Sat 230902 夏休みの宿題/サンマを食おう/俊足カツオ君とドラ猫/銅羅キュラ 4426回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 230902 夏休みの宿題/サンマを食おう/俊足カツオ君とドラ猫/銅羅キュラ 4426回

「今井君がコドモの頃」と言うんだから、そりゃもう溜め息も出ないほどの大昔だが、ほぼ全国一律に9月1日が2学期の開始、8月30日と31日に鬼の形相で夏休みの宿題を仕上げ、そんな悪夢のような2日間の後でスッキリ爽やか、2学期の始業式に向かった。

 

 中でも「でっち上げ」の対象だったのが悪名高い「自由研究」で、9月1日になっても2日になっても「でっち上げ」が完結せず、ずいぶん追い詰められた表情の仲間たちもいた。

 

 そういう場合でも、今井君ほどでっち上げが得意だったコドモはおそらく皆無。2時間か3時間かければアラ不思議、あっという間に自由研究は完結した。しかもそのでっち上げに担任の先生が驚嘆の目を向け、模範的な自由研究として学校中に喧伝されたりした。

(高知はりまや橋「とさ市場」でカツオの刺身を貪りまくる)

 

 いま思えばマコトに小ずるいコドモであって、小4の時の「秋田弁と山形弁の比較研究」なんてのは、何しろ母上が秋田県人、父上が山形県人だったのだから、ホントに2時間で完成。模造紙に単語レベルと文法レベルの違いと類似をズラリと書き並べ、「発表」という段になると、秋田弁と山形弁を交互に巧みに発音して、聴衆の喝采を浴びた。

 

 いつかも書いたけれども、小3の夏の「海藻の標本」なんてのも、海水浴の日に海岸で拾い集めて乾燥させた海藻を、水で戻して台紙に載せ、セロファンでキレイに包んで本格的なラベルを貼った。中に「ワカメ」とか「ヒジキ」とか、「ホントに君が自分で採集したの?」と疑われるようなものも含まれていた。

 

 しかしそういう自由研究、実は児童&生徒にとって負担だっただけじゃなくて、担任の先生方の負担増にも繋がっていたんだそうな。小学校や中学校の先生方の労働時間が過労死レベルの危険水域に達し、NHKの番組でインタビューを受けた先生が「自由研究の評価が負担です」と真顔で語っていた。

(高知・はりまや橋「とさ市場」で出会った銘酒「桂月 CEL24」。旨かった 1)

 

 番組によると、「ごく普通の宿題も廃止しました」という学校もあるそうだ。カメラの前に立った小学生が、「他人に頼らず、自分で努力する力がつきました」と自信たっぷりに大人っぽく語る姿を眺めると、なるほどこんなに大人っぽいんじゃ、余計な宿題なんか一切不要かもしれないと実感するのである。

 

 我々の世代から眺めると、「自由研究のない夏休み」、まさに天国である。「絵日記のない夏休み」も天国、「読書感想文のない夏休み」もまたまた天国、「図画工作のない夏休み」、これも間違いなく天国だ。連日のスイカ、連日のブドウとナシ、連日のエダマメとコーラ、サイダーにかき氷、こりゃまさに言うことなしだ。

(高知「とさ市場」、タイのひらき。オイシューございました)

 

 ついでに諸君、もっともっと夏休みが長く続いてくれたらいいですな。いっそ「2学期は10月から」ということにしたら、もっといいんじゃないか。

 

 何しろ温暖化の結果として、驚くべき猛暑がいつまでもどこまでも続く。秋田で、新潟で、山形で、「38℃超の危険な猛暑」「体育館での始業式はヤメました」「始業式はクーラーのある教室で」というところまできたら、「ええい、いっそ9月も夏休み」「運動会は真冬に延期」ぐらい、真剣に考えていい頃だ。

 

 もちろん「コドモの存在に悩まされる家庭」というものはある。男子の暴れっぷりに溜め息が止まらないママ、「男の子ってどうしてこうなの?」と泣きそうなママと中学生のお姉ちゃん、姉と弟の不和に悩むご家庭、むかしむかしの大昔から、「早く2学期が始まってくれないだろうか」という溜め息は存在した。

(高知「とさ市場」、ウツボの唐揚げ。オイシューございました)

 

 しかし諸君、特に今年のニッポンは、スイカとブドウとナシばかりが男子の食欲の対象ではない。サイダーとコーラとかき氷と焼き(ゆで)トウモロコシだけじゃない。「水産物をどんどん食べましょう」「魚介にもっと親しみましょう」と、全てのコドモたちに推奨すべき秋なのだ。

 

 日本産の水産物を輸入禁止にする経済大国が西の方に出現、いやはや大量のホタテが行き場をなくして困っている。すると日本の人たちは「ふるさと納税」に活路を見出し、水産物が返礼品になっている自治体を積極的に選択して、ふるさと納税にますます熱心になる。素晴らしいじゃないか。

 

 ここは企業体だって、どんどん支援の輪を広げるべきだ。すしざんまい、くら寿司にスシローにかっぱ寿司、黙っていちゃ絶対にダメだ。ホタテに限らない。ほたてフェア、イカ&タコまつり、さんま&いわしフェスティバル、どんどん企画して水産物の消費拡大を図るべきだ。

 

