス語を口にしたい。カルネ時代を知らない若い駅員さんに「カルネって、何ですか?」と聞き返されても、それは別に構わないのである。

 

1E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 1/2

2E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 2/2

3E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION

6D(DPl) 文楽:仮名手本忠臣蔵②(2) 七段目「祇園一力茶屋の段」竹本文字大夫 竹本南部大夫 先代竹本織大夫「一力茶屋の段」豊竹山城少掾 竹本綱大夫(8代) 竹本伊達大夫 竹本津大夫

total m12 y139  dd28921