Mon 240219 谷崎源氏/2月16日京都の大盛況/終電の閑散ぶり/文楽の年明け 4495回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 240219 谷崎源氏/2月16日京都の大盛況/終電の閑散ぶり/文楽の年明け 4495回

  今年の春はどんどんハイペースで進んでいくので、今日は「雨水」、東京はホントに雨水(うすい)であって、朝から気温はすでに16℃、温かい雨が温かい風に吹かれて庭や屋根を潤し、空気もちょうどいい具合に潤っている。

 

 むかしむかし谷崎潤一郎どんは、「潤」一郎というお名前に相応しく、人生を通じてその作品は常に温かく豊かに潤い続け、潤いすぎてちょっと困ったジーチャンぶりも発揮したものだったが、このごろ中央公論社がその「潤一郎訳 源氏物語」中公文庫版の広告を盛んに出している。1991年7月初版というのだから、すでに35年近くが経過している。

(2月16日、京都グランヴィアホテルのロビーには、豪華なお雛様が飾られていた 1)

 

 しかし諸君、ワタクシが書斎の奥深く所有している中公文庫版はもっと遥かに古いバージョンだ。中公文庫の創刊当時というのだから、前回の大阪万博から間もない1970年代前半、「ポポル・ヴフ」「ツァラトゥストラ」「パンセ」や、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」などとほぼ同時に登場した「潤一郎訳・源氏物語」全5巻である。

 

 あんまり分厚い文庫だから、あのころ第1巻を無理して読み進んでいるうちに、本の背中が真ん中からバキッと折れてしまった。まさに大惨事であるが、その後「パンセ」も「ツァラトゥストラ」も同じ運命をたどった。そもそも文庫本で500ページを超えるなんてのは、企画として無理があったんじゃなかろうか。

(2月16日、京都グランヴィアホテルのロビーには、豪華なお雛様が飾られていた 2)

 

 ワタクシ、NHK大河ドラマに触発されて潤一郎訳源氏物語にチャレンジする若者たちを、大いに応援したいのである。

 

 マンガ系やダイジェスト系で源氏を知るのも悪くないし、かつては予備校の直前講習会で「源氏物語のストーリーを一気に語ります」などという超名物講座もあったけれども、谷崎バージョンでもいい、与謝野バージョンでも田辺聖子バージョンでもいい、ぜひ一度落ち着いて源氏を通読するぐらいはしたほうがいい。

(2月16日、京都でも懇親会や祝勝会はないので、最終列車1つ前の新幹線で帰る。猫のデザインの駅弁で寂しく車内単独祝勝会 1)

 

 このごろ優秀な青年諸君の中には、「国語や英語には興味が持てない」とキッパリ公言する人も少なくないようである。しかもそういう発言を、「当然だ」「不思議はちっとも感じない」「勇ましい」「頼もしい」「理系以外は意味がない」とでも考えている人が、マスメディアには少なくないようだ。

 

 2024年2月19日、朝日新聞の教育欄に登場した某青年は、2年前に前期日程で東大に入学を断られ、後期日程で北海道大学工学部に進学して頑張っているという人。「ネットでバズった」とかで、すでに有名人であるらしい。「興味のない英語や国語は勉強しなかった」とニコヤカな笑顔で語っている。その点について、記者は全く疑問を呈していない。

(2月16日、京都でも懇親会や祝勝会はないので、最終列車1つ前の新幹線で帰る。猫のデザインの駅弁で寂しく車内単独祝勝会 2)

 

 完全に余計なお世話だろうが、ワタクシは何だか心配なのである。英語にも国語にも興味がない、つまりナマの人間の言葉や非論理的感情や、矛盾と飛躍に満ちた無邪気で可愛らしい思索に興味がない、そのまま大学生になり大学院生になり、やがて世論のリーダーになるのって、老婆心ならぬ老爺心から、ワタクシはどうにも心配なのだ。

 

 まだ20歳そこそこの学部生なんだから、この青年自身の発言は「すがすがしい」の一言でいいし、興味のない科目を無理やり勉強するよりも、若い興味の赴くまま、いちずに数学や生物学に邁進するのはマコトに素晴らしい。心配なのは、有名新聞のライターさんのほうなのだ。

