Fri 240119 なぜリスニングが過去最高点か/なぜリーディングが過去最低点か 4484回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 240119 なぜリスニングが過去最高点か/なぜリーディングが過去最低点か 4484回

 昨年の春あたりからずっと異様とも思える高温が続いて、ワタクシはいま春が心配。梅が2月中にみんな散っちゃうんじゃないか、桜が3月中旬に満開になっちゃうんじゃないか。

 

 例年のスケジュールでは、3月10日ぐらいに京都城南宮と北野天満宮の梅を眺めに行き、4月上旬には大阪で文楽を観るついでに吉野の山を登って満開すぎの山桜の花吹雪を満喫し、4月下旬には秋田・角館の夜の枝垂れ桜にうっとりする。その大切なスケジュールが、みんなみんな前倒しになっちゃいそうだ。

  (11月30日、京都「畑かく」でイノシシ鍋を堪能する 1)

 

 もう1つ、「鍋を囲んで寒い冬を満喫」という最高の楽しみも台無しだ。今朝の天気予報でもまた、キャスターの皆さんがマコトに嬉しそうに「3月中旬の陽気です」「4月の暖かさです」などとハシャいでいらっしゃったが、諸君、「暖かきゃいい」「首都圏に雪が降ったら心配だ」、そういう古すぎるスタンス、さすがにそろそろ脱却すべきじゃないのか。

 

 仲間と鍋を囲む楽しみは、外に雪が降り積もってこそのものである。出来れば首都圏でも一度ぐらいは吹雪になって、「だからこそ今日はお休みにして芋煮会」「今夜はゆっくりきりたんぽ鍋」「それならいっそクマ鍋かイノシシ鍋」というのがいいじゃないか。

 

 雪の夜に昔の仲間が集まってしみじみ、「お前、あれからどうしてたんだ?」「それからあいつ2人、どうなったんだ?」、むかしむかしの話に花が咲き、囲炉裏の炭火がとろとろ赤く燃えて、そういう夜が1年に1度はあったほうがいい。

  (11月30日、京都「畑かく」でイノシシ鍋を堪能する 2)

 

 ところが諸君、世間はマコトに世知がらい。こんなに毎日ポカポカあったかいと、とても「鍋を囲んでしみじみ」どころではない。「共通テスト平均点の中間発表」なんてのがあって、話題は一斉にそちらを向いてしまう。

 

「英語リーディングの平均点が過去最低」だの、「リスニングが過去最高」だの、そういう話で受験生がみんな右往左往、東大にするか京大にするか、医学部を目指す人々も共通テストの目盛りを睨みながらあっちからこっちへ、安全志向かチャレンジ圏か、そういうことばかり夢中になる。

  (11月30日、京都「畑かく」でイノシシ鍋を堪能する 3)

 

 まず「リスニングが過去最高」について言わせてもらえば、そんなの当たり前だ、問題がカンタンすぎるのである。今年の受験生は、小4から英語を学んだ世代。英語を始めて9年目の大ベテランなのだ。

 

 ピアノでもヴァイオリンでも、フィギュアスケートでもソロバンでも、生花でもお習字でも茶道でも、「9年目」という状況を考えてみてくれたまえ。週に1度か2度の習い事だって、9年目や10年目ともなれば「クロートはだし」の人も多くなる。

 

 それが正規の学校教育で9年目、彼ら彼女らの英語リスニング力は、「英語は中1から」だった過去の世代の人々とは、比較にならなくて当然だ。今のリスニング、高校入試とほとんど変わらないじゃないか。それなのに、あんなレベルの問題で国民がみんな納得しちゃってる。

   (11月30日、京都堀川通りのイチョウが美しかった)

 

 まあ諸君、新聞各紙にもリスニング問題は掲載されている。「これが英語9年目の学力を試す問題レベルか?」と、冷静に検討してもらいたい。

 

 例えば野球でもサッカーでもバスケでも、小4から始めた部活9年目の高校卒業見込み生なら、ホントに「クロートはだし」の自信満々の人だって多い。話が英語リスニングになると、いきなりこんなレベルでみんな納得している状況、ワタクシはおかしいと思う。

   (11月30日、京都・妙顕寺の紅葉を満喫する 1)

 

