Mon 240122 神戸に移動/三宮200名の大盛況/神戸から新幹線で長崎に着いた 4486回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 240122 神戸に移動/三宮200名の大盛況/神戸から新幹線で長崎に着いた 4486回

 さて、本日からやっと202312月の記録に入る。

 

 もちろん別に慌てる必要はない。ワタクシのブログが実際の日付から2ヶ月も3ヶ月も遅れるのはとっくにお馴染み、というかむしろそのほうが普通であって、万が一毎日毎日その日の記録を正確に書き始めたりすれば、そのほうが異常事態。「すわ、今井がおかしくなったか?」と読者の多くが色めき立ちかねない。

 

 しかし諸君、やっぱりさすがの今井でも、あんまり記録が遅れすぎると、昨日みたいに記憶が混線する。記憶が混線&混乱すれば、記録のほうも混線&混乱するので、マコトにみっともない記録違いなんてのも、頻繁に発生しかねない。

 

 だからここはマジメな自戒をこめて、「遅れるのはせいぜい1ヶ月」と自らに言い聞かせたほうがいい。すでに2024年も122日。それなのにブログのほうは、いまだに昨年の12月1日。こんなみっともないことを、いつまでも常態化させておいてはいけないのだ♡

(新神戸駅「淡路屋」で、売り場のオバチャンが勧めてくれた「おかめ弁当」を購入する)

 

 というわけで、1124日の夕刻に札幌から一気に京都に移動、そのまま京都&大阪で1130日まで過ごした今井君は、12月1日の正午に「宝ヶ池プリンスホテル」をチェックアウト。京都市営地下鉄と新幹線で神戸に向かったのである。

 

 神戸と言っても正確には新神戸の駅前だから、京都からの移動手段は新幹線である。意外に京都から新神戸への移動手段は限られるので、新幹線以外を利用すれば、かなり面倒な乗り換えが必要になる。新幹線なら、宿泊先のANAクラウンプラザホテルは新神戸駅の目の前、徒歩1分もかからない。

(新神戸駅で、購入の「おかめ弁当」、たいへんオイシューございました)

 

 今では知る人もすっかり少なくなっただろうが、このホテルは20世紀までは「新神戸オリエンタルホテル」の看板を掲げていた。20世紀神戸のスタイリッシュな♡人々は、この「オリエンタルホテル」を舞台にありとあらゆるカッケーお付き合いを満喫していたものである。

 

 しかし12月1日のワタクシは、19時から約1時間半の大切なお仕事をかかえている身。「スタイリッシュな午後」も何もあったものではない。さっそく地下鉄で三宮に出て、まずは馴染みの中華料理店「別館 牡丹園」で、大好きなかた焼きそばと太い春巻きを注文し、夕暮れからの講演に備えて腹ごしらえに勤しんだ。

 

 かた焼きそば、昨日の写真に示しておいたが、本来は海鮮バージョン、海老を中心にいろんな海鮮が盛りだくさんになるのであるが、この日のワタクシはあえてモヤシ&ニラのバージョンを選択。諸君、旨かった。こりゃ今井君、当分の間はモヤシ&ニラのバージョンを選ぶことになりそうだ。

   (ヒルトンホテル長崎から、長崎駅と長崎の街を望む)

 

 いったん新神戸のホテルに戻ってお昼寝、夕暮れ近くからゴソゴソ起きだし、地下鉄と「ポートライナー」を乗り継いで、講演会場に向かった。

 

「ポートライナー」とは諸君、1977年設立、1981年開業、世界初の完全自動&無人交通システムであって、今井君としても遥かな遥かな学部生時代に1度乗ったきり、マコトに久しぶりの乗車なのだった。

 

 神戸三宮の講演会は、19時開始、20時半終了、出席者約200名(昨日の写真1枚目と2枚目を参照)。リーディングを中心に70分語りまくった後で、残った20分をリスニングに振り向けた。

 

 いやはや何とも激しい大爆笑の連続。最近の今井先生は、グッとマジメにリーディングの授業に集中するのであるが、やっぱりこういう大爆笑バージョンも悪くない。というか、予備校という世界の全盛時代を思い出して、これ以上楽しい授業は他に滅多に考えられない。

