Tue 230925 熱い夏の記憶/スッポンの思ひ出/太宰治の浦島さん/加地と梶 4433回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 230925 熱い夏の記憶/スッポンの思ひ出/太宰治の浦島さん/加地と梶 4433回

 昭和20年、太平洋戦争の終戦の夏を、ワタクシの母上は東京の新宿区で迎えた。東京都立目黒高等女学校の4年生、17歳の夏だった。その夏を思い出すたびに、「熱い夏だった」「ホントに熱い夏だった」と、マコトに感慨深げに繰り返す。

 

 コドモの頃の今井君なら、「熱い夏」じゃなくて「暑い夏」だろ、そうやって漢字の間違いを正して悦に入っただろうけれども、今ならむしろ「いやそれは漢字じゃなくて、感じの問題だ」「暑い夏じゃなくて熱い夏、そういう熱い実感だったんだ」と、思わず涙がこみ上げる。

 

 その1945年から80年近くが経過して、ワタクシの母の世代と今の17歳とはまるまる2世代の懸隔があり、その深い谷間に介在するのが今井君の世代。これほど長い時間を経て、2023年の恐るべき熱い夏を、今17歳の諸君は遠い将来どんなふうにマゴたちに語るんだろう。

 

 1945年の夏は、直射日光の夏である。燃える太陽を避ける屋根を全て焼き払われて、遮るもののない人々は来る日も来る日も直射日光に晒された。「こまめな水分補給」も何も、焼き払われて壊れた東京の井戸からは、ポタポタ情けない水滴が滴り落ちるだけだった。

 

 2023年の夏は、気温35℃超の日々がまるまる2ヶ月続いたのである。熱帯モンスーン並みの湿度がこれに追い討ちをかけた。70年後や80年後、若い諸君はマゴたちにこの夏の灼熱をどう語り伝えるか、今から考えておいたほうがいい。

 (8月18日、京都の名店「かじ」でスッポンを満喫する 1)

 

 こういうシリアスな書き出しなのに、今夜の今井が書こうとするのは、何と&何とスッポン料理の話なのだ。8月18日、京都に滞在中の今井君は、久しぶりのスッポンを味わおうと、二条城から歩いて10分ほどの京料理屋「かじ」を訪ねた。

 

「書き出しがあんなにシリアスだったのに」と、腹をたてる人もいらっしゃるだろう。しかしまあそんなにカッカしなさんな。シリアスな日々を生きていればいるほど、逆に何だかそんな悪ふざけをしたくなる、それが人間の心理のつくづく面白いところなのだ。

 

 例えば諸君、世の中ではシリアスの極みと捉えられているに違いない太宰治どんなんかは、1945年の熱い夏の日々を、蒸し暑い防空壕の中でしゃがんで暮らしながら、名作「お伽草紙」を書いて大いに楽しんでいらっしゃった。

 

 何しろ防空壕の中にしゃがんでいる。泣き虫のコドモをあやしながらの執筆だし、防空壕の中では詳細な資料も史料も参照できない。「だから史実その他に間違いがあっても大目に見てくんろ」、そういう前提でマコトに楽しそうにおとぎ話へのオマージュを繰り広げる。

 (8月18日、京都の名店「かじ」でスッポンを満喫する 2)

 

「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」。どれをとってもKuso-Majimeな人々の顔が歪んでくるほど面白いのだが、「浦島さん」の冒頭では、浦島太郎が助けた亀に連れられて竜宮城に向かった、まさにその亀さんがどういう亀だったか、そこのところを真面目に考察するのである。

 

 まさかスッポンやタイマイじゃないだろう、太宰はまずそう考える。浦島さんともあろうものが、スッポンに乗って竜宮城に到着したんじゃ、乙姫様から何から、みんな滑稽さのあまり吹き出しちゃって「タイやヒラメの舞い踊り」どころじゃなくなってしまう。

 

 絵本なんかに描かれているのは、ありがたい神社やお寺の池で甲羅を干しているイシガメがモデルのようだ、巨大化したイシガメの横でコテをかざして海の彼方を見晴るかしている浦島さんの姿をよく見るじゃないか。太宰どんはそう考える。

 

 しかし諸君、イシガメのお手手を眺めて見たまえ、あんまり泳ぎが得意そうには見えない。あんなゴツゴツ爪やらトゲやらが目立つお手手で、すいすい平泳ぎ、人知を絶する深海の竜宮まで浦島さんを送り届けられるはずはない。そう言われれば確かにそうだ。やっぱりタイマイあたりか。

 

 なお、この辺は太宰の文章を今井君の華麗な文才♡で翻訳しているに過ぎないので、太宰どんはさすがに近代文学史を飾る文豪だ、問題の亀についても、もっともっと重厚な思索をめぐらしていらっしゃる。興味のある方は是非、太宰治「御伽草紙」をどうぞ。

 (8月18日、京都の名店「かじ」でスッポンを満喫する 3) 

 

「そこで」と言うも愚かであるが、今井君は記憶にも記録にも残るであろう2023年の夏の思ひ出を、スッポンに託そうと思いついた。「あれは熱い夏だった」と後の世代に切々と語るためにも、「だって今井ジーチャンはあの夏、京都でスッポンを食べたんだ」という事実を、しっかりと作っておきたかったのだ。

 

 浦島太郎は亀に連れられて竜宮城。里芋次郎はスッポンを貪ってホテルで鼻ちょーちん。それもいいじゃないか。

 