 一方の「リーディングは史上最低」「あんなに長い文章、時間内に読める方がおかしい」については、これもまたワタクシは教育サイドや問題作成サイドに大きな問題を感じる。

 

 まず、文章のクオリティが低すぎる。読んでいて、全く好奇心を刺激されない文章ばかりじゃないか。2021年もそうだった、2022年も同じだった。2023年も変わらず、2024年もクオリティに何の改善も認められなかった。

 

 だってこんな文章、「読んでいい楽しい」「この続きを読みたい」「大学生になったら、こういう文章をもっともっと読み続けたい」と、受験生たちが思うだろうか。

 

 つまらない、好奇心をちっとも誘わない、「もっと読みたい」という熱情がちっとも湧いてこない。そのつまらない文章を大量に与えられ、常日頃から「急げ」「急げ」「英語リーディングとは、つまり急ぐことだ!!」「トタバタみっともなく急げ!!」とひたすらせきたてられてウンザリ、それが実情だ。

   (11月30日、京都・妙顕寺の紅葉を満喫する 2)

 

 リーディングにウンザリした青年たちが、リーディングが好きになるはずがない。好きでないものの学力が、継続的に上昇するはずはない。だからこの4年間、当然のことながら、ひたすら継続的に平均点が下降してきた。

 

 これもまた諸君、「9年目」でクロートハダシになったはずの人々に与えられた試験問題であることを考えていただきたい。例えば第6問Aでもいい、第6問Bでもいい。冷静に読んで、かつてのセンター試験の第6問と比較していただきたい。難易度に、何の変化もないのである。

 

 センター試験は、中1から英語を学んだ「6年目」の受験生たちが受けたもの。共通テストの第6問は、「9年目」の人々のもの。6年目に対する試験と、9年目に対する試験で、読解問題の英文レベルが全く変わらないというんじゃ、そりゃたいへんな事態だ。「知的好奇心」どころの話ではないのである。

    (11月30日、京都・宝鏡寺の紅葉を満喫する)

 

「そのぶん、読解の分量を増やしました」「だって、6000語近いんですよ」という苦しまぎれの言い訳じゃ、言い訳にもならない。ワタクシは、「もっと読みたい」「読んでいて楽しい」「大学に入ったら、もっと英語で読書がしたい」と受験生に思わせる文章を、ちゃんと努力して出題してほしいと熱望する。

 

 塾や予備校でも、そういう教材を使いたいじゃないか。大学に入ってからも、友人どうしの話題になるような英文を集めたテキストがあったら、素晴らしいじゃないか。

 

 大学を卒業して、社会人になって、あるいは「京大室町寮」みたいな大学院生の寮に入って(前回の記事参照)、それでもなお「あの予備校の英語のテキスト、覚えてるか?」「ああ、今井先生♡の『A組』のレッスン8だろ、ありゃ面白かったな♡」「こんど、今井先生を冷やかしに行かないか♡」、そういうテキストを作りたいじゃないか。

(11月30日、西陣から一気に東山に回り、インバウンドで大混雑の南禅寺へ)

 

 そういう思いがつのって、今日のブログの写真には、京都「畑かく」のイノシシ鍋の写真を選んだ。

 

 まもなく季節は大寒だ。「寒いね」「寒いね」「やっぱり鍋だよな」と集まったかつての予備校の同級生たちが、こういう炭火の鍋を囲みながら、18歳の冬に受講した英語講座の文章について語り合う。ワタクシの理想はそれだ。

 

 20世紀後半、まだセンター試験や共通テストに毒されていなかった予備校英語には、下手をすれば一生忘れられないような文章が溢れていたし、テキストの文章とその解説に触発されて、その後の大学院での研究テーマを決めた人だって少なくなかった。

 

 2024年の共通テストに、そんな問題があったかどうか。せいぜいで、ワサビとチリのお話。2023年は、クマムシの観察のお話。そういう文章を大量に読まされて、急げ急げとシリを引っ叩かれて、それで幸福を感じる人がいるだろうか。幸福を感じない科目が、得意科目になるだろうか。

     (11月30日、夕暮れの天授庵を散策する)

 

 つまりカンタンに言えば、英語リーディングの成績というか全国平均点が下がり続けている原因の最たるものは、出題されている文章のつまらなさと、そういう文章をを無反省にテキストして急げ急げと絶叫する先生たちの姿勢、大ベテランはそう確信するのである。