(ヒルトンホテル長崎は7月以来。豪華なエントランスに再び感激する 1)

 

 終了後、会場からタクシーを拾って三宮の中心部に戻る。せっかくの神戸だから、講演終了後の単独祝勝会に、三宮駅前の神戸牛ステーキ屋を予約しておいた。

 

 その写真も、昨日の記事参照。鉄板焼きスタイルの高級ステーキ屋さんであったが、残念ながらワタクシのテーブルは鉄板に完全に背中を向け、三宮駅前の繁華街を見下ろすロケーション。お店の人と徹底的におしゃべりしたいタイプのワタクシとしては、何とも欲求不満のつのるテーブルなのだった。

 

 海老は旨かった、ロースステーキも旨かった、だからそのぶん、一番期待していたヒレステーキ、関西ふうに発音すればヘレステーキ、コイツの色っけがあまりに残念。「どうして?」と首を傾げたくなるぐらい黒ずんだステーキで、うーん、その後の〆のカレーはなかなか旨かったけれども、残念&無念の思いで神戸を後にすることになった(すべて昨日の記事の写真参照)。

(長崎トルコライス発祥の店「ニッキー・アースティン」、長崎駅店を訪問する)

 

 12月2日は、神戸から長崎に向かうのである。半世紀以上むかしの1971年、神戸ポートライナーが運行を開始するよりまだ10年も前に、「五木ひろし」という名の演歌歌手が「長崎から船に乗って」というお歌をヒットさせている。お歌の冒頭、「長崎から船に乗って、神戸に着いた」という名文句がある。

 

 作詞:山口洋子。この曲の前に五木ひろしどんは「横浜たそがれ」を歌って、一気に日本歌謡界の大スターになったのだった。

「長崎から船に乗って、神戸に着いた」の後、2ndコーラスでは「横浜から船に乗って、別府に着いた」、3rdコーラスでは「函館から船に乗って、東京に着いた」。実にいろんな街から船に乗り、いろんな港に船で到着する時代だった。

(ニッキー・アースティン長崎駅店で、大盛りのトルコライスを満喫する)

 

 ところが今井君は、神戸から長崎への旅であるから、1971年の五木ひろしどんとはまさに正反対。しかも「船に乗る」などという雄大な風情を楽しんでいる場合ではなくて、新神戸から新幹線で佐賀県の新鳥栖へ、新鳥栖で西九州新幹線に乗り換えて長崎へ、マコトにせせこましい移動に耐えるばかりである。

 

 しかも、名目上は「新鳥栖で西九州新歓背に乗り換え」ということになっているが、実際に新鳥栖で乗り換えるのは「リレーかもめ」という名の在来線特急であって、このあと再び「武雄温泉」と言ふ駅で「リレーかもめ」から「本物かもめ」に乗り換えなきゃいけない。

(ヒルトンホテル長崎は7月以来。豪華なエントランスに再び感激する 2)

 

 あんまり忙しいから、新神戸の駅で駅弁を手にいれる。神戸にはというか、兵庫県には「淡路屋」というおいしい老舗駅弁屋さんがあって、昔から大人気の「ひっぱりダコめし」やら、大好評を博した「コンテナ弁当」やら、選ぶのに困ってしまうほどバラエティに富んだ駅弁が並んでいる。

 

 こういう場合は、売り場のオバチャンに「どれが旨いですか?」「どれがオススメですか?」と尋ねてみるのが一番いい。大阪や神戸のオバチャンという人々は、お客にもお弁当にもなかなかシビアな意見をおっしゃるので、丁寧に「どれが旨いですか?」と質問すれば、彼女たちの回答は大いに頼れるのである。

 

 新神戸駅の売り場のオバチャンが、真剣な笑顔で「オススメ」「おいしいですよ」と言ってくれたのが、「おかめ弁当」。どうやら姫路の駅弁らしくて、お弁当のフタには「姫路通ればおかめが招く」とある。

(長崎に行ったら、まずは何が何でも市電に乗りたいじゃないか)

 

最近は「1000円札でオツリが来る」という駅弁は少数派。多くはパッケージにもいろいろ派手な意匠を凝らして、1200円、1300円、その価格帯が主流である。

 

