Sat 240302 祝4500回/えべっさん探訪記④今宮戎編/ほえかご、ほえかご!!/たよし | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 240302 祝4500回/えべっさん探訪記④今宮戎編/ほえかご、ほえかご!!/たよし

 本日1枚目の写真、別に「ひなまつりだから」というわけではない。そもそもこれは雛人形ではない。人形浄瑠璃・文楽のお姫さまの人形である。

 

 それにしても、美しいじゃないか。可愛さとか美しさよりも「居ずまいがキレイ」と言った人がいる。正面でも居ずまいの良さは感じるが、斜め30度でも45度でも、あるいは真横からでも、その居ずまいの正しさ&美しさが際立っている。

 

 ではこれが人形芝居の舞台での姿かと言うと、それがまた違うのである。これは1月10日、大阪道頓堀での「宝恵駕行列」に参加した時のお姿。諸君、「宝恵駕」と書いて「ほえかご」と発音する。「ほうめぐ」でも「たからけい」でもなくて「ほえかご」、大阪の十日戎の伝統行事である。

 (十日戎、宝恵駕行列の文楽人形。人形遣いは吉田一輔 1)

 

 むかしむかし、もぅ30年もむかしのことだが、当時勤務していた予備校の関西地区に「恵宝センセ」という英語の先生がいらっしゃった。今井君と同じように「顔中ヒゲ」という中年男性で、どんな授業をなさっていたのか知らないが、中堅のいかにも信頼できそうな先生だった。

 

「えほう」と言えば「恵方巻」だろうが、まだ30年前には2月3日に恵方巻を貪る風習は普及していなかった。この30年、コンビニと百貨店とワイドショーが日本中に広めてしまったけれども、恵方巻、無駄が多すぎるから、そろそろコンビニ側で自粛した方がいいような気がする。

 

 先生の名前も恵宝、太巻きの丸かぶりも恵方、十日戎では「宝恵かご」、近畿圏の人々は宝に恵まれたり、恵まれた方向に進むのがホントにお好きなのであるが、1月10日の「宝恵かご行列」は、朝10時に道頓堀の戎橋近くをスタート、そのまま戎橋通りを南下して、今宮えびす神社を目指すのである。

 

「モノ好きですね」と呆れられそうだが、そもそも前日の1月9日から今井君が大阪入りしたのは、

①  この宝恵駕行列に参加すること

②  文楽1月公演を観ること

③  3大エビス神社を踏破すること

以上3点が目的だった。

   (今宮戎と宝恵駕の提灯が勇ましく風に揺れていた)

 

 15歳から眺めてきた人形浄瑠璃でさえ2の次だったんだから、ワタクシがこの「宝恵駕」にどれほど夢中になっていたかが分かる。梅田のホテルに荷物を置いたまま、地下鉄四ツ橋線で難波へ。難波から道頓堀まで地下通路を駆け足、9時45分には冷たい小雨の道頓堀に到着した。

 

 ま、今井君は大昔から好き嫌いが激しすぎるのである。梅田から道頓堀に向かうのに、大阪の人なら「なんで四ツ橋線?」「どうして御堂筋線を使わないの?」と、不思議そうに首を傾げるだろう。

 

 しかし何よりもまずリッツカールトンホテルからは四ツ橋線の西梅田駅が近い。西梅田は始発駅だし、四ツ橋線はいつだって空いている。遊びにいくには、電車だってバスだって空いているほうがいい。ギューヅメの電車なんか、通勤通学だけでたくさんだ。

 (十日戎、宝恵駕行列の文楽人形。人形遣いは吉田一輔 2)

 

 しかしガラガラの電車でも、困ったオジサンに邪魔されることはあるので、この朝は「マクドおじさんとの遭遇」に悩まされた。せっかくガーラガラなのに、まだ西梅田駅に停車中の電車のワタクシの真横に来て、たった今買ったばかりらしいマクドナルドの紙袋を、ニンマリ嬉しそうな笑顔で開けて見せたのである。

 

 あとは難波まで15分、車両の中はホカホカ♡マクドとホカホカ♡ポテトにニオイが充満。慌てて一番端っこのシートに移動したけれども、せっかくの宝恵駕行列の思い出は、まずは朝のマックのニオイに満たされてしまった。

(紋付やお着物の人々が参加して、道頓堀で宝恵駕行列の出発式。タレントさんも多数)


 それでも冷たい小雨の中、道頓堀に沿って駆け足でいくうちに、マクドのニオイも何とか振りきれた。すでに多くの人々が集まっていて、道頓堀の向こう岸では宝恵駕行列の出発式が始まっている。

 

 地元商店街の名士の皆様に、今宮神社関係者、芸妓さんに芸者さん、タレントさんに落語家さん、総勢200名ほどの中に、黄色い和服の桂文枝さんも混じっている。

 

