Sat 240127 何故か劣勢を愛する/フラワーショウを忘れてた/大阪難波・おか長 4489回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 240127 何故か劣勢を愛する/フラワーショウを忘れてた/大阪難波・おか長 4489回

 別に、カッコつけるわけではあるが♡ ワタクシは劣勢が好きである。ゲームでも、スポーツでも、受験でも、人生でも、劣勢こそが楽しいし、劣勢だからこそ美しい♨︎のである。

 

 ただしその場合、「どのぐらいの劣勢か」が問題になる。「ピンチはチャンスだ」という人は少なくないし、「ピンチはチャンスでもあるはずだ」と、四半世紀ほど前、予備校パンフレットの自己紹介欄に毎年必ず書き込む有名講師もいらっしゃった。

   (12月10日、奈良県大和八木で230名の大盛況 1)

 

 しかしワタクシが思うに、「ピンチはチャンス」という場合、その劣勢はまだ実に中途半端なところにあるのであって、その劣勢にはまだ逆転勝利への未練がタラタラ、「どうかしたらまだ勝てるんじゃないか」「自分も苦しいが、相手だって苦しいはずだ」という未練が残りすぎている。

 

 例えばラグビーなんかで、相手の攻撃に押しまくられ、自陣ゴールラインにディフェンス陣のアンヨがかかって、レフェリーももう呆れ顔、「こりゃもうダメだ」と思った大ピンチから、何かのハズミでインターセプト、大逆転の60メートル独走トライ、そういうのがよくあるじゃないか。

 

「ピンチはチャンスでもあるはずだ」というのは、その類いの未練タラタラであって、「最後まで諦めるな」という熱い発言がコーチや担任や親や友人から飛び出すのは、まだオプティミズムが生き残れる幸せなシチュエーションなのである。

   (12月10日、奈良県大和八木で230名の大盛況 2)

 

 しかしワタクシが愛する劣勢とは、そんなオプティミズムさえ完全に拒絶するような、「チャンスのほぼ完全についえた劣勢」なのである。サッカーなら、残り5分で5点差。ラグビーであれば、残り5分で40点差。「オプティミズムを拒絶する劣勢」とは、そのような状況である。

 

 源義経なら、「腰越状」ではまだその域に達していない。吉野の山から安宅の関、平泉に残った一騎当千の数名が、数千だか数万だかの藤原泰衡軍に包囲されて、残るは弁慶プラス四天王、すでに希望は限りなくゼロ、そこでなお戦う人々の姿こそ、おそらく最も感動的。壇ノ浦の平知盛、最後の奮戦もその見本だ。

(大阪駅前グランフロント、インターコンチネンタルホテル前のクリスマスツリー。ちょっと凝りすぎましたかね)

 

 別にそこまで決定的悲壮感に包まれているわけではないが、ワタクシがどっぷり浸っているブログの世界も、決定的劣勢の状況は同じなんじゃないか。いやそれどころじゃない、予備校講師という職業も、「さあこれから挽回だ!!」「ピンチはチャンスでもあるはずだ」と開き直っていられる状況にはない。

 

 話は「少子化」にとどまらない。もう15年も前からワタクシは「予備校文化の終焉」について嘆いてきたが、何しろ「大学全入時代」が予測されていた2026年がずんずん接近してきて、おや気がつけば来年か再来年にはかつての近未来が現実に変わる。

 

 すると当然のように「一般入試で大学を目指すヒト」は激減して、若者たちの多くは推薦やらAOやら特色やら一芸やら、予備校講師をほぼ必要としないルートを選択し、共通テストなんてのも、英語の文章があんなレベルじゃ、やっぱり予備校の授業なんか必要なし、我々は絶滅危惧種のレッテルを貼られてもおかしくない。

(大阪なんば地下街・なんなんタウン「おか長」で、年末の大阪を満喫する 1)

 

 ブログの世界も同様、「逆転のチャンス」は10年も前に影も形もなくなった。2008年、ワタクシがこのブログを始めた当時は、ブログ世界の夕暮れの頃。まもなく「ツイッター」という名の、これもすでに過去の遺物になりかけてはいるが、あの頃は圧倒的優勢になって、テレビ画面はツイッター投稿が占領し、イヤでもそれを読まされる時代が長く続いた。

 

 しかし諸君、だからこそワタクシ、今は予備校講師という職業とブログの世界を心の底から愛するのである。大逆転のチャンスがほぼ完全に見えなくなり、5点差のサッカーの残り5分、40点差のラグビーの残り5分、その5分を永遠に引き延ばしても、いやはやナンボでも抵抗を試みたくなるのである。

(大阪なんば地下街・なんなんタウン「おか長」で、年末の大阪を満喫する 2)

 

 前回の記事では、庄司歌江サンが率いた「かしまし娘」について思ひ出を長々と書かせてもらったが、大阪の演芸場を舞台に今も大熱演を続ける芸人さんたちも、やっぱりワタクシは大好きなのだ。

 

 前回はうっかり書くのを忘れていたが、もし「かしまし娘」について書くんだったら、「フラワーショウ」と「ジョウサンズ」と「宮川左近ショー」についても、実はどうしても忘れてはならなかった。同じように三味線とギターをかき鳴らしながらの、浪曲をベースにした音曲漫才である。

 

 やっぱりググってもらうかYouTubeをポチッとしてもらった方が早いのかもしれないが、「ググる」も「ポチッと」も、もはや「オプティミズムを拒絶する者たち」の仲間入りをした可能性が高い。人々は諸君、ポチッとなんかするのではない、タップするのである。いやはや、情けない。