 

 一流新聞の教育欄を担当するライターさんなら、無慈悲に「興味のない国語や英語」と大学生の発言を書きとめるだけじゃなくて、では彼がどうしてその2科目に「興味がなかった」のか、それならば今どういう教材や教師や教育法が求められるのか、そこんトコロをグイッと掘り下げるキッカケの一言を添えなければダメなんじゃないか。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 1)

 

 金沢の高校から北大に進んだというその青年にも、朝日新聞の新進記者のオカタにも、たとえば今年のNHK大河ドラマを1年まるまる欠かさず眺めて、それをキッカケに谷崎源氏でも与謝野源氏でもいい、例えば一週間で1帖ずつ、まるまる1年かけて全54帖、読み通してみていただきたいのだ。

 

 諸君、だって大チャンスじゃないか。普通なら、500ページもある文庫本5冊、読み通すのにたいへんな苦労をするはずの源氏物語を、谷崎潤一郎の流麗きわまる現代語訳で読み通せる計算だ。

 

「1週間に1帖」ということなら、それほどの難行苦行でもない。通学の電車でもバスでも、今井君のマネをしてお風呂に持ち込んだって、非常識なことではありえない。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 2)

 

 特にワタクシは、朝日新聞教育欄のライターさんに申し上げたい。「興味のない英語や国語」という無慈悲なマトメカタは我慢すべきだったんじゃないか。取材を受けた北大の青年は、実は正確にはそうは言わなかったんじゃないか。いや、例え正確に発言そのままを書き取ったにしても、いかにも好青年らしい素直すぎるそのコトバを、少しは和らげて記事にすべきだったと考える。

 

 だってそんなコトバが天下の朝日新聞に掲載されていたんじゃ、いま夢中で英語や国語の学習に取り組んでいる日本中の中高生が可哀想じゃないか。国語学習や英語学習の楽しさを、あるいは文系科目を楽しく勉強している彼ら彼女ら自身を、思い切り正面から否定されたみたいじゃないか。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 3)

 

 あくまで余談であるが、ワタクシは諸君、昨日の大河ドラマを眺めていて、激しい雨の中に走り出したキジトラ猫「こまろ」の姿に感激し、しばらくは立ち上がることができなかった。

 

「こまろ」って、「小麻呂」? 数学や物理の論理的思考と並びたつ人類の叡智の双璧として、源氏やら枕草子やらコマロやら谷崎やらに感激する感性も、やっぱり称揚されてしかるべきだと信じるのだ。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 4)

 

 さて2月16日、ワタクシは午後遅い時間帯に東京を出発して、新幹線で京都に向かった。夕暮れ19時半から京都駅前で公開授業があり、スタッフとは18時半に待ち合わせの予定だった。

 

 金曜日の午後の新幹線は、西行きも東行きも週末に自宅に帰るサラリーマンで激混みになる。普通車でもそうだろうが、例えグリーン車でも「隣がくる」という事態を覚悟しなきゃいけない。案の定、今井君のお隣にも50歳代中盤と思われる無愛想なダンナがやってきて、そのまま京都まで隣どうし、一言も口をきかなかった。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 5)

 

 まさに春はどんどん進んでいて。普段はあまり泊まらない京都駅直結のホテルグランヴィアにも、すでに豪華な雛人形が飾られている。つい2週間前に節分が来て、つい1週間前に旧正月になったばかりなのに、いやはや月日の経つのはあまりにも速い。

 

 京都駅前の公開授業は19時半開始、21時終了。出席者約200名。京都の名門・堀川・西京・嵯峨野・洛北、洛南・洛星高の諸君を中心に、滋賀の名門・膳所高からも50名を超える参加があった。

 

 だから予定では京都大学2022年の長文読解問題を扱う予定だったのだが、直前に「高校1年の生徒が多いもので」と連絡があって、ワンランク易しい別の難関国立大の長文をテキストに用いた。

 

 もちろん、それでも十分に手応えはあるのである。読み応えもあり、やりがいも十分なのである。100分の公開授業は、参加者残らず驚くほどの集中力を保持して、最後まで大いに盛り上がった。しかしワタクシは、もっともっとやりがいと噛みごたえのある長文を教材として与えてあげたいのだ。次回の京都は、どうしても京大の読解を使いたい。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 6)

