Mon 231002 「推し」ナシでのサバイバル/若き今井君の肖像/素浄瑠璃に感激 4436回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 231002 「推し」ナシでのサバイバル/若き今井君の肖像/素浄瑠璃に感激 4436回

「◯◯推し」という表現がすっかり定着して、いやはやワタクシみたいな「推しナシ」「推しゼロ」の状況でサバイバルを続けてきた人間から見ると、マコトに羨ましい限りである。

 

 アイドルでもホストでも女優でも、もしも強固な「推し」が定着してくれれば、そりゃもう鬼に金棒、金棒に強烈なトリモチまでベタッとくっついて、ただでさえウナギのぼりの人気は、3年でも5年でも揺るぎないものになる。

 

 なお、最近の読者諸君はもしかしたら「トリモチ」というものをご存知ない可能性がある。よかったらトリモチ、 漢字で書けば「鳥黐」、具体的にどのようなものか、ぜひ一度ググってみていただきたい。

 

 粘着剤を鳥がとまる木の枝に塗っておき、足がくっついて飛べなくなった鳥を捕まえる。長い竿の先に同様の粘着剤を塗りつけて振り回し、鳥を直接くっつけたりする。これを黐竿(もちざお)と呼ぶ。

 

 鳥黐の材料には、植物の樹皮や果実を用いた。ネズミ捕りにも使用された。作家の北杜夫どんはむかしむかし山や野原で黐竿を振り回し、鳥やら昆虫やらいろんな生き物を捉えたとエッセイに書いている。

 

 その獲物の中には、人のボーシやら何やら、得体のしれないものも含まれていたそうだ。今ならきっと各種カツラやらニューモやら、獲物のレパートリーはさらに広大なものになることだろう。

(2000年ごろ、知的で野生的な今井君。なぜ「推し」「追っかけ」がいなかったのか、不思議なぐらいカッケーじゃないか♡  1)

 

 ところで「推し」であるが、マコトに残念無念なことに、今井君には「推し」という存在がいない。予備校講師と言ふものは人気商売であるから、「推し」がいないのといるのとでは、日々の苦労の厳しさがまるっきり違う。

 

「推し」はむかしは「追っかけ」と言った。普通の「ファン」がちょっと夢中になりすぎると「追っかけ」になるのだが、若き今井君には「ファン」はいても「追っかけ」まで夢中になってくれる生徒はいなかった。

 

 1990年代から2005年ぐらいまでの予備校バブルの時代、カッケー先生には「追っかけ」がナンボでもいらっしゃった。午前中が代々木、午後から横浜、夜は津田沼、そういうスケジュールの日には、追っかけ諸君も代々木 → 横浜 → 津田沼、推しのセンセを追って懸命に電車移動を試みた。

 

 羨ましいというか何というか、昔は「推し」「追っかけ」を「取り巻き」とも読んだが、取り巻きの数はどんどん増加して、先生の一挙手&一投足、何でもかんでも絶賛した。

 

 そういう諸君がそのまま塾講師やら予備校講師やらになって、もともとのセンセの「ほぼコピー」みたいな授業を繰り広げる。それが2010年代であり、2020年代初頭であるような気がする。

(書棚の奥から「代ゼミTVネット」のパンフが出現。25年前、代ゼミ四天王でビートルズふうの表紙を飾った。今井君はジョン・レノンという役どころだった)

 

 かく言う今井君には、「追っかけ」も「取り巻き」もいなかったし、「推し」の存在はほぼ皆無だった。極めて熱心に授業を受けてくれる「ファン」はナンボでもいたし、十数年が経過してから講師として今井そっくりの授業を展開する人も少なくないようだが、概して今井ファンはぐっと控えめなのである。

 

 思えば、推しも追っかけもナシにここまでサバイバルしてきた今井というのは、なかなか強靭な存在なのだ。1991年に予備校講師になってからサバイバルすでに30年超、今井君ほど長くこの世界に君臨している人はそんなに見かけない。

 

 ま、何しろルックスの問題が大きいじゃないか。こんな楕円形のサトイモの推しになって周囲の嘲笑を浴びるのは、若い諸君には屈辱だろう。もしも推しになるとしたら、ロックスターもポップスアイドルも顔負けのセンセ、他にナンボでも推し候補がいらっしゃるじゃないか。

(2000年ごろ、知的で野生的な今井君。なぜ「推し」「追っかけ」がいなかったのか、不思議なぐらいカッケーじゃないか♡  2)

 

 この1ヶ月、ワタクシは炎暑の中でずっと書斎の整理に取り組んできた。

 