 

 少なくとも諸君、これは事実なのだ。9年目にして、かつて6年目の受験生が受けたのと同じレベルの試験を与えられ、しかも3年も4年も連続して平均点が低下し続けているなら、誰か然るべき人が反省し、誰か然るべき人が対策を練り、対策を講じた上で翌年も翌々年もその結果を検討しなければならない。

 

 それが、教育にあたる者の責任じゃないか。ワタクシたちの世代は、予備校の授業で幸福になれた。今でもなお、イノシシ鍋を囲みながら、18歳の冬に予備校で受けた授業の話で、熱く盛り上がれるのである。教材の英文をもとに、カントの話、マルクスの話、ウェーバーの話、太古の時代の古い友人どうし、深夜まで話が弾むのである。

  (11月30日、京都「畑かく」でイノシシ鍋を堪能する 4)

 

 その「友人」というのもまた、予備校時代から延々と続く友人関係だったりする。18歳の冬、「こりゃおそらく一生続くな」と感じるような友人ができて、そのままホントにどうやら一生続きそうだったりする。

 

 それこそ能「松虫」の世界(これまた前回の記事参照)であるが、そのきっかけが予備校のテキストだったりすれば、講師冥利に尽きるのである。しかし諸君、さすがに「わさび」「くまむし」「家電製品をどの量販店で買うとお得か」みたいな英文で、そんな友人関係ができるとは思えない。

 

 だから結局、自己採点と平均点の中間発表みたいなもので、相変わらず受験生の右往左往が続く。「あの教授がいるから」「どうしてもあの大学であの分野の研究がしたいから」「あの文章を書いた教授と会ってみたいから」という話にはならない。これは、不幸である。

  (11月30日、京都「畑かく」でイノシシ鍋を堪能する 5)

 

 講師としても、正直あんまり楽しくない。全く興味を感じない文章をどう素早く読むか。クオリティの低い文章を大量に読むにはどうするか。共通テスト担当の先生の仕事は、要するにそういうことである。

 

 有能な薬剤師なのに、寒風の中、量販店の店先に立たされて、ティッシュや洗剤の大安売りを手伝っている人を想像してみたまえ。自分のやりたかったことは、こんな大安売りではない、病気に悩む人々と向き合って、真剣にクスリの相談に乗りたい。その思いで、真剣に薬学部を受験し、真剣に薬剤師試験に向き合った。

 

 共通テスト講座を担当する先生の思いも、ほぼそんな感じなんじゃないか。「やりたかったことは、こんな英語屋の仕事ではない」。若い有能なで優秀な先生ほど、思いは忸怩たるものだと思う。

 

 もちろん「共通テスト担当」の立場はマコトに華やかだ。受講者数もどんどん増えて、何だかその予備校の中心的存在に立ったようなコソばゆい感覚に満たされるかもしれない。それはそれでたいへん結構。ワタクシも1990年代から2000年代にかけて、そんな「エース感覚」に酔ったものだった。

  (11月30日、京都「畑かく」でイノシシ鍋を堪能する 6)

 

 しかし諸君、大ベテランの年齢に達した今思えば、センター試験テキストの研究で費やした日々が、何とも虚しく思えるのである。

 

 元の生徒たちで、40歳代のオトナになってもなお、「死ぬほど面白かった今井の授業」「腹がよじれるほど笑い転げた今井の授業」を巡って、鍋をつつきながら熱く語り合ってくれる諸君は少なくないようである。しかしその話題の中に「センター試験英語」なんてのはちっとも含まれない。

 

 だから今はもう、「今井先生、共通テストの問題の解説、お願いできませんか?」と依頼を受けても、ワタクシはちっとも食指が動かない。ワサビやクマムシや家電製品の話なんか、受験生の興味も、講師の関心も、ピクリとも動くことはない。

 

 そういう試験問題や、そういうテキストが、生徒たちや若い先生たちを幸福にするとは丸っきり思えない。改善するべきではないか、またはずっと大きな改変が必要なのではないか。制度として完全に見直すべきなのではないか。ワタクシは、そう愚考するのである。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1

2E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.4

3E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.5

6D(DPl) 狂言:大蔵流 木六駄(茂山弥五郎 茂山千五郎)/ 和泉流 武悪(野村万蔵)/ 和泉流 見物左衛門(野村万蔵)

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