Wed 231025 山の上ホテルが休館へ/駿台の先輩や主任の思ひ出/バーと天ぷら 4445回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 231025 山の上ホテルが休館へ/駿台の先輩や主任の思ひ出/バーと天ぷら 4445回

 あまりにも残念なことが2つある。御茶ノ水「山の上ホテル」突然の休業決定と、「ダンシングオールナイト」のもんたよしのりの急死である。

 

 山の上ホテルは、昭和29年の開業。開業以前にも長い長い歴史があって、建物自体は86年の歴史を誇るんだそうだけれども、ホテルとしての歴史は70年。ワタクシの初めての訪問は1995年ごろだから、関わりがあったのはその歴史の半分以下である。

 

 三島由紀夫やら川端康成やら、昭和の昔の超売れっ子作家が、このホテルの部屋に缶詰になって次々と原稿を書きあげた時代については、まあググるなりマスコミ報道を読んでみるなりして、諸君の方で確かめてくれたまえ。

 

 ワタクシが山の上ホテルに通い始めたのは、駿台予備校の若手講師としてである。御茶ノ水本部校舎の講師室にズラリと居並んだ錚々たる大御所講師のほとんどが、何らかの形で山の上ホテルの常連になっていた。

 

 もちろん、いくら泣く子も黙る大御所と言ったって、やっぱり予備校講師は予備校講師であって、超大手や老舗出版社のスタッフが日参して「山の上ホテルで缶詰になっていただきますよ」と言ってくれるような大作家とは全く異質である。

(10月6日、羽田発鹿児島行きのヒコーキから富士山を望む。記事内容とはほぼ無関係でございます)

 

 あえて言えば、晩年の伊藤和夫師だけはその種の扱いをうけたかもしれない。60歳で駿台英語科主任を退いた後の伊藤師は、いやはやたいへんな勢いで参考書の執筆に専念。1997年、70歳で亡くなるまでの10年で数え切れないほどの参考書を出版された。

 

 その多くが、研究社からのものである。大ベストセラーになった「英文解釈教室」が1970年代中期であるが、そのあと研究社から出た「英文法教室」「長文読解教室」が次々と大ヒット、それこそ「山の上ホテルに缶詰」の栄光を手にした唯一の予備校講師だったんじゃないか。

 

 もちろん今井君なんかは、師の足元にも及ばない。というか、「参考書の時代」のバスに乗り遅れた世代である。代々木ゼミナール時代に書いた「英文法入門」と「パラグラフリーディングシリーズ」は、まあそれなりによく売れたけれども、缶詰なんてのは夢にも考えられなかった。

 

 伊藤和夫師の死は、参考書の時代の終焉を告げたのかもしれない。長い伝統を誇った研究社の雑誌「高校英語研究」が廃刊に追い込まれた時、伊藤先生は「受験英語への弔鐘」という一文を掲載されたが、確かに参考書の時代はあの時オシマイになり、それどころか生授業の時代も、映像授業の時代も、何だかこのところ物寂しいというか、物悲しいものがある。

 

 同じように20世紀の後半、「山の上ホテルの時代」もあったのである。三島由紀夫やら川端康成やらには遠く及ばない昭和の人気作家たちも、ナンボでも「山の上ホテルに缶詰」という栄光を経験できた。かくいう今井君だって、まだ中学生から高校生の頃には、その栄光に憧れたうちの1人だったような気もする。

(10月4日、スーツを2着オーダーした後の高島屋「つばめグリル」にて。記事内容とはほぼ無関係でございます 1)

 

 実際の今井君の山の上ホテル体験は、1995年ごろから始まった。駿台本部校舎で一緒に東大スーパークラスを担当していた某先輩講師が、ある朝いきなり今井君のそばにいらっしゃって「どうですか、今晩あたり、ちょっとご一緒しませんか」と誘ってくれた。

 

 それが山の上ホテルの名門バー「アンアン」だった。夏の初めのことだったので、小さなバーのカウンターの隅っこに席を占めた先輩は「まずビールからいきますか」と、慣れた様子でビールを1本ずつ注文してくれた。

 

 20世紀の予備校講師は、マコトにカネ離れがよかった。名門ホテルのバーのカウンターで「ビール」なんて言えば、ちっちゃな小瓶で2000円は覚悟しなきゃいけない。それを2本飲めば、飲み会のホンの入口でもう4000円いっちゃうが、全然気にする様子もなしに小瓶を2本、あっという間にカラッポにした。

 

 あとは、次から次へとカクテルを注文するのである。しかも「マティーニを、オンザロック・スタイルで」とか、いやはや&いやはや、若き今井君にはとてもマネのできないようなカッケー注文を繰り返す。

 

「今井サンには、『ゆきぐに』がよく似合う」などという、ひっくり返るようなお言葉もいただいた。まあそういう流れだから、いつの間にか若き今井君も「ブラックルシアン」だの「ダーティーマザー」だの、恐るべき各種カクテルを「アンアン」で覚えていった。

 

「英語科・新主任」の先生にも、何度も山の上ホテルに連れていってもらった。伊藤和夫師が英語科主任をその先生に禅譲された直後のことで、新しく主任になられたその先生は、強烈に人気急上昇中だった今井君のことを、滅多やたらに気に入ってくれた。

 

