Thu 231012 富山との長いお付きあい/越中富山の薬売り/神保と長尾と一向一揆 4440回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 231012 富山との長いお付きあい/越中富山の薬売り/神保と長尾と一向一揆 4440回

 仕事で頻繁に富山に出かけるようになってから、もう15年も経過する。何しろあの東日本大震災の日にも、ワタクシは富山で公開授業だった。

 

 2011年3月11日、仙台のハハウエとも連絡が取れず、東京のオウチにも電話が通じなかったが、きっとニャゴロワとなでしこが大きなお目目をパッチリあけて不安におののいているだろうと思いつつ、富山の会場に集まった130名の生徒諸君に熱弁をふるった。

 

 授業の最後にいつも以上の大喝采をうけて、ふと涙を流しそうになりながら、富山から各駅停車の電車に乗って1時間、宿泊先の金沢まで帰った。途中の倶利伽羅峠は雪、というか吹雪。あの夜は、北陸地方にも大津波警報が出て、特急列車は全て運休になっていた。

 

 金沢駅に着くと、北海道に向かうはずだった豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」が、金沢で運転打ち切りになって停車していた。あれから12年が経過する。しかし「富山」と聞いて思い出すのは、まだあの夜のことである(Thu 110317 巨大地震についての虫の知らせ 富山での講演会 巨大地震発生前後のこと)。

 

 この富山と、こんな長く深い付き合いになるとは思っていなかった。もちろんワタクシの行動範囲は、富山駅前と、馴染みのホテルのある「総曲輪」という地域のみ。「総曲輪」と書いて「そうがわ」と読む。「そうぐるわ」と読みそうなものだが、この総曲輪が、富山で一番の繁華街だ。

 

「馴染みのホテル」とは、ANAクラウンプラザホテル。すっかり長い歴史を重ねたホテルで、「いかにも歴史を重ねたんだな」というカホリが少し気にならないこともないが、1泊や2泊ならマコトに気持ちよく過ごせる。ホテルの北正面は、富山城だ。

(富山城、9月17日。今年の北陸は、富山も新潟も金沢も、驚くべき暑さの夏だった)

 

 ホテルの斜め向かいには「日医工」の本社ビルがあって、ホテルの窓を開ければ「日医工」の大きな看板が見える。ジェネリック医薬品で一気にトップクラスの製薬会社に駆け上がり、しかし2020年ごろからいろんな困ったことが発覚して今の状況に陥った。

 

 富山といえば、何と言っても「越中富山のクスリ売り」だったはずだが、困ったことをして困った状態におちいれば、祖先がどんなに粘り強く作り上げた長い長い伝統さえも、あっという間に台無しになってしまう。我々も大いに肝に銘じるべき教訓だろう。

 

 越中と言って思い浮かぶのは、他に「越中ふんどし」もある。どうして「越中」ふんどしなのかは「諸説あります」であって、最有力なのは「越中富山のクスリ売りの皆様が、クスリの景品として全国にふんどしを配布して歩いたから」という説である。

 

 詳しくは、諸君の方でググってくれたまえ。しかし最近は、WiFiを使用してググってばかりいると、同じWiFiを使用している他の人にもググった内容が伝染してしまうらしい。昨日のNHK「あさイチ」で、スタジオが騒然となっていた。

 

 だからあんまり「ふんどし」「ふんどし」とググりまくったりすると、「この人は、ふんどしに興味を居抱いている」とどこかの巨大コンピュータが判断、ふんどし関係の広告を諸君のパソコンに送り込んで来るばかりか、家族やら友人やらのPCもふんどしだらけになりかねない。大いに注意したまえよ。

(9月17日、単独の祝勝会は、7月に続いてホテル近くの「海の神 山の神」の個室を選んだ)

 

 他に富山って、何がある? 歴女の皆さん、歴史オタクの皆さん、富山の戦国武将って、誰でしたっけ。正解は「神保氏」であるが、うーん、東のお隣の上杉謙信とか、南のご近所の武田信玄みたいな、超有名武将の名が、越中富山には見当たらないのである。

 

 東隣の越後だって、守護代の長尾為景が登場するまでは、混乱のさなかにあった。守護は上杉氏、しかし下克上の代表格♡長尾為景が台頭してググっと越中に対して優勢になり、10年も15年も越中に侵入&越境を繰り返す。マコトにしつこいオジサマ、その四男が上杉謙信だ。

 

