Fri 231020 ついに達成4444/拗ねる/初文楽の思ひ出/3階の軽食コーナー 4444回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 231020 ついに達成4444/拗ねる/初文楽の思ひ出/3階の軽食コーナー 4444回

 男子の多くは、余程の人格者でもないかぎり、中年に至ると物事にやたら拗ねやすくなる。中年を過ぎて「中高年」に至ればもっともっと拗ねやすくなって、その拗ね方もますます激しくなる。

 

 だから、もし諸君の周囲に「中年」ないし「中高年」のカテゴリーに入るような男子が存在したら、是非とも思う存分に拗ねさせてあげてほしいのである。

 

 読者諸君の周辺で、ぴったり中年以上のカテゴリーに入る男子とは、おそらく何よりもまず「父」という漢字を共有する者たち、つまり「父」「祖父」「伯父」「叔父」であるが、最近は昔と違ってuncleたちの存在感がグーッと低下しているから、やっぱり拗ねさせてあげたい男子の代表格は何と言っても「父」である。

 

 古今東西、「父」とは何とも頻繁に拗ねる存在であって、拗ねない父は立派すぎてつまらない。今井君ももちろん最も父らしい父、いま神サマが土をこねてアダムの代わりに「父」をおつくりになるとすれば、ほぼ抽象化されたその「父」こそ、まさに今井君とそっくりなんじゃないかと思うほどである。

(国立劇場・文楽公演のパンフレット。左:昭和53年8月公演、右:昭和54年2月公演)

 

 まあ読者諸君も、今もし身近に今井君の写真か映像か何かがあるなら、直ちに取り出してジッとその風貌を眺めてみたまえ。「おお、これこそ父」「これこそオヤジ代表」「コイツ以外、他にオヤジと言ふ存在が考えられるだろうか」と、いかにも深遠な腕組みぐらいはしたくなるはずだ。

 

 だから、今井君はマコトによく拗ねるのである。拗ねるは&拗ねるは、いつでもどこでも拗ね放題、人がお酒に付き合ってくれなかったと言っては拗ね、モツ鍋屋のオネーサマがモツ鍋のコンロの火を容赦なく消してしまったと言っては拗ね(前回の記事参照)、すでに自分でも始末におえない有様だ。

 

 特に、気に入っているものが評価されない時に拗ねやすい。気に入っているもの、大事にしていること、大好きな人や物、そういうネチっこい愛の対象が低評価を受けているのを目にすると、拗ね方はどんどん激しくなって、しかも拗ねるのを忘れるまでの時間も長くなる。

 

 だから諸君のパパとか父君とかオトーサンが「どうも最近よく拗ねるな」と感じているならば、彼らの大切にしているものをケナすことだけは、出来るだけやめてあげたほうがいい。

 

 野球選手でもサッカー選手でも、昔のフォークシンガーでも大昔のアイドルでも、パパが大事にしているものをケナせば、ご機嫌が元に戻るまでの時間は無限大に近くなる。

(昭和53年8月の文楽公演。人間国宝と、将来の人間国宝がズラリと顔をそろえていた。関心のある人は、拡大してご覧ください)

 

 こういうことをワタクシが書くのは、今ワタクシ自身が拗ねているからである。今井君は今、すごく拗ねている。すごくすごく拗ねている。あんまり拗ねているので、もう何にもしたくない。あれほど好きなお茶漬けも食べたくない。博多で旨い明太子を買ってきたのに、お茶漬けにも食欲が湧かないのである。

 

 拗ねている人間やサトイモに「何をそんなに拗ねてるの?」と尋ねても、ますます拗ねるばかりで、返答を得ることはまず不可能である。たいていの場合は、拗ねている原因があまりにくだらないし、拗ねている本人もそのくだらなさを自覚しているから、拗ねた原因なんかとても人に打ち明けられないのだ。

 

 今のワタクシの場合、例えば「せっかく4444回のゾロ目達成なのに、誰も褒めてくれない」というのが原因かもしれない。もちろんあまりにくだらない理由なので、恥ずかしくて「その通りだよ」とは告白できない。

 

 その辺は、幼児や園児や学童と同じことである。乳児はマコトに純粋で素朴で素直だから「ミルクがほしい」「優しくなでてほしい」という時に、「拗ねる」などという迂遠でヨコシマでひねくれた戦術を取らない。彼ら彼女らはただ激烈な泣き声を張り上げて、不平と不満を直接的に表明するのである。