 渋谷区のオウチの書斎に住み着いてすでに20年が経過、天井まで届く9つの書架に囲まれてのうのうと過ごしているうちに、書棚の奥にイタチの家族が住み着くやら(もちろん冗談)、フクロウが巣を作って夜ごとホーホーうるさいやら(これも冗談)、その混乱はどうにも我慢できないほどになっていた。

 

 すると、埃まみれになった珍しい単行本やら雑誌やら、20世紀のCDやら15年前のDVDやら、いやはやもうほとんど何の価値もない書籍類の中から、1990年代に「推し皆無」「推しゼロ」時代の苦悩の今井君の写真が次々と姿を現した。

 

「スカパー」って、今でも通じるんだろうか。正式名称「スカイパーフェクTV」、我が東進も当時は計3チャンネル放送していたし、当時の今井君が胸を張って君臨していた代々木ゼミも345chで「代ゼミTVネット」、ワタクシは全講師中で最多の計3番組を担当していた。

 

 いやはや、もう四半世紀も前の今井君、写真を眺めるとなかなかカッケーのである。「こんなにイケメンで賢そうで、どうして推しも追っかけもいなかったの?」「どうして取り巻きさえいなかったの?」であるが、何度も繰り返すようだが、今井ファンはどこまでも控えめな人が多かった。

(何の関係もないが、「依田勉三」という偉人の伝記「この身 北の原野に朽ちるとも」を発見。福永慈二著。何となく若き今井君と風貌が似ていませんかね)

 

 控えめな今井ファンは、他のセンセの批判なんか絶対に言ってくれないのである。他のセンセ推しやら他のセンセの追っかけ諸君が、ナンボ今井の批判を言い散らかしても、それに反論さえしてくれないのである。

 

 みんな黙々と嬉しそうに今井の授業を受けるだけ、今井の美しい板書を書き写し、復習し、音読し、合格し、しかしそれで今井ファンを卒業し、予備校の世界にいたことさえすっかり忘れて、すぐに大学の授業に専念し、就職すれば仕事に専念して、どんどん今井を離れていった。

 

 いや、もちろんワタクシ自身、その方がずっといいのである。大学生になっても「推し」、社会人になっても「推し」、それどころか子供が生まれてもまだ「推し」で、子供が中高生になるとセンセ推しを「継がせる」なんてことになったら、さすがになかなか鬱陶しいじゃないか。

 

 しかし諸君、最近はどこの公開授業に出かけても、マコトに嬉しそうな表情で会場に詰めかけている「モト生徒」らしきオトーサンやオカーサンの姿がある。

 

 どうやら20年、30年、静かな静かなファンであり続けていらっしゃったパパやママが、「ああ今井さんって、まだサバイバルしてたんだ」とニコニコ、今井の講演会場を訪れてくれるらしいのだ。こんなに嬉しいことが、他に考えられるだろうか。

 

(8月19日、大阪・国立文楽劇場で「素浄瑠璃」に感激 1)

 

 実はワタクシ自身、人形浄瑠璃やら文楽やらの世界で、いつまでもそういう穏やかで静かで温かいファンでいたいと思うのだ。「推し」でも「追っかけ」でもない、1年に4回だけ大阪の国立文楽劇場を訪れ、お正月には恒例の寿式三番叟に喝采を送り、舞台上の「にらみ鯛」を見上げてニヤニヤする、そういうファンを続けたいのだ。

 

 8月19日、京都に滞在中だったワタクシは、大阪日本橋の国立文楽劇場で開催された「素浄瑠璃の会」に駆けつけた。文楽は、太夫と三味線と人形遣い、その三位一体で成立する舞台であるが、「素浄瑠璃」は人形ナシ、太夫の語りと三味線だけに集中するのである。

(8月19日、大阪・国立文楽劇場で「素浄瑠璃」に感激 2)

 

 出演した太夫は、まず心境著しい竹本織太夫、続いて苦労人を絵に描いたような竹本錣(しころ)太夫、最後にこれまた苦労人の竹本千歳太夫。3人の個性がマコトに如実に出て、素晴らしい素浄瑠璃の会だった。

 

 錣太夫の相三味線が、まさに「異彩を放つ」演奏が持ち味の鶴澤藤蔵。何度も何度も三味線の糸が切れては、舞台上で素早く糸を張りかえる手際もまた見所であって、それこそ彼には「推し」「追っかけ」も少なくないようだった。

 

 しかし諸君、ワタクシは苦労人の錣太夫が好き。というか、師匠格の竹本住太夫ニーサンにナンボ厳しく叱られても、大汗をかきながら何十年もめげずにサバイバルしてきた彼の、地味で懸命な語りに熱く喝采を送りたいのである。

 

1E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.2

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10

6D(DMv) AMAZONS AND GLADIATORS

total m6 y683  dd28633