 その文枝さんがマイクを握って「還暦の時は赤い服ですが、今や80歳、傘寿の年には黄色い服を着るんです」と挨拶すると、出発式は最高潮、クス玉が割られ、芸妓さんだか芸者さんだかを駕籠に乗せて高く激しく揺すったり、とにかくいろいろ盛り上がるだけ盛り上がってから、「さあいよいよ出発」ということになった。

      (道頓堀でほほ笑む巨大なエビスさま)

 

 さてこの辺で、「かご」の漢字にも注目していただきたい。「かご」と書いて我が新Mac君で変換すると、何が何でも「籠」ないし「篭」の文字が出てくる。「そうじゃないんだよ、Mac君。論理的に考えたまえ」とワタクシがせせら笑うと、慌てたMac君は「加護」「過誤」「花後」どころか「嗅ご」まで、どこまでもマヌケな間違いを繰り広げる。

 

 まあ諸君、本日2枚目の写真の、赤い提灯の文字をじっくり眺めてくれたまえ。「かご」の正しい漢字は「駕」。江戸時代のタクシーみたいなもんだ。昔の時代劇なら「エッホ!! エッホ!!」と掛け声をかけながら、男2人でお客を運ぶシーンが90分に1度は必ず出てくる、あの乗り物だ。

 

 だからこの日の「宝恵駕」にも、駕籠の1つ1つに人が乗っている。お笑い芸人さんもいれば、さっき挨拶したばかりの桂文枝師匠もいる。芸妓さんやら芸者さんも乗っているし、「ブレイクしたばかりの女子高生YouTuber」なんてのも乗っている。

(戎橋あたりから、いよいよ宝恵駕行列がスタート。鯛も小判をくわえて威勢がいい)

 

 そういう華々しい人々を乗せて、夥しい数の宝恵駕が、まずは道頓堀にかかった戎橋をわたる。橋は黒山の人だかり、中国やら韓国やら東南アジアの観光客が溢れているあたりで、まず日本語は聞こえてこない。

 

 そういう狭い小さな橋を、色とりどりの宝恵駕が進んでいく。江戸時代と違うから、駕籠には下に車輪がついていて、駕籠かき2人でエッホエッホ担いでいくのではない。人々はこの台車を引っ張るなり引きずるなりしながら、今宮神社までの遥かな道のりを行く。

 

 ここで敏感な読者なら「ハタ!!」ないし「ハッタ!!」と膝を打つはずだ。江戸時代や時代劇の駕籠かきたちが、なぜ必ず「エッホ!!」「エッホ!!」と掛け声をかけたのか。

 

 それは、この「宝恵駕」や恵方巻や恵宝センセや、今井のありとあらゆる雑談や脱線や余談と深く関連していたのだ(諸説あります)。「エッホ!!」とは他でもない、「恵宝」「恵方」ないし「宝恵」に端を発している(諸説あります)。いやはや、どうだい、ハタと膝を打たずにはいられまい。

 (十日戎、宝恵駕行列の文楽人形。人形遣いは吉田一輔 3)

 

 というわけで、今回の記事でワタクシのブログは、マコトにめでたく4500回を迎えることができた。毎回毎回こんな長大な雑談&余談の連続を、丁寧に読んでくださる皆様に深く感謝する。

 

 当面の目標だった5000回まで、あと500回。今のペースだとどうしても2年かかるから、あくまで無理せずに、5000回達成を再来年=2026年の誕生日6月26日に設定したことは、すでに前回の記事で述べた。あと2年、とにかく付きあってくれたまえ。いろいろ驚くような発見だってあるはずだ(諸説あります)。

 

 しかし、さすが宝恵駕。「エッホ、エッホ」みたいに掛け声を単純化したりしない。駕籠をとりまく人々は、口々に「ほえかご、ほえかご!!」「ほえかご、ほえかご!!」「ほえかご、ほえかご!!」と、テンポよく掛け声をかけ続ける。そのテンポがあまりにも速いので、「この人たち、息継ぎしてるの?」と心配になるぐらいだ。

 (十日戎、宝恵駕行列の文楽人形。人形遣いは吉田一輔 4)

 

 冒頭の写真に掲載した文楽人形を乗せた駕籠は、道頓堀「かに道楽」の脇で、行列の到着を待ち受けている。ここで桂文枝師匠や芸者さん&タレントさん芸人さんの駕籠の行列に合流するのである。雨の中、驚くほど多くの人形芝居ファンが駕籠を取り巻いて、写真を撮りまくっている。

 

 駕籠の周りには、美しい「福娘」さんたちが、10名ほどニコヤカに立ち並んでいる。「福娘に選ばれると、その後の就職活動なんかにも有利」という都市伝説があるらしい。いやはやマコトに華やかな雰囲気だ。

 

 しかしやっぱりどうしても、あえて文楽人形の駕籠を選んだ人々だ。人気は福娘諸君より圧倒的にお人形さんの方に流れてしまう。人形を扱うのは、吉田一輔。呼び捨てにするのもどうかと思うが、彼はちょうど国立文楽劇場1月公演で舞台に立っている。本物の人形遣いなのである。