(大阪なんば地下街・なんなんタウン「おか長」で、年末の大阪を満喫する 3)

 

 さて「フラワーショウ」であるが、彼女たちも「かしまし娘」と同じように、基本的には3人娘。1分のネタに、1分の歌が絡まって、それを3セットか4セットで1つの舞台を構成した。

 

 ワタクシの記憶が確かならば、3人娘は「華 ぼたん」「華 ばら」「華 ゆり」が基本。「華」が苗字なのである。そこにいろんな事情で「華 あやめ」やら「華 らん」やらが参入することもあるが、ボケ役の「華 ゆり」の異様にゆっくりしたシャベリが、常に大爆笑を誘った。

 

 一応「歌」と言っておくが、基本は浪曲、要するにナニワブシであって、これまた「逆転不可能」「オプティミズム拒否」の縁にある浪曲の世界、20世紀中盤までは日本文化の背骨なのだと、誰もが信じて疑わなかった。

 

 だから「フラワーショウ」についてクリックするとと言うかポチッとするとと言うか、つまり「タップすると」、かつて日本文化を支えていた浪曲師たちの名前が次々と出てくる。西川ヒノデ、京山幸枝若、いやはやこりゃたいへんだ。

(大阪なんば地下街・なんなんタウン「おか長」で、年末の大阪を満喫する 4)

 

「宮川左近ショー」やら「ジョウサンズ」についても完全に事情は同じなので、こりゃどうしてもワタクシ、今年あたりから大阪の場末の演芸場をウロウロして、かつてのスター浪曲師たちがどんな後裔を育てたのか、確かめて歩きたいのである。

 

 だって諸君、「ジョウサンズ」であるよ。ジョウサンズとは、もちろん「お嬢さま」という時のお嬢さんが複数形になって「ジョウサンズ」だ。これはどうしても、我が愛する大阪ミナミ、難波に道頓堀に千日前、上本町に天王寺に大国町、思うぞんぶん練り歩いて、劣勢の美を満喫してきたいのである。

 

 実は202312月は、まさにその大チャンスが到来していたのであって、12月8日に大阪に入ってから、19日にシブシブ東京に帰るまで、今井君は10日以上にわたって大阪でトグロを巻いていた。

 

 来る日も来る日も大阪を満喫、話す言葉もすっかりエセ大阪弁、大阪の人が聞いたらさぞかし「キショク悪いなぁ」とおっしゃるような、マコトにおかしな言葉遣いで大阪を闊歩していたのであった。

(大阪なんば地下街・なんなんタウン「おか長」で、年末の大阪を満喫する 5)

 

 それでも3日に1回という不思議な頻度で、夕暮れから講演会がある。8日が西宮、10日が奈良の大和八木、13日が大阪梅田、15日が大阪天満橋、18日が大阪天王寺。いやはや、今井君がもしも品行方正なオジサマなら、その都度ホントに几帳面に3日に1度の新幹線に乗って東京―大阪を往復したであろうような、たいへん不思議なスケジュールなのであった。

 

 だから「のし歩く」「トグロを巻く」と言っても、なかなか自由自在というわけにはいかないが、それでも仕事が休みの日には思い切りトグロを巻きまくって、とにかくお休みなのだから、昼間から居酒屋に入り浸って、恵方巻ならぬトグロ巻きに専念した。

(大阪なんば「おか長」から徒歩30秒、お土産にぴったりのタコ焼き屋さんもある)

 

 あんまり宣伝すると、諸君の中にこっそり「今井の顔を見てこよう」とか言って、その店にやってくる人もいるかもしれないから、あんまり宣伝しない方がよさそうだが、南海なんば駅の地下街「なんなんタウン」にある「おか長」と言ふお店である。

 

 ただし申し上げておいた方がよさそうだが、このお店は「冷やかし半分」で訪問したりしないほうがいい。冷やかし半分だと、それなりに痛い目に遭うかもしれないから、決して「今井を見に行こう」みたいな軽はずみな気持ちは起こさないほうがいい。

 

 しかし諸君、もしも本当のホントに本気のホンキでこの店の常連になれば、それこそ「かしまし娘」「フラワーショウ」「ジョウサンズ」の常連になったみたいに、どんなにつまらん状況でも、なんでもかんでも爆笑できるようになる。

(こちらは梅田・阪急デパート食堂街。日本蕎麦の焼きそば、あんかけが旨い)
 

 いやはや楽しくて楽しくて、今のワタクシは何が何でも「おか長」に腰を据え、今の大阪を満喫したいのである。浪曲が劣勢でも、文楽が劣勢でも、20世紀を席巻した予備校文化が劣勢でも、別にワタクシは構わない。劣勢を思うぞんぶん満喫して、満喫した後は「おか長」に駆け込む。

 

 駆け込んで、テーブルでもカウンターでもとにかく空いている席にへたりこんで、「ビール、大瓶1本!!」と叫ぶ。諸君、大阪で「大瓶」は「おおびん」と発音しちゃダメだ。そりゃ大阪のシロートだ。

 

「ダイビン!!」「ダイビン!!」「ダイビン1本!!」、それもちょっと不機嫌そうに、グイッと顎を引いて真面目な顔で注文する。最初からニヤニヤ愛想がいいなんて、おかしなヤツと思われる。

 

1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 1/6

2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 2/6

3E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 3/6

6D(DPl) 文楽:義経千本桜③「椎の木の段」「小金吾討死の段」豊竹咲大夫「すしやの段」竹本住大夫 竹本伊達大夫

total m70 y70  dd28852