Sat 230916 製鉄工場閉鎖と池袋西武/昭和の激烈ストライキ/京都五山の送り火 4430回
2日前だったか3日前だったか、広島の呉で日本製鉄の鉄鋼生産が全て終了した。かつては3300人がここで働いていた。労働者の家族を入れれば、単純計算で約1万人が生活のすべを失うことになる。報道では「72年に及ぶ鉄鋼生産の歴史に幕を閉じることになりました」、いやはやマコトにそっけない。
今日は神奈川県川崎で、JFEの製鉄工場が同様の運命をたどった。「第2高炉」が休止。こちらも報道はたいへんそっけないが、創業の1912年以来、110年にわたって京浜工業地帯の中核を担った旧・日本鋼管の製鉄工場だ。もっともっと大きなニュースとして報道すべきなんじゃないか。
広島県呉は「瀬戸内工業地域」の中心。川崎は「京浜工業地帯」の中心。我々の世代は、小5・小6・中1の3年間、社会科の授業で日本の誇る4大工業地帯の重要性をたたき込まれ、「太平洋ベルト地帯」はどんな参考書でも超ゴシックの太字で、何が何でも記憶しなきゃいけない基本用語だった。
京浜・中京・阪神・北九州、それが昭和の「4大工業地帯」。何しろその頃の今井君は今からは想像もつかない勉強熱心なコドモだったから、「北九州は、金食う化け物」、そういう記憶術まで使ったのである。
北九州工業地帯は、まず金属工業、続いて食品工業、次が化学工業、だから「金食う化け物」、そういうバカバカしい記憶に記憶を重ねて、中間テストも期末テストもみんな必ず満点、そういうヤツだった。
しかし諸君、そういう工業地帯を支えた川崎や呉で、こうどんどん大工場が閉鎖というか操業停止というか、そんなことになったんじゃ、いったいこの国はこれからどうなるんだ? テレビでもネットでも扱いはマコトに小さいが、ホントにこの程度でいいの?
(8月16日、京都五山の送り火。宝ヶ池ドライビングスクールから「妙」の1字を満喫した 1)
もう半月も前のことになる。9月初め、東京池袋の西武百貨店で「従業員のストライキ」「ストライキのために全面的に営業を停止します」ということになった。
20世紀に万が一「ストライキ」なんてことになれば、まさに国の行方を問う大事件だったが、報道では今回の西武百貨店池袋、ストライキはまるで「こぼれ話」みたいな扱い、何事もなくたった1日で何1つ解決を見ないまま、問題解決の方向性さえ見出せずにアッサリ終わってしまった。
秋田から上京した直後の若き今井君は、西武池袋線沿線の石神井公園駅近くに下宿した。オシャレなアパートとかマンションではなくて、老夫婦が暮らす一軒家の2階、和室の6畳間を1ヶ月1万円弱で借りた。昔の地方出身大学生はそういう「間借り」の生活が普通だった。
西武池袋沿線に生活すれば、拠点はどうしても池袋駅になる。池袋は昔から「エキブクロ」といい、街の機能はほとんどエキに集約されて、東口が西武デパート、西口が東武デパート、西と東が奇妙に掛け違った池袋で、今井君の東京生活がスタートした。
だから諸君、ワタクシにとって西武百貨店池袋店は、東京生活スタートの懐かしい思い出の地なのである。大学1年4月、一人暮らしのスタート地点は池袋西武であり、独和辞典や仏和辞典を買ったのも、初めて東京のメシ屋に入ったのも、みんなみーんな池袋西武だった。
(8月16日、京都五山の送り火。宝ヶ池ドライビングスクールから「妙」の1字を満喫した 2)
そういう懐かしい場所で「ストライキ」、ワタクシはさぞかし激烈なストライキになるだろうと考えて事態を見守った。20世紀のストライキは諸君、社会党・共産党・民社党が入り乱れ、社会党系の労組・共産党系の労組・民社党系の労組、それぞれがそれぞれの戦略と戦術を駆使してシノギを削ったものである。
中でも1970年代から1980年代の国鉄をめぐるストライキは激烈だった。労組組合員の「順法闘争」で電車の運行速度が極端に下がり、それどころか丸1週間にわたって鉄道の運行が日本中で全てストップした。国民の苛立ちは頂点に達し、高崎線上尾駅ではついに大きな暴動に進展した。
今井君の父・三千雄は、そういう激烈なストライキを中止させる役割を担わされた中間管理職であったから、身近にいた今井君もストライキの激烈さを目撃している。「ストライキ権ストライキ」、略して「スト権スト」であるが、詳細は諸君のほうで是非ググってくれたまえ。
(8月16日、京都五山の送り火。宝ヶ池ドライビングスクールから「妙」の1字を満喫した 3)
あの頃は、「問題が解決するまで労使双方とも一歩も引かない」というマコトに迫力あふれるストライキであって、労使交渉はそのままNHKテレビで生中継された。