  (宝恵駕は、道頓堀から南下して、今宮神社を目指す 1)

 

人々に混じって写真を撮っていると、駕籠の周囲を取り巻いて警備と交通整理にあたっていた文楽関係者のオジサマに、笑顔で声をかけられた。「お正月の鏡開きにも、確かお見えになってましたな」とおっしゃるのである。

 

 こりゃもう、ファン冥利に尽きると言っていい。ワタクシみたいなシロートの1ファンが、こうして文楽関係者に顔を見覚えられて声までかけてもらえるだなんて、「よっぽど目立っているんだな」という感慨と同時に、とにかく嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

 文楽人形の駕籠が行列に合流し、芸人さんや芸者さんの後について戎橋アーケード街を遠ざかっていくのを見送ってから、ワタクシは雨の表通りを難波本通まで一気に南下。とにかく冷えきった肉体を居酒屋か何かで温めないと、危うく凍えてしまいそうだった。

(難波本通「たよし」。この居酒屋に先回りして、宝恵駕行列を待ち受ける)

 

 選んだ店は「たよし」。大阪では昭和の昔からテレビCMで有名なチェーン店で、そのCMYouTubeで眺められるから、まあ見てみていただきたい。いつでも席が空いていて、「満席です」と入店を断られることはまずありえない、そういう店である。

 

 しかし、ある意味では理想の居酒屋なのだ。居酒屋というものは、いつでもスッと入れて、スッと座れて、スッと注文を訊きに来て、スッとお酒が出てくれば、それが一番。料理が旨かろうと旨くなかろうと、とにかく入って座って飲めなければ、何の意味もない。

  (宝恵駕は、道頓堀から南下して、今宮神社を目指す 2)

 

 というわけで「たよし」、1階のカウンター席で大きな窓の外を眺めながら、熱燗の日本酒を2合、ついでだから大根と厚揚げとコンニャクと玉子のおでんも注文して、あっという間に平らげた。それほど凍えかけていたのである。

 

 ホッと一息ついていると、何だか外が急激に賑やかになってきた。「ほえかご、ほえかご!!」「ほえかご、ほえかご!!」、急テンポの掛け声も聞こえてきた。

 

 要するにワタクシは凍てつく小雨をついて、一気に宝恵駕行列を追い抜き、先回りして「たよし」のカウンターで待っていたわけだ。窓の外のアーケード街を、再び三たび芸人さんと芸者さんたちが手を振りながら過ぎていった。あのお人形さんもいたはずだが、うまく見定められなかった。

    (今宮戎神社にて。福笹は、ここで授与される)

 

 行列が過ぎてからもまだカウンターに居座って、熱燗の日本酒をもう4合ほど痛飲。それほどに「たよし」、あの日は居心地がよかった。あれから50日の間に、もう2回同じ「たよし」を訪ねたが、やっぱりどうしてもあの日が抜群に楽しかった。

 

 さて、それにしてもこれ以上カウンターで粘っているわけにもいかないから、1月10日のワタクシは昼下がりの難波から今宮神社方面へ、雨の中を傘もささずにさらに南下を続けた。

 

 いつもなら「ちょっと治安が ... 」とか、うるさいことを気にしないでもないあたりも、何しろお祭りだ、昨日の西宮神社に勝るとも劣らない露店と屋台の賑わいの中、徒歩20分ほどで今宮えびす神社に到着。これで3大エビスを2日がかりで踏破したことになる。

      (福笹の関連品さまざま、お値段表)

 

 冬の雨ということもあったのか、人出は少々控えめであったが、さすがに商売の都というか、他の追随を許さないと自他ともに信じて疑わない商都だ。次々と福笹を求める人々の熱心さは、東京で大人しく暮らしているワタクシなんかには、俄かに信じがたいものがある。

 

 福笹そのものにもかなりのオカネがかかるのだが、その笹をハダカのまま持ち帰るのではない。ありとあらゆる小さな飾りを笹にぶら下げて、笹の枝がしなるほどに飾りつけなきゃいけないのだ。「商売繁昌、笹もってこい!!」であるが、笹をもっていった後も、ただでは済まない。

 

 笹にぶら下げる飾り物、そのお値段表を本日の最後の写真として掲載する。こんなに高い飾り物を、老若男女なんの躊躇もなく、福沢諭吉どんを何枚も財布から出して買い求め、どんどん笹にくっつけて、嬉しそうに談笑しながら帰路に着く。大阪の人も西宮の人も京都の人も、十日戎の日もまた驚くほど威勢も気前もいいのであった。

 

1E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 2/4

2E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 3/4

3E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 4/4

6D(DPl) 文楽:仮名手本忠臣蔵②(1) 五段目「山崎街道出会いの段」「二つ玉の段」竹本相生大夫 六段目「身売りの段」豊竹嶋大夫「早野勘平切腹の段」竹本住太夫「勘平腹切の段」竹本越路大夫

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