Fri 231229 黒板かホワイトボードか/芸術的ボードか電子黒板か/ハゴロモ廃業 4475回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 231229 黒板かホワイトボードか/芸術的ボードか電子黒板か/ハゴロモ廃業 4475回

 11月24日、京都の駅前「キャンパスプラザ」での講演会は、出席者170名。京都ばかりではなく、滋賀県からもたくさんの出席者があって、ワタクシの大好きなキャンパスプラザは満員の大盛況になった。

 

 ワタクシは、やっぱり黒板がいいのである。上下に可動式の黒板4面があれば、申しぶんないのである。由緒正しい大学ふうの階段教室で、ステージから一番遠い奥の座席を見上げるようなシチュエーションが大好きなのである。京都のキャンパスプラザは、そういうワタクシのワガママを全て叶えてくれる。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 1)

 

 20世紀までは、予備校の授業は何が何でも黒板だった。21世紀になってホワイトボードと言ふものが台頭し、地方の大ホールでのシアター形式の会場では、ステージにホワイトボード3台を並べて講演会を行うことが多くなった。

 

 事前収録の映像授業では、電子黒板が台頭した。「黒板にチョーク」、人類の歴史上おそらく3000年も4000年も続いた古式ゆかしいアイテムが、一気に窮地に追いやられた。

 

「先生は黒板の前で熱く語り、生徒は先生がチョークで書いた板書をノートに書き写す」という学問のスタイルは、21世紀初頭にいきなり消滅の瀬戸際に立たされたというわけだ。

 

 遥かなメソポタミア文明から、古代ギリシャ&ローマを経て、全世界の中世&近現代を貫き、間違いなく数千年にわたって受け継がれてきた学習スタイルの危機なのである。我々は消滅寸前の文化の価値を、もっと真剣に考えるべきなんじゃないか。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 2)

 

 20世紀後半に花開いた予備校文化においては、黒板こそが大スターだった。200名とか300名とか、それどころか600名超収容の大教室で、はるかかなたの教壇に立つ講師の板書を、オペラグラスでかろうじて読み取り、受験生諸君は夢中でそれをノートに書き写した。

 

「黒板消しのオジサン」なんてのも、当時はたいへん重要な職業だった。授業と授業の間の休憩時間は10分か20分しかない。その僅かな時間のうちに、前の時間の講師が書きなぐった全ての板書をキレイに消して、次の時間の講師が気持ちよく授業を始められるように整えなければならなかった。

 

 大きな予備校の場合、1つの校舎に大教室が20も30も並んでいて、だから「黒板消しのオジサン」がいったい何人常駐していたのか、ちょっと見当がつかない。あのオジサンたちがいなければ、大予備校の運営はおそらく成り立たなかった。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 3)

 

 1990年の後半あたりから、その辺にも「経費節減」という波が押し寄せて、まずは「黒板消しマシーン」が導入された。大教室の巨大な黒板を、マシーンはまず向かって左から右へ、続いて右から左へ、その1往復で、オジサン1人の10分ぶんの仕事を、3分足らずで片付けた。

 

 しかし何しろ少子化と生徒減少の大波の真っだた中、中小予備校どころか当時の3大予備校 ≒ SKYでさえ、「そんなマシーンは配置できません」と言ふことになって、「黒板を消すのは講師の役割」と言い出した。

 

「授業が終わったら、先生方は必ず黒板を消してから講師室に帰ってください」と事務方に言われて、古株の老講師の皆様は陰でずいぶん不平を口にした。「ボクはひどい喘息なんで」と、平気で黒板消しを拒絶するオカタも、少なからず存在した。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 4)

 

 一方で、黒板やチョークを製作&販売する業者もまた、大きな危機を迎えていたのである。だって、どんどんホワイトボードが攻勢をかけ、ITを駆使する電子黒板が優勢になってくる。かく言う今井君も、2010年を過ぎた頃からの収録授業では、どんどん電子黒板に乗り換えだした。

 

 だって電子黒板、マコトに楽なのだ。長文読解問題の英語長文がいきなり全文、残らず電子黒板に示されれば、画面にタッチして色とりどりのカラフルなペンを駆使、スピーディーにどんどん解説が進められる。

 

 確かに授業の迫力という面では、黒板にチョークというスタイルのほうが格段に上である。しかしいくら迫力があっても、いったん電子黒板の便利さを経験してしまうと、思わず「迫力なんか別にいいや」「それより効率だ」「たとえ軽薄と揶揄されようと、やっぱり授業は効率優先」と思うようになる。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 5)

 

 この辺、他の先生方はどうだったんだろう。21世紀に入って以来、ワタクシは事あるごとに日本中の塾の先生方に「黒板とホワイトボード、どっちがお好きですか?」「黒板と電子黒板、どっちがいいですか?」と質問してみたものだ。

 

 諸君、公開授業や講演会の後の「祝勝会」「懇親会」「お食事会」、要するに「大宴会」の真っ最中の今井君が、まさか大酒を飲んで泥酔してばかりいるなんてお考えではないでしょうな。

 

 それどころかワタクシは、授業を1歩でも2歩でもより良いものにするように、地元の先生方とそういう熱い意見交換を欠かさないのである。そして、金沢でも札幌でも博多でも、大阪でも松山でも京都でも広島でも、熱い授業を愛してやまない先生方のご意見は、「黒板とチョーク」が圧倒的に優勢なのである。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 6)

 

 20世紀終盤、まだ代々木ゼミナールや河合塾の巨大な教室がどこもみんな超満員だったころ、特に理科と社会科の人気講師たちは、その美しい板書を売り物にしていらっしゃった。