「今井クンみたいな、いつもブヒブヒ言ってるヤツじゃなきゃダメなんだ」と、意味不明なホメ言葉を繰り返しつつ、要するに「上品で引っ込み思案な講師じゃ、将来を任せられない」「今井君みたいな、情け容赦なく攻め込んでくる講師が頼もしい」と言ってくれていたらしい。

(10月4日、スーツを2着オーダーした後の高島屋「つばめグリル」にて。記事内容とはほぼ無関係でございます 2)

 

 その新主任が、夕暮れになると事務職員に「おい、ヒルトップの天ぷら屋、2人予約しておいてくれ」と声をかける。「事務職員」と言っても課長補佐クラス、場合によっては部長代理クラスの人だが、新主任はかまわず「おい」「おい」と、野太い声で頻繁に雑用を依頼した。

 

「じゃあ今井君、ヒルトップに行こう」と誘われるのは、夕暮れ5時過ぎ。今井君に殺到してくる「質問です」の生徒たちの列がまだ続いていても、「今井君、早く行こう」「今井君、もう質問はそのぐらいにしたまえ」「早く切り上げたまえ」と、そこに生徒がいようがいまいが、新主任は今井君を「天ぷら山の上」に引きずっていくのである。

 

 だから、某先輩と一緒の時は「アンアン」でカクテル、新主任と一緒の時は「山の上」で天ぷら、その天ぷらが日本の天ぷら界のトップに君臨する天ぷらとはつゆ知らず、若き今井君はすっかり天ぷらカウンターのお馴染みさんに成長していったのであった。

 

 なお「ヒルトップ」というのは、言うまでもないが「山の上」ということであって、新主任もそう言っていたし、ホテルサイドでも明治大学脇の大きな看板には「Hill Top Hotel」と英語で明記している。だから新主任は常に「ヒルトップ、予約してくれ」、あの豪放な野太い声は今も忘れられない。

(銀座6丁目「銀座デリー」でマハラジャビールをいただく。「天ぷら山の上」銀座店からも至近。記事内容とはほぼ無関係でございます)

 

 それにしても、みんなやっぱりカネ離れがよすぎないか。天ぷらはもちろん新主任のオゴリであるが、カウンターでお好み天ぷらなんか食べれば、1人で5万円、2人で10万円。もちろんお酒も際限なく飲むから、おそらく一晩で20万円ぐらいはオゴってもらった計算になる。

 

 新主任は、天ぷらカウンターでもまたマコトに豪放ないし横柄であって、「おい、酒がないよ」「おい、早く酒もってこいよ」の類いの注文をする。相手は名門ホテルの超名門天ぷら屋だ。30年前の若き今井君はつねにハラハラしたが、もちろんオゴリだ、一円も払わずにニタニタ笑っていた。

 

 1990年代の予備校は、そのぐらい景気が良かったのだ。ランチに500円の中途半端な手当ても出ていた。豪華な講師弁当が1700円。その弁当に500円の補助金が出た。

 

 今井君はそんな高いお弁当は注文できずに、学食から運ばれてくる350円のカレーやかけうどんを抱え込んで豪勢な先輩諸氏を見守っていたが、時間が経過するのは速いもので、いつの間にか年齢は当時の先輩諸氏を大きく追い越してしまった。

 

 1990年代までは、駿台でも河合塾でも代ゼミでも、4月に全講師のディナーパーティーがあって、帝国ホテルやらホテルニューオータニやらで豪華お食事を楽しみながらの懇談を満喫できた。秋には「歌舞伎のチケット」なんかが送られてきて、いやはやみんな勘違いのセレブ気分を満喫したのである。

(銀座デリー、極極辛♡カシミールカレーの大盛り。やっぱりカレーはこうでなくちゃ。記事内容とはほぼ無関係でございます)

 

 今井君の山の上ホテル体験は、そうやってスタートした。「アンアン」「天ぷら山の上」ともに、駿台を離れてからも長い長いお付き合いが続いて、特に天ぷらのほうは、赤坂のお店、銀座6丁目のお店、御茶ノ水の本店と、すでに30年近いお付き合いになる。

 

 その間に、本店で「池波正太郎先生の定番のお席」なんてのにも招待されるようになり、従業員の皆様にもこの楕円形の顔を記憶していただき、天ぷらカウンターに座ったままで、「この後『アンアン』のカウンター、予約できますか?」などと生意気なことまで言えるようになった。

 

 もちろんワタクシは、どこまでも控えめなサトイモであるから「おい、予約しておいてくれ」「おい、お酒を早くもってこいよ」みたいな発言は絶対にしないが、ふと気がつくと自分の「いかにも常連」っぽい言動に気づいて慄然としたりもする。

 

 その「山の上ホテル」が、とうとう「しばらく休館」「建物の老朽化に伴って止むを得ず休館」「お時間をいただいて、近いうちに再スタート」とおっしゃるのである。いたずらにヨワイを重ねた今井君の寂寥感にも、甚だ深いものがある。

 

 しかし諸君、今日もまた長く書きすぎた。もんたよしのりと「ダンシングオールナイト」の記憶については、また機会を改めて書くことにしたい。

 

1E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.2

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10

6D(DPl) 能:金春流 黒塚(桜間道雄 本田秀男)/ 金剛流 葵上(豊嶋弥左衛門 江崎金治郎)

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