 ついでに書いておけば、鼻ちょーちんが破れて目が覚めるたびに慌てて書きなぐるこのブログ、「漱石も鴎外も谷崎も藤村も、みんな真っ蒼な超名作揃い」と自負しているのだが、どうやらどれも噴飯もの、4444回近く書き続けても、なかなか本職の読書家たちは相手にしてくれない。

 

 選んだお店は「かじ」。ホントに目立たない静かな穏やかな名店である。今までのワタクシは「スッポンと言えば『大市』」と思いこみ、西陣の薄暗い一角に佇む超有名店にこだわっていたのだが、有名すぎて何となく不気味な気配さえ立ち込めていた。

 

 2018年6月25日、このブログの10年連続記念の前夜は、まさにその不気味なほどの超有名店「大市」で祝賀の晩餐を楽しんだ(Sun 180603 炎熱の京都/授業で筋肉痛/すっぽんを食す/さあ2次会へ M1)。

 

 しかしその直後から、「せっかくのスッポンだ」「もう少し気を緩めて、有名店すぎるがゆえの不気味さから解放されたい」「ホンの少しでいい、気軽にスッポンを楽しみたい」、そういう腰抜けの願いから、例えば同じ西陣の「斉 阿うん」なんかも試してみたのである。

 

 しかしその「斉 阿うん」、ワタクシのほうでたった1つ大失敗をおかした。その1週間が大阪に滞在だったので、京都から大阪まで電車を乗り継いで帰るのがメンドーになり、思わず「タクシーを呼んでください」「大阪・梅田のリッツカールトンホテルまで帰ります」と口走ってしまった。

 

 その後は、言うまでもない。「斉 阿うん」の人々は、「今井さんは京都から大阪までタクシーで帰るようなお大尽さんや」と信じ込み、「お大尽や」「お大尽や」という扱いに変わってしまった。

 (8月18日、京都の名店「かじ」でスッポンを満喫する 4)

 

 しかし諸君、例えば西陣から京都駅までタクシー、京都から新大阪まで新幹線、新大阪駅から梅田のホテルまでタクシー、そういう地道な帰り方をしても、結局「一気にタクシー」の場合とそんなに値段は変わらない。

 

 だから今井君が言う「大失敗」とは、京都のイケズな人々の前で「一気にタクシーで」と口走ってしまったことなのだ。店では「京都駅まで」と言っておいて、タクシーに乗ってからこっそり運転手さんだけに「大阪梅田まで」と、行き先の変更を告げればよかったのだ。

 

 何しろ「ブブヅケ、どうどす?」のイケズな京都人、「元気なお子さんですね」のイケズな人々だ。「お大尽」と京都人に言われるような不注意をおかした今井君の大失敗だった。

 

 ただしワタクシ、イケズな京都人にイケズなことをされるのは大好き。「陰で笑われてますよ」と忠告されても、別に全然かまわない。太郎冠者やら次郎冠者やらにナンボ笑いものにされたって、いいじゃないか&いいじゃないか。

 

「たのうだオカタ」「田舎のお大尽」、そういう笑い飛ばされる役柄がなければ、狂言や文楽の豊かな文化は成り立たない。今井君はナンボでもその役柄を引き受ける心の準備ができている。

 (8月18日、京都の名店「かじ」でスッポンを満喫する 5)

 

 ただし、今回はちょっとお店をかえて、二条城そばの「かじ」。小さなお店の2階の個室で、延々と猛暑の続く夏の、たった1日の穏やかなランチを満喫することにした。

 

 何が楽しいと言って、外の気温は38℃超、下手をすれば40℃超、セミに水をかければジュッと一瞬で煮えそうな熱い真夏の1日を、クーラーのぎゅっと強烈に効いた個室で鍋物を味わう幸福だ。これはもう「口福」というより「幸福」そのもの、これ以上の幸福がこの世に考えられるだろうか。

 

 何がどんなふうに旨かったか、それは写真から諸君が想像してくれたまえ。まさかグルメ番組の食レポじゃあるまいし、「やわらかーい」「なんだこりゃあ」「あまーい」みたいなバカバカしい絶叫で、この幸福の記憶を表現するわけにもいかないじゃないか。

 (8月18日、京都の名店「かじ」でスッポンを満喫する 6)

 

 お店の名は「かじ」。「かじ」とは、「加地」ですか、「梶」ですか? そのへんのプライベートな質問は、次回の訪問まで残しておくことにした。

 

「加地」なら、むかしむかし今井君の小4時代まで遡る。中2だった姉上の同級生に「加地くん」という超優等生がいた。しかもその加地くん、まさに国鉄の社宅(当時は「官舎」と呼んだ)の隣人。我が父上の遥かな遥かな上役の息子だった。

 

「梶」の場合、ワタクシの記憶は「梶芽衣子」という名女優にピョンとワープする。

 

「野良猫ロック」シリーズ、「女囚さそり」シリーズ、「修羅雪姫」、その他にも数えきれないほどの時代劇で大活躍した梶芽衣子(かじ めいこ)には、スコセッシやらタランティーノやら、アメリカ映画の名監督たちもかつて夢中になった。

 

 まあ写真でもググって眺めてみたまえ。ストレートの美しいロングヘア。昭和後半の日本女子といえば、何が何でもこのヘアスタイルを忘れるわけにはいかないのだ。

 

1E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

2E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 2/2

3E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

6D(DMv) TICKET TO PARADISE

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