 

 もしも優秀な学生が「英語と国語に興味が持てない」と公言するとすれば、それは間違いなく教材の文章に問題があるのだ。今の共通テストみたいに、「誰でも読めるカンタンな文章を、急げ急げと激しくせかされながら読む」タイプの教材、要するに「民間テスト」タイプの読解ばかり強要されるんじゃ、その科目に「興味が持てない」のは当たり前だ。

 

 ワタクシの記憶が確かならば、共通テストは「論理的思考力を試す」のが主眼のテストだと言われてきた。しかし2023年でも2024年でも、いったいあの共通テスト英語がどんな「論理的思考力」を試しているのか、首を傾げざるを得ない。1718歳の知的な青年たちに相応しい論理的思考力を、あの問題でいったいどうやって判定しようというのか。

 

 正直に言って、あの問題で要求されるのは、むしろ反射神経と忍耐力なんじゃないか。「急げ急げ」「時間との勝負だ」と追い立てられながら、毎分80語なり90語なりを読み、加えて80分で約50問の設問を解く。そんなに急がせてばっかりで、いったいどこが論理的思考なんだ? 

 

 これはむしろ「反射神経コンクール」の感を呈している。「複数のデータや資料を読ませる」「グラフや図表からのデータ処理が必要」というなら、もう少し高度なデータ処理能力を、時間をより多く与えて試すべきだ。要するに、問題の分量が多すぎて、思考力がしっかり顔を出せないままに終わっている気がする。

 

 ワタクシは、朝日新聞の取材を受けたあの好青年に、もっともっとやりがいと噛みごたえと読みごたえの溢れる英文を教材に選んであげたかった。たとえば京大や早慶で頻繁に出題される「New Scientist」の科学エッセイ。日々あのレベルのエッセイを読みこなす勉強をしていれば、これほど知的な青年だ、決して「興味のない英語や国語」というくくり方をすることはなかっただろうと信じる。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 7)

 

 京都での公開授業は、2110分終了。この日はサッサと帰ると決めていたので、会場の「キャンパスプラザ京都」から大急ぎで京都駅にとって返し、ギリギリまで開いていた駅構内の売店で、駅弁とお酒を買い込んで新幹線ホームへ。2130分発の東京行きラスト but 1に間に合った。

 

 さすがに帰りは「隣 に人がくる」という大惨事にはならず、2段重ねのお弁当をゆっくり完食し、缶ビールに日本酒2つ、思うぞんぶん満喫して東京まで2時間ちょい、深夜2340分の東京駅に、ほうほうのていで帰り着いた。

 

 しかし諸君、驚いたのはその後だ。この頃のワタクシはタクシーというマホーの絨毯があまりに料金が高騰しているのに辟易し、どんなに疲労困憊の状況でも、出来る限り電車でオウチに帰るのだが、日付が変わった頃の時間帯の地下鉄がガーラガラ、あまりにも閑散としているのだ。

 

 コロナ前なら、首都圏でも近畿圏でも、日付が変わった頃の終電まぎわの電車はギューヅメの大混雑。地下鉄でも私鉄でも同様に、朝の通勤時間帯に負けないほどの混雑ぶりだった。

(1月3日、大阪の国立文楽劇場1月公演の初日に駆けつける 8)

 

 それなのに諸君、二重橋前駅0時12分発、最終2本前の地下鉄千代田線は、朝イチというか夜明けの頃の電車みたいな閑散としたありさま。むしろ「すさんでいる」という表現のほうが当たっている。

 

 泥酔して熟睡中のオジサマたちが数人。すでに酔いも冷めた様子のオネーサマが1人、大きな荷物をドサッと座席に投げ出して、あとはスマホと睨めっこ。端っこのスペースを確保したオジサマは、ガホガホ激しく咳き込みながら(おそらく)どこかのお店の彼女と長電話を続ける。

 

 次の日比谷から乗り込んできたカップルは、遠慮会釈なく(これまた)激しく咳き込みながら(えげつない言い方をするなら)熱くイチャつき続けている。その次の次の次の赤坂から乗り込んできたオジサマは、こんなにガラガラの電車の中であえて今井君の前に立って吊り革を鷲づかみ、これまたガッホガッホ咳き込むのだった。