 

 日本史でも世界史でも、地理でも生物でも化学でも、大予備校の超人気講師たちは7色のチョークを駆使して、マコトに美的感覚に優れた板書を繰り広げた。彼ら彼女らはもう「板書」という言葉を遣わず、「ボード」「立体ボード」「3次元ボード」などと呼んで、自らの板書の優越性に胸を張った。

 

 まさにあの時代が、日本の大学受験バブルの最盛期であり、予備校バブルのピークだったと思うのだが、例えば代々木ゼミナールでは7色のサインペンを取り揃えた「ラッションペン」が生徒の必須アイテムとなり、講師のチョークと同じ色を使って、懸命に板書だかボードだかをノートに書き写したのである。

 

 そういう時代に、今井君みたいに地味な板書をしていると、「先生、もっとカラフルに板書してくれませんか?」などと不平を言われたのである。頑固なワタクシは、どんなに求められても白とピンクと黄色しか使わない。どうしても必要になればブルーや蛍光グリーンや蛍光オレンジも使うが、やっぱり限度があるじゃないか。

(京都の講演会の翌日、11月25日のワタクシは京都府立植物園を訪問した 7)

 

 こういう芸術的な「ボード」の始まりは、おそらく駿台世界史科の関センセだったと思う。ワタクシも、はるかなはるかな昔、自分自身がまだ東大受験生だった遠い昔に、駿台御茶ノ水本部校舎、400名収容の大教室の一番後ろの席で、センセの世界史の授業を受けたことがある。

 

 先生は、授業の初めにまず黒板に1本の横線を引くのである。イスラム世界を扱う時でも、ヨーロッパ中世を語る時でも、中国史やインド史がテーマの時間も、まず必ず黒板の真ん中に1本の横線を引く。その徹底した授業スタイルに、受講生はみな歓声をあげ、「予習」と称してノートに1本横線を引いてくる生徒だっていた。

 

 その横線を基準にして、先生は50分授業 ×2コマ=まるまる100分かけて、マコトに見事な板書だかボードだかを作り上げる。先生の解説を聞きながら、横線1本の周囲にいろいろ書き加えていけば、インド史もイスラム世界も中南米史も、板書1枚でカンペキに理解したような気分に浸れた。

(植物園の隣は京都コンサートホール。詳細は次回の記事で 1)

 

 しかし諸君、電子黒板の圧倒的な力によって、先生と一緒に1枚のボードを作り上げていくあの快感は全て消えてしまった(んじゃないかな)。

 

 だって電子黒板なら、授業担当のセンセがキーを1回ポチッとすればたちまちのうちに、かつて100分かけて講師と生徒の共同作業で作り上げていったあの美しいボードが、いきなり目の前にマコトに超カラフルに登場しちゃうのだ。あとは「保存」のキーを1回ポチッとすれば、みんなオシマイになるじゃないか。

 

 そのへんを、物足りなく思うかどうか。というか、そんなボードをいきなり電子黒板にポチッとされて、書き写すも何も一切のの努力なしにこちらのパソコンに送られてきて、それで学力がつくかどうか。ワタクシは完全に反対派なのである。

 

 むかしむかし代ゼミの講師室で、真っ赤なスーツに身を包んだ準新人の英語講師が、「この次の授業では、『仮定法』をたった1枚のボードで全てクリアさせてやるぞォ」と、質問にきた男子生徒に自信たっぷりに叫んでいた。いやはや、ああいう微笑ましい光景も、電子黒板によってみんな台無しにされちゃうのだ。

(植物園の隣は京都コンサートホール。詳細は次回の記事で 2)

 

 そこへ、まさに泣きっ面にハチ、チョーク会社の「ハゴロモ」が廃業に追い込まれてしまった。2014年のことだから、すでに10年も前の話である。あれから10年が経過しても、市場に残ったハゴロモのチョークには、たいへんな高値がついているようだ。

 

 だってハゴロモのチョーク、マコトに折れにくいのである。今井君みたいにちょっと強い筆圧でしっかりした肉厚の文字を書いていきたい講師にとって、ハゴロモのチョークは充実した授業に必須だった。

 

 ライバル「天神」のチョークが、軽くてやたらに折れやすく、「まるで干菓子のラクガンみたい」という類いの品質であるのに比較すれば、まさに別格の存在。ハゴロモのチョークなくして、予備校名物講師の芸術的板書ないし「ボード」なんか、まさに考えられなかったのである。

(11月25日の朝食も、烏丸七条の「なか卯」、ベーコンエッグ定食に銀ジャケをトッピング。詳細は、明日の記事で)

 

 今回の京都キャンパスプラザ講演会では、市場にわずかに残ったハゴロモのチョークを、京都と滋賀の先生方が懸命にかき集めてくれた。講演会前にそのことを告げられ、今井君はもう嬉しくて嬉しくてたまらない。チョークの白いボディに「HAGOROMO」、その黒い文字がマコトに頼もしい。

 

 久しぶりに板書してみて、さすがハゴロモ、いつまでもいつまでも板書を続けていたくなる絶品の感触である。どうだね諸君、昨日の記事の1枚目の写真、昨日のラストの写真、そういう絶品チョークで板書している今井君の後ろ姿に、講師としてのサイコーの満足感を感じはしないだろうか。

 

1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 3/9

2E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 4/9

3E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 5/9

6D(DPl) 能:観世流 鞍馬天狗(梅若実)/ 観世流 恋重荷(観世銕之丞 森茂好)

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