 長尾為景の人生は、それこそ悪戦苦闘の連続であって、あっちを攻めてはこっちを取られ、こっちを取り返してはあっちを奪い返され、英単語なら「struggle」の響きがぴったりあてはまる。

 

 いつどこで死んだかもハッキリ分からない。とにかく本来の守護大名・上杉氏を傀儡に立て、自らは越後一国の実権を握って、越中やら信濃やら上州やらにどんどんちょっかいを出す。織田や伊達や会津や佐渡や、遠くの勢力とも巧みに合従連衡、マコトに複雑怪奇なちょっかいを延々と続けたらしい。

(店の人もオススメの「すり身揚げ」。たいへんオイシューございました)

 

 幼い今井君の記憶によれば、NHKの古い古い大河ドラマ「天と地と」で長尾為景を演じたのは、超名優♡滝沢修。どのぐらいの名優だったかというに、1つの役柄の1行のセリフを、「7通りに演じることができるが、どれにしましょうか?」と、演出家に笑顔で問いかけたのだそうだ。

 

 その滝沢修が演ずる長尾為景、40歳年下の妻が生んだ四男♡虎千代が可愛くない。虎千代はやがて長尾景虎となり、景虎はやがて全盛期の石坂浩二が演じる上杉謙信に成長するのであるが、父の為景は「自分の子ではない」と妻を疑っていたというのだ。

 

 原作・海音寺潮五郎。景虎を演じたのは中村光輝、当時は超人気の子役だった。現在は3代目中村又五郎になっている。先代の中村又五郎は、小林桂樹主演の「仕掛人梅安」で、仕掛けの元締め「音羽の半右衛門」役の怪演が光った。

 

 まあ諸君、この辺はナンボ検索してもWiFiがおかしな反応をすることはないだろうから、安心してどんどんググってくれたまえ。江戸の音羽半右衛門に対する大坂のライバル「白子屋菊右衛門」を演じたのが、これまた名脇役の織本順吉。ほれほれ、どんどんググってみなはれ。

(越中の銘酒「苗加屋」。これで「のうかや」と読む。白海老クンたちとともに。オイシューございました)

 

 ところで諸君、どんどん話が逸れていってマコトに申し訳ない。まあ何だかそういうふうで、越中富山には加賀の一向一揆の勢力も流入し、神保氏の影は薄い。越後の長尾為景は「虎千代はオレの子じゃない」と苦虫を噛み潰したような顔で、何の罪もない越中に侵入を繰り返す。

 

 ところが長尾パパ、「越中で一向一揆と戦っている最中に落命」という説もある。富山県砺波市に「長尾塚」があり、これが長尾パパの墓だというのである。

 

 遥かな昔のNHK大河ドラマでも、確か烈風吹きすさぶ昼の荒野の真ん中で、一向一揆の大軍に囲まれて長尾パパが死んじゃうことになっていたような気がする。あまりに遥かな昔なので記憶がハッキリしないが、中村光輝クン演ずる少年景虎が「一揆が憎い」「一向一揆が憎い」と熱い涙を流すシーンがあったように思う。

(最近のワタクシ、出汁巻き玉子を居酒屋での定番としている)


 泣きじゃくる景虎クンに、1人の重臣が次のように言い含める。確か、重心は宇野重吉の演ずる軍師・宇佐美定行。宇野重吉もまた、滝沢修に並ぶ昭和の超名優だ。

 

「いいえ、憎むべきは一向一揆ではございませぬ」

「憎むべきは、一揆の農民たちを陰で操っていた越中の神保でござります」

「それが、戦国の世でござります。いつか必ず、神保を討ち果たしなさいませ」

 

 この重臣の言葉が、後の上杉謙信の人生を規定する。やがて成長した景虎は、激しい雷雨の夜の毘沙門堂で毘沙門天のお告げを聞き、というか毘沙門天が彼に乗り移り、川中島に向かう旗印も「毘」、これまた名優・高橋幸治が演ずる武田信玄との果てしない戦いに臨む、お馴染みのストーリーになる。

 

 だから諸君、越中こそ「踏んだり蹴ったり」。下克上の不機嫌なstruggleパパやら、典型的スーパー有名武将たちの激しい戦闘の場になり、挙げ句の果てに「憎むべきは神保」などと罵声を浴びた。

 

 しかし江戸期・明治期以降は、マコトに勤勉にクスリを作って、マコトに勤勉に売り歩き、そうして戦前戦中までの日本を、まさに根底から支えた越中ふんどしにも名を残すことができたわけだ。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES4/6

2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 5/6

3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 6/6

4E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2

5E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2

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