Fri 231208 なじみの理髪店がNHK「美の壷」に登場/床屋遍歴/高松から大阪 4464回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 231208 なじみの理髪店がNHK「美の壷」に登場/床屋遍歴/高松から大阪 4464回

 この2年半すっかり馴染みになった理髪店の店主が、近くNHK「美の壷」に出演することになった。「店主」と呼べばオジジくさいが、彼はまだ30歳になるかならぬかの青年である。「美の壷」出演、マコトにおめでたい。というか、嬉しくて嬉しくて、ワタクシは熱い涙がこぼれそうである。

 

NHKBSで、確か1211日だったと思います」「地上波での放送は来年1月になってからということでした」とおっしゃる。「宣伝してもいいですか?」と尋ねると、何度も頷きながら「お願いします」「どんどん宣伝してくださって構いません」とのことだった。

 

 その日の「美の壷」、テーマは「スーツ」なのだという。店主は以前からワタクシにレトロなものへの強い関心を語り、だからワタクシも小倉や門司や柳川、倉敷に小樽に城崎に京都、レトロなものの集まる街への出張旅行の思い出を話して、それこそレトロな雰囲気の理髪店で、ずいぶん会話が弾むのである。

 

 彼のレトロスーツのコレクションを、「美の壷」で紹介してくれるんだそうだ。すでに取材もとっくに終わり、「ボクの映像が流れるのはホンの2分程度ですかね」と謙遜するが、どうしてどうして、一般にテレビと言ふものは、丸1日取材に費やしても出演は20秒か30秒がせいぜい。2分も尺が与えられたら、そりゃ素晴らしい話である。

 

 いろいろうるさいことを言う人も少なくないし、これ以上書けば「ネタバレ」になって各所に迷惑がかかるだろうから、今日のところは自重する。しかし諸君、馴染みの飲食店やら理髪店やらの人が、こうやってハレの舞台に立つのはマコトに嬉しいことである。

(ホテルリッツカールトン大阪、今年のクリスマスツリーも見とれるほどだ 1)

 

 もともと今井君と言うのは、床屋とか理髪店とかが大の苦手。出来るだけ行きたくない、出来るだけ通いたくない、ホンの小さな子供のころから、床屋のオジサマや床屋のオジーサマと2人きりで過ごさなければならない1時間ほどが大キライで、それでいつの間にかこんな髪型になった。

 

 小中学生のころは、秋田市土崎港の自宅そば「金坂理髪店」が定番。秋田方言では床屋のことを何故か「ジョンボ」とか「ジャンボ」と呼ぶので、月末になると父上が「髪が伸びて来たな。そろそろジョンボに行ってこい」と命令を下すわけである。

 

 ジョンボでは、いつでもラジオがかけっぱなし。当時の秋田放送(ABS)ラジオには、昨日書いたような舌鋒鋭い政権批判を繰り広げるパーソナリティーはいなかったが、何しろ昭和の秋田のラジオだ、秋田民謡やら東北民謡やら、全国民謡選手権やら、古色蒼然とした民謡を1時間も聞かされるのには往生した。

(ホテルリッツカールトン大阪、今年のクリスマスツリーも見とれるほどだ 2)

 

 高校生になって、高1の秋に秋田市内の別の地域に引っ越した。秋田市横森、登記簿上は「秋田市下北手桜字苔良谷地(こけらやち)」、地名から判断しても、昔よく苔の生えていた日当たりの悪い谷間の泥田を切り開いた新興住宅地。新築後半年もしないでオウチはどんどん傾いていった。

 

 だから今井君の高校生時代は、「ダマされた」「欠陥住宅地をつかまされた」という無念の中で、両親が「訴訟にするかどうか」と蒼い顔で続ける激論を聞きながら過ぎていったのであるが、それとは全く無関係に、「新しい床屋さんとの付き合いを構築する」という難行苦行もあった。

 

 それが「菅原理髪店」。散髪後の念入りなマッサージがあんまり面白くて笑いが止まらなくなり、延々15分も笑いが止まらなくて、今度は激しいシャックリの発作に襲われ、床屋の菅原オジサンもすっかり困り果て、ウサギの耳をチョキンと切り落とした床屋のカニさんみたいに大慌てになった。

(大阪梅田、阪急百貨店の大食堂には、懐かしい阪急電車のランチボックスがある)

 

 いやはやそういう懐かしい床屋の記憶は、大学生から電通人、電通人から河合塾人 → 駿台人 → 代ゼミ人 → 東進人と着実に成長するにしたがって、どうも希薄なものに変わってきた。

 

 つまり人間が成長すると、床屋や理髪店に対する苦手意識も薄らぎ、すると大切なコダワリや美意識を喪失して、「1ヶ月に1時間も過ごす大事な場所だ」という温かい気持ちさえなくしてしまうということである。

 

 東進に移籍してから、しばらくの間は「床屋は大阪で」と決めていた。大阪伊丹空港でふと立ち寄った床屋さんで、「今井先生ですか?」「うちの娘が先生の授業に夢中でして」と、パパ床屋さんは毎回ずいぶん丁寧に、この丸刈り頭の世話をしてくれた。

 

 その床屋さんが「伊丹空港のリニューアルのため、やむなく閉店いたします」とおっしゃったのは、もう10年近く前のことである。「いきなりそんなこと言われたって、ボクはどうすればいいんですか?」と涙ながらに尋ねたものだが、彼の「娘さん」も、もう間違いなく30歳を超えている。