 もちろんワタクシは10年も15年も前からキャッシュレス生活主義だから、「1000円札」などという古色蒼然としたものを使いはしないが、800円か900円とか、そういうオサイフに優しい駅弁は素晴らしいと思う。

 

 そして実際、売り場のオバチャンたちとのコミュニケーションは間違いなく面白い。昨年も新神戸駅で「コンテナ」やら「ひっぱりダコ」やら、いろんな駅弁を試してみたが、この日の「おかめ弁当」は出色の出来栄え。機会があったら、多くの人にオススメしたい美味♡駅弁なのであった。

 

(11月3日、長崎の講演会場は、長崎大学の経済学部講堂だった)

 

 山陽新幹線から九州新幹線に乗り継ぐなら、もちろん博多で乗り換えてもいいのである。しかしネット予約したチケットは、「何が何でも新鳥栖での乗り換え」になっている。

 

 こういう場合、JR各社はこれまた何が何でも乗り換え時間を最短に設定してくるのである。新神戸から乗った「さくら」の新鳥栖駅到着から、ここで乗り換える「リレーかもめ」の発車時刻まで、たった7分しかない。大きな荷物を引きずった老夫婦が息を切らして急いでいる姿は、可哀想でならない。

 

 15年ほど昔、まだ北陸新幹線が開通する前の話であるが、東京から金沢、金沢から東京、そのルートでは越後湯沢での乗り換えのタイトさが強烈だった。東京から越後湯沢までが上越新幹線、越後湯沢から金沢までが豪雪地帯を走る在来線だったのだが、往復とも乗り換え時間が「4分」と設定されていたのである。

 

 だからあの当時の越後湯沢乗り換えは、ほぼ短距離競争に出場するような覚悟が必要だった。乗客は、越後湯沢への到着前から各車両のドア前に立って身構える。到着するや否やまさに「号砲1発!!」「ヨーイ、ドン!!」であって、たいへんな数の乗り換え客が全速力でプラットホームを疾走した。

(11月3日、講演会終了後の単独祝勝会は、長崎駅「蘇州林」。チャーハン、オイシューございました)

 

 どうしてこんなタイトな乗り換え設定をするのか、いやはやワタクシにはとても理解できない。ダイヤを設定する担当者の頭の中にある乗客イメージは、鉄道ダイヤを知り尽くしたオタク系、しかも体力のありあまるマッチョ系のオタク系。大きな荷物を引きずって右往左往する高齢者なんかは、全くイメージしていらっしゃらない。

 

 ともあれワタクシは、「マッチョ系」ではないにしても「鉄道をまあ知り尽くした、まあ準オタク系」ではあるのだから、「おかめ弁当」でお腹も満たされ、新鳥栖駅と武雄温泉駅の2度の乗り換えにも何ら支障はなく、午後3時過ぎの長崎駅に無事に辿り着くことができた。

(11月3日、講演会終了後の単独祝勝会は、長崎駅「蘇州林」。かた焼き皿うどん、オイシューございました)

 

 1971年、今から50年以上も昔の五木ひろしどんは、長崎から船にのって神戸に着いた。50年以上が経過して、楕円形の頭の今井ひろしどんは、神戸から新幹線に乗って長崎に着いた。

 

 つい最近までの長崎駅は、「ここで行き止まりです」「これより先へは行けません」と言ふ旅情溢れる終着駅タイプの駅だったが、「西九州新幹線」が曲がりなりにも開通してしまってから、終着駅の風情は全くなくなった。

 

 遥かな昔、この駅には「ザボン売り」という女性たちも存在したのである。詳しくは、1948年発売、「小畑実」という歌い手の熱唱する「長崎のザボン売り」を 、是非YouTubeで見ていただきたい。いやはや1971年どころの話ではない。今から75年も昔の長崎は、まさにこんな異国情緒の真っただ中にあったのだ。

 

1E(Cd) Barbirolli & Berliner:MAHLER/SYMPHONY No.9

2E(Cd) Rattle & Bournmouth:MAHLER/SYMPHONY No.10

3E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.4

6D(DPl) 能:喜多流 楊貴妃(友枝喜久夫 森茂好)/ 喜多流 草紙洗小町(友枝喜久夫)

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