自民党から若き官房副長官・海部俊樹。彼はあの場で名をあげて、のちに首相の座まで駆け上がった。一方の共産党からは、金子満広。労働組合の代表者が、富塚三夫。丁々発止のテレビ討論は丸1週間にわたり、国民は固唾をのんで討論の行方を見守った。
今思えば、熱い熱いホンモノの熱気にあふれた労使交渉だったのである。問題が完全に解決されるまで、労働組合も国鉄サイドも一切の妥協を許さない。日本が本当に熱い時代は、労働組合も会社側も土俵の真ん中でがっぷり四ツ。ホンキの労使交渉こそ、日本経済をグイッと前進させる最重要事項だと、国民みんなが感じていた。
残念なことに西武池袋のストライキは、最初から「1日だけの予定です」というスタンス。かつてのストライキは労働者側がピケをはり、外部者を一切排除してシュプレヒコールを繰り返し、「問題解決までは一歩も引かない」「翌日も翌々日も絶対に営業させない」という強烈な迫力を示したが、うーん、今回はどうだったか。
報道サイドも、道ゆく人々にソフトにインタビューするのみ。その「道ゆく人」もたいへんソフトな笑みを浮かべながら、「経験がないんで」「昔そういうことがあったと日本史の授業で聞いたことはありますが」「まあ、頑張ってください」「うまく解決するといいですね」、マコトに冷淡な口調に、ワタクシは愕然とした。
(宝ヶ池ドライビングスクールから、はるか地平線のあたりに「舟形」も見えた)
ワタクシは、労働組合にもっともっと力強く頑張ってほしいのである。
何しろ父が労働組合相手に四苦八苦、そのせいで何度も国鉄サイドから「そんなことじゃお前がクビだ」みたいなことを言われて苦しんでいたから、当時の国労&動労は今でも大キライだ。しかし今思えば、労働組合のあの激烈な活動こそ、20世紀後半までの日本経済をギュッと活性化させていたんじゃないのか。
あれから30年、いや40年、日本経済が「失われた30年」やら「失われた40年」やらを耐え忍ばざるを得ない結果になったのは、労働組合の弱体化と、彼らを支えるべき野党勢力の怠慢のせいだったんじゃないか。
あの頃の熱い熱い強烈な労働組合の活動を、今井君は父の背中の後ろに隠れて強い敵対意識をもって眺めてきたのだが、全て昔語りになってしまった今思えば諸君、今の日本に足りないものは、実はボンボン真っ赤に燃え上がる労働者運動なんじゃないか、そんな気さえするのである。
(昨年2022年、豪雨の直後の五山送り火「妙」と「法」。鴨川が濁流と化していた)
今日の写真は、8月16日、京都の五山の送り火のものである。おお、ちょうど1ヶ月前だ。毎度おなじみ「今井ブログの1ヶ月遅れ」だ、許してくれたまえ。
昨年2022年の五山の送り火は、地下鉄烏丸線・鞍馬口駅からほど近い「出雲路橋」から眺めた。大文字も妙法も舟形も眺められる、五山の送り火の定番であるが、その分その全てが遠い。「妙」「法」「舟形」、どれも地平線すれすれに、見えるか見えないかぐらいだった。
しかも昨年2022年は、直前まで京都全域が豪雨に見舞われ、「薪が濡れて火がつかないんじゃないか?」とズブのシロートでも心配したぐらい。ようやく灯った「大」も「妙法」も「舟形」も、低い雲と水蒸気に灯りがにじんで、異様に蒸し暑い大文字焼きになった。
(昨年2022年、豪雨の直後の五山送り火「舟形」。雲と水蒸気に送り火が映えた)
そこで今年は、出雲路橋よりグイッと北側に陣取って送り火の点火を待った。「ノートルダム女子大のあたりがいい」というのが定石だが、今井君が選択したのは「宝ヶ池ドライビングスクール」。運転免許の学校が、この夕方だけ全面的に見物客に開放される。
ただし、間近に見えるのは「妙」の1文字だけ。薪が燃えるパチパチという音も聞こえるし、風向きがよければ薪のケムリの匂いさえ漂ってくる。薪(正式には「護摩木」であるが、詳しいことは次回の記事で)に火をともす男たちの姿も、写真には見事に写っている。
「妙」の字からはるか西側には、地平線の少し上に「舟形」も眺められる。8月16日、「妙」の字の点灯は8時ちょっと過ぎ。「妙」の字を15分ほど眺めた後、ワタクシはタクシーを拾って「舟形」の方に移動する。そこから先は、次回の記事で。
1E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2
3E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2
6D(DMv) DRIVEN UNDERGROUND
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