(国立劇場への「近道」。まだ「半蔵門」の駅がなかった頃、バスなら「隼町」の停留所から、地下鉄なら「永田町」から歩いた)

 

 しかし幼児と園児と学童になると、実にひねこびた戦術を覚え始める。戦術と言ってカッコ悪ければ、英語でタクティクス、まあ要するに同じことであるが、彼ら彼女らは「コーラが飲みたい」「アイスを買ってほしい」と素直に告白できないから、ギュッと口をむすんで涙目になり、もう意地でも口をきかないのである。

 

 その時、もしもパパなりママなりが「どうしたの?」と尋ね、「コーラが欲しいの?」「アイスが食べたいの?」と見事に図星、物の見事に正解を口にしたりすれば、幼児と園児と学童は、まさに「鳩が豆鉄砲」の有様になってあたふた、ますます拗ねてみせるより方法がなくなる。

 

 幼児や園児や学童だから、まあ周囲の大人が最終的に毅然とした態度をとれば何とか事は収まるが、その幼児と園児と学童が、そのまま成長して中年男子のカテゴリーに入ってしまうと、「周囲の大人が毅然と」という戦略というかストラテジーは、さすがに取りにくい。

(左が国立劇場、右が最高裁判所。隼町や永田町から、かつての「近道」を通れば、必ずここに出た)

 

 今サトイモの旦那が「4444回のゾロ目を達成したのに誰も褒めてくれない」と言って思い切り拗ねているとする。そこでまず毅然としたオトナがサトイモの旦那に接近し「そんなこと言って拗ねてちゃダメだろ!!」とか「大人の男らしくないぞ!!」とか、そう叱りとばしても、全く効果がない。

 

「効果がない」と言うより、それはハッキリ逆効果というものであって、サトイモ閣下はますますカッカして不動明王そっくりの恐ろしいサトイモカッカに変じ、ますます自分の殻に閉じこもる。

 

 天岩戸に閉じこもったのは女神様であるが、「外があんまり楽しそうだから出てきてみた」と柔軟な対応をしていただけたのは、あくまで彼女が「女神様」だったからである。

 

 一方のサトイモ大明神、コイツは全人類の中でも最も厄介な「中年男子」ないし「中高年男子」というカテゴリーにどっぷり首まで浸かっている。それどころか最近は、もうワンランク厄介度が増したカテゴリーからもお誘いの手紙やら通知が届くのだが、まあそれには今は触れないことにする。

 

 そこでその「4444回のゾロ目」であるが、「どうして誰も褒めてくれないの?」であって、すでに2回もしつこく予告を繰り返し、「褒めてちょ」「褒めてくんろ」「褒めてくんなまし」と、熱い拍手なり、温かい喝采なり賛辞なりを求めてきたのに、いやはや、賛辞も拍手も喝采も、ちっとも聞こえてこない。

(国立劇場の幕間には、かつては必ず「十八番」で食事をした。豪華お弁当なら2階、軽食なら3階。若き今井君は必ず3階の軽食コーナーを選んだ)

 

 そこで大いに拗ねながら、この2ヶ月間のワタクシは、炎暑の9月には大汗をかきながら、急に冷えてきた10月中旬からはヌクヌク分厚いチャンチャンコを羽織って、我が書斎の整理をつづけてきた。

 

 毎度おなじみ「天井まで届く書棚9架」であるから、ホントに珍しい本や各種パンフレット、すでに「史料」のカテゴリーに入りかけた資料などが、次から次へと姿を現し、拗ねきったサトイモ閣下の寂しい心を、深まる秋のチャンチャンコよろしくヌクヌクと温めてくれるのであった。

 

 1993年の河合塾の入学要項なんてのもあったし、1997年の代々木ゼミナール「講師マニュアル」もあった。1994年の駿台のパンフにテキスト類各種もあれば、それどころかワタクシがかつて使用した「(株)電通 新入社員研修ハンドブック」やら、昭和53年・国立劇場8月文楽公演のパンフレットも出てきた。

(国立小劇場3階、かつての「軽食コーナー」。椅子もテーブルもカウンターも昔のままだが、とっくに営業をやめて、その名も「休憩コーナー」の変わっていた)

 

 今日1枚目と2枚目の写真がその文楽パンフである。昭和53年夏、まだホンのコドモだった今井君は、生まれて初めて生の文楽を経験したのである。

 