(大阪梅田の阪急百貨店で、日本蕎麦の揚げ蕎麦をいただく。オイシューございました)

 

 その後ワタクシは、新宿から各駅停車で2駅、「幡ヶ谷」という小さな駅の小さな地下街で「141」という名前の床屋さんを見つけ、3年だったか4年だったか、「ただ丸刈りにしてもらうだけ」という静かな静かな理髪店生活を続けた。

 

 丁寧だが手早い仕事ぶりも気に入っていた。ちょうど2018年甲子園で金足農旋風が巻き起こったころで、吉田輝星投手の猛烈な活躍を、店のテレビで見守った日もあった。その吉田投手も、とうとう日本ハムからオリックスへのトレードが決まってしまった。

 

 気に入っていた「141」は、間もなく「地下街の老朽化のせいで」閉店。何しろ40年も50年も経過する小さな地下街だ。マクドナルドの隣の店舗は、床屋さんにとって最も大切な「水まわり」で故障が相次ぎ、とても事業が継続できなくなったのだということだった。

(大阪梅田の阪急百貨店で、〆のざる蕎麦をすする。マコトにオイシューございました)

 

 致し方なく、ちょうどコロナが猛威をふるいはじめた頃だったが、西新宿の高層ビルの中に入っている某チェーンの理髪店を訪ねた。安さが売り物のチェーンだったけれども、なかなかサービスも安定。気に入って約1年半通い続けた。

 

 しかし2年半ほど前、デルタ株が拡大し始めた頃、菅義偉総理が毎日毎日例の広い額を苦悩の脂汗でテカテカさせながら「ワクチン、ワクチン」と喘ぐように国民に訴えかけていた頃のある日である。ワタクシが散髪してもらっていた真横の椅子に、「いかにもホスト」という男子が席を占めた。

 

 何しろ西新宿だ。「いかにもホスト男子」がいらっしゃっても、何1つ文句はない。しかし諸君、店の女子従業員がその「いかにもホスト男子」に、マスクを外して妙な色気を振りまき出した。

 

 彼女が何か特殊なパーマをかけること勧め、「いかにもホスト」さんはすぐにオッケーを出し、お互いにペチャペチャ、何の遠慮もなしに声高なおしゃべりを始めた。狭い店内は2人のおしゃべりに席巻され、まさにデルタ株の蔓延の初期に、店内はほぼ「ツバ飛ばし大会」の様相になった。

(11月中旬の大阪梅田は、阪神タイガースの優勝に沸き立っていた)

 

 この辺で諸君も想像がつくだろうが、今井君はこういう時に黙って沈黙を貫くほど無責任な男ではない。約30分ほど忍耐に忍耐を重ねた後、今井君は今井担当の床屋さんに、出来るだけ丁寧な口調で「少しおしゃべりのボリュームを下げるように、お願いしていただけませんか」「他のお客さんもいらっしゃるわけですから」「せめてマスクを」とお願いしてみた。

 

 ただしマコトに残念なことに、この戦いに今井君はあえなく敗北。お店としては「こういうおしゃべりを楽しみにしていらっしゃるカタも多いので」ということで、デルタ株真っただ中でのツバ飛ばし大会を容認する姿勢をお示しになった。

 

 こういうことになれば、ワタクシとしてはまた新しいお店を探すしかない。困り果てて渋谷区内の散策を続けていたところ、小田急線と地下鉄千代田線が交わるあたり、静かでレトロで知的な街のケヤキ並木の片隅で、少し明かりを落とした小さなネジリ棒が、実に優しくゆっくりと回っているのを発見した。

(ホテルリッツカールトン大阪、今年のクリスマスツリーも見とれるほどだ 3)

 

 それが、今回「美の壷」に登場する理髪店なのである。「海の見える理髪店」というタイトルの映画に、モデル店舗として貸してくれないかという問い合わせもあったんだという。

 

 白と軽快なモスグリーン、2色のタイルを組み合わせた、市松模様の床。同じモスグリーンの壁板と天井。ともに若い店主が自らデザインしたんだという。店主はさらに「太鼓傘」を傘メーカーに提案。雨の音が爽やかな太鼓の響きに聞こえる設計の傘は、ワタクシも購入させていただき、日々愛用している。

 

 思えばワタクシ、あのとき西新宿の店でおしゃべりとツバ飛ばし大会に興じていた「いかにもホスト」さんに感謝、あの店の女子従業員にも感謝、ワタクシの敗北を宣言してくれた店長にも、やっぱり感謝でいっぱいだ。もしあの時あの敗北がなかったら、こんな素敵なレトロな店との出会いはなかったはずだ。

(高松のホテル最上階から、高松港を臨む。出入りする船も、最近はすっかり減ってしまった)

 

 さて今年の11月初旬、そういう素晴らしい理髪店で再びスッキリ爽やかな丸刈り頭になったワタクシは、四国の高松から大阪方面への長い講演旅行を開始した。

 

 高松から大阪へは、バスの旅である。高松港の近くから高速バスに乗り込めば、バスは一気に東に進んで淡路島を縦断、鳴門海峡と明石海峡にかかる2つの巨大な橋をわたって、たった3時間で大阪梅田に到着した。

 

 まさに「隔世の感」がある。今井君が大学生の頃までは、四国と大阪はヒコーキで旅するのが当たり前の世界。さもなければ、高松の港から「宇高連絡船」というフェリーで岡山県宇野に向かい、宇野から岡山、岡山から大阪、長い長い鉄道の旅がそれに続いたのである。

 

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