 

 いや、もちろんワタクシは「以前のギューヅメの終電がよかった」などと言うつもりはない。ガーラガラの終電だって、むかしむかしのニューヨークの恐ろしい地下鉄みたいな、疲れ果てた大都会の風情を楽しめないことはない。

 

 しかし、もう少しだけかつての大混雑の余韻が残っていてもいいじゃないか。そもそも東京でも大阪でも、お店の閉店時間が早すぎるのだ。21時半ラストオーダー、22時でもう入店お断り、22時半か23時で閉店。どこのお店もそんなタイムスケジュールじゃ、とても落ち着いて「終電までゆっくり」などという飲み方はできない。

(1月3日、文楽からの帰りは大混雑の黒門市場を経由する)

 

 どうやら(特に近畿圏は)終電の時間が早すぎるのだ。あんなに早く電車が終わっちゃうんじゃ、お店も早く閉店にしなきゃ、従業員の帰りの足が確保できない。従業員を無事に帰宅させるためには、22時閉店もどうにもやむを得ないだろう。

 

 しかしそれじゃ、サラリーマン諸君がゆっくりストレス解消ができないじゃないか。間違って22時まで残業なんかしようものなら、丸一日楽しみにしていた帰りのイッパイ、唯一の楽しみの晩酌さえ、店先で「終わりました」と無慈悲にスパッと切り捨てられる。

 

「どうしてこんなに何でもかんでも無慈悲な反応ばかりの国になっちゃったんだ?」とションボリ。駅前にももう誰もいない暗い道をトボトボ寂しく家路についたが、それもこれも「国語にも英語にも興味がない」 「興味があるのは論理的思考のみ」という教育をやってきたせいなんじゃないか、潤いの大好きな今井君は、ふとそんなふうに感じるのだった。

 

 というわけで、本日の後半の写真は全て1月3日の大阪・国立文楽劇場でのもの。1月2日には京都・桂で京都名物「白味噌雑煮」を満喫したワタクシだったが、1月3日には珍しく早起きして、大阪日本橋の文楽劇場に駆けつけた。

 

 文楽は諸君、最も「論理的思考」からかけ離れた非論理優先の世界。1月3日の午前9時ごろから、日本中の文楽ファンが劇場前に長蛇の列をつくり、正月恒例の「鏡開き」と、文楽人形が四角い枡に注いでくれる振る舞い酒を待ち受けた。

(文楽の〆は、難波地下街「おか長」で腰を据えて飲む。やっぱり鯛カブト、文楽のニラミ鯛に劣らない立派なヤツだった)

 

 その長蛇の列に、いかにもずうずうしいオジーチャンが猛烈な割り込みを成功させるあたりも、またご愛嬌。派手に年取ったジーチャンやバーチャンのずるい割り込みぐらい「許してあげるのが人情」、そのぐらいの胆力がほしい。

 

 いやはやこうして、マコトにおめでたい。4月には大名跡「豊竹若太夫」を襲名する予定の現・豊竹呂太夫が「辰の年ですが、竜頭蛇尾に終わらないようにいたします」と挨拶。お人形さんから枡酒を注いでもらった人々も、この上ない上機嫌でお互いに写真を撮り&撮られ、幸せそうに客席を目指した。

 

 かく言う今井君も、毎年恒例の「にらみ鯛」を写真に収めてから客席へ。2024年の最初の文楽は、おめでたく、どこまでもおめでたく、「七福神寶入船」ということになった。

 

 文楽劇場の帰りには、大混雑の黒門市場を通り抜け、難波駅地下街のお馴染み「おか長」に闖入して、これは「にらみ鯛」ではないけれども、同じく鯛のカブト焼きを堪能。ますはこうして2024年の幕が開いたのだった。

 

1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2

2E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2

3E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR

6D(DPl) 文楽:菅原伝授手習鑑②「道行詞甘替」竹本南部大夫・豊竹嶋大夫「安井汐待の段」先代 豊竹呂大夫「杖折檻の段」豊竹咲大夫「東天紅の段」先代 豊竹呂大夫「丞相名残の段」竹本越路大夫

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