 あの時誘ってくれたのは、我が姉上である。姉上がまだ大学生だったか、すでに就職して高校教師になっていたか、今ではハッキリ記憶にないが、大学の友人3人で行く予定だったのが、「1人が都合が悪くなった」というので、まだホンのコドモだった今井君に「アンタも行く?」「大人しくしてなさいよ」とお鉢が回ってきた。

 

 待ち合わせは、表参道。あれが今井君の表参道♡初体験であり、確かヤマハのお店の2階か3階のティールームで、本物のアイスコーヒーと言ふものを初めて味わった。「おお、ネスカフェの粉で作ったインスタントのアイスコーヒーとは、明らかに違う代物であるね」と、思わず唸り声をあげて、姉上にキツく叱られた。

 

 あれ以来、コドモから青年へ、青年から成年へ、やがて成年は中年にまでのぼりつめ、とうとう「その上のカテゴリー」まで間近に見えてきたのであるが、今井君は倦まず弛まず国立劇場に通い詰め、この10年はわざわざ文楽を観るためだけに大阪にまで通う習慣が続いている。

(学食風カレー。3階の軽食コーナーから、2階のお食事席に移動していた)

 

 その初代・東京国立劇場のラストデイの写真が、4444回のゾロ目の日のブログを飾ることになった。かつての今井君は、文楽を観る時には必ず劇場内の「十八番」でメシを貪った。「十八番」には2階の豪華お食事席と、3階の軽食コーナーがあった。

 

 青年期までの今井君はオカネというものに縁がなかったし、そもそも「オカネを稼ぐ努力」への関心もほぼ皆無だったから、2階の「豪華お食事」には興味ゼロ、豪華お食事にありついたのは、姉上に誘われて入った初文楽の時だけで、1人で通いつめた長い時代は、全て3階の軽食コーナーで済ませた。

 

 文楽の幕間は、20分ほど。第1幕が終わると、他の若者たちと競うように3階まで階段を駆け上がる。軽食コーナーのカウンターで、無愛想に待っているオバサマに大慌てで注文するのは、瓶ビール1本とスパゲティ。ナポリタンはなかったので、専らミートソースでポンポンを満たした。

 

 ミートソースに飽きると、カレーを注文した。スパゲティもカレーも、大学の学食と同じような代物だったが、何しろ普段から学食ぐらいしか入っていないから、学食と似たり寄ったりでも十分に満足したのである。

 

 あれから幾星霜、2023年9月24日は、国立小劇場のラストデイだった。「中年より1つ上のカテゴリーから招待状が届き始めた」という事情もあってすっかり拗ねていたサトイモ閣下は、「久しぶりに3階の軽食コーナーでミートソースでも味わうかな」と、オジサマ独特の懐古の衝動を抑えきれず、短い幕間に息せき切って3階まで上がってみた。

 

 しかしその3階、とっくに経営を断念していて、懐かしの椅子もテーブルも昔のままに残っていたが、「軽食コーナー」から「休憩コーナー」へと格下げされていたのである。

 

 残念無念であったが、劇場ラストデイに博多からヒコーキで駆けつけたワタクシは、結局2階のかつての「豪華お食事席」で、懐かしの例の学食風カレーを貪ることになったのだった。

(9月24日、初代国立劇場ラストデイの夕暮れ。劇場の上に、キレイな月がのぼっていた)

 

 以上が、国立劇場ラストデイの顛末。「ミートソースが食べたいよ」と言っては拗ね、「カレーでもいいから3階で食べたいよ」と言っては拗ね、「4444の日に誰も褒めてくれないよ」と言っては拗ね、タクティクス的にもストラテジー的にも、これじゃ完全に幼児・園児・学童のレベルと択ぶところがないが、まあ許してくれたまえ。

 

 そして諸君、まあ今回の4444は誰も褒めてくれなくていい。次のチャンスこそは、みんなで熱い拍手喝采やら、熱い熱い賛辞やらを送っていただきたい。ワタクシは、すっかり拗ねて拗ねきって、だからまだまだ3年近く、このすっかり人影の減った「ブログ」という世界で粘っていくつもりだ。

 

 その「5000回」を迎える頃、ブログの世界はきっとあの3階の軽食コーナーみたいな運命になっているかもしれないけれども、拗ねきった今井カッカは意地でもブログ世界から退場してあげない。ダイアモンドみたいに硬く、そういう決意を固めている。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

3E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1

6D(DPl) 能:観世流 井筒(観世寿夫 宝生閑)

16A(β太宰治全集7:筑摩書房

total m60 y737  dd28687