 特にこの数年、なかなか手に入らなかったサンマ、ワタクシは手ぐすね&足ぐすね、「足ぐすね」という言葉があるのかどうか分からないが、今年は例の経済大国の大船団の乱獲を免れるだろうから、精神年齢8歳ないし9歳の今井君は、「よっしゃ今年は5年分のサンマを平らげるぞ」と虎視眈々、日々居酒屋のメニューをにらみつけてチャンスをうかがっている。

(高知・はりまや橋「とさ市場」で出会った銘酒「桂月 CEL24」。旨かった 2)

 

 だって諸君、このサンマ好きの今井君が、最後にいつサンマを食べたか、その記憶さえ定かでないのだ。3年前?4年前? 確か下北沢駅南口の「大戸屋」でサンマ定食、または三軒茶屋から下北沢方向に徒歩3分ぐらいの小さな居酒屋で焦げすぎたサンマ塩焼き、そのどちらかが最後だった。

 

 すると今井のサンマ断食、3年や4年のスパンではないのだ。下北沢と三軒茶屋のエリアは、20年ほど前までその近辺に生活していたせいでずいぶん馴染みではあるのだが、最近はずいぶん足が遠ざかっていた。

 

 だから「最後のサンマ」があの近辺の店だったとすれば、下手をすれば10年近く、大根おろしをたっぷり、大根おろしに醤油もたっぷり、白いご飯にビール、白いご飯に熱燗の日本酒、あの天国みたいな幸福から、そんなに長い間遠ざかっていたのかもしれない。

(カツオの刺身とウツボの唐揚げ、セットで追加する。オイシューございました)

 

 ワタクシはアホーであるから、漁業者の皆様の苦渋の表情を拝見しながら、それでもサンマ&サンマで夢中になってしまう。何しろ20年以上むかしに書いた英語長文読解の参考書の中に、サンマの食べ方に関するコラムを書いたぐらいだ。

 

 もちろんその参考書、代々木ゼミナールの出版部から出したものだったので、代ゼミから東進に電撃移籍した2005年、代ゼミサイドから電撃絶版されるという憂き目をみた。もし絶版にされなかったら、今頃はその「サンマの食べ方」コラムとともに、英語長文に悩む全ての受験生の最高の味方になっていたと信じる。

 

 だって諸君、英語の長文を素早く読む方法は、サンマを素早くたくさん食べる方法と酷似している。ごく抽象的に言ってしまえば「慌てなさんな」「丁寧に、キレイに」「慌てた瞬間すべてが崩壊する」なのである。

 

「サンマも長文も、オトナっぽく落ち着いてキレイに骨だけにしていきなさい」。どうですか、このアドバイス? 東進への移籍とともに(おそらく裏切り者として)スカッと絶版の憂き目をみた参考書だけれど、マコトに本質をついた優れた書籍だった。

    (ワタクシは、路面電車での移動が大好きだ)

 

 サンマもイワシも、アジもアユも、小学生男子なみに大慌てで貪ろうとすれば、惨憺たる結果が待っている。今井君みたいに骨だけを残して「ネコが舐めまわした後のお皿みたい」と、目を丸くして驚かれるような食べ方をすれば、自ずとスピードもグイグイ向上する。

 

 いやはや、どうだろう。しばらくお休みしていた参考書の執筆、こりゃまた再開しなきゃいけませんね。参考書の世界を眺めても、予備校講師の発言を聞いても「急いで読むんだ」「速読だ」「必要な情報だけを把握しろ」、要するに「大慌てで読め!!」という嘆かわしい方向性ばかりなのに驚く。

 

 また、書きますかね。そしてまた参考書のコラムに「サンマを素早くキレイに食べるコツ」を書きますかね。野球でもラグビーでもバスケでも、「落ち着いて丁寧に」こそ勝利への正しいストラテジーであるはずなのに、どうもそれを忘れた指導者が多すぎるんじゃないか。

(高知はりまや橋、「とさ市場」の勇姿。地元の人はファミレスみたいに使っている)

 

 7月22日、ワタクシは高知での公開授業。土佐高校を中心に、優秀な受講生諸君が集結してくれた。

 

 土佐高校は、かつては甲子園の常連。真っ白いユニフォームで全力疾走する姿が印象的なチームだったが、この頃の高知県は、縦縞のユニフォームに漢字で黒々と学校名を記した有名チームの独壇場。今年はまた別のチームが出てきたが、ワタクシはまた近いうちに土佐高校の活躍を目にしたい。

 

 公開授業の翌日、はりまや橋付近「とさ市場」という店に昼前から入って、徹底的にカツオを貪った。土佐でカツオと言えば、何と言ってもタタキであるが、ワタクシはカツオのお刺身が大好物。次々と刺身のカツオを平らげて、またまた店の人にビックリされた。

 

 ただし、カツオは足が速い。もちろん諸君、「カツオは足が速い」と言っても、「磯野カツオが俊足だ」という話は、いくらサザエさんを眺めていても目撃することはない。

 

 姉のサザエさんは「お魚くわえたドラネコ追いかけて裸足で駆けてく」のであるが、ではドラネコに追いついた形跡があるかというに、この半世紀ずっと日曜夕方のサザエさんを追跡調査していても、1度も追いついた形跡はない。姉が鈍足なら、弟の磯野カツオが俊足である可能性は低い。

(公開授業の夜は、高知「ザ・クラウンパレス新阪急」の古式ゆかしい部屋で、富山から持参した「昆布パン」を噛みしめた)

 

 なお、「ドラネコ」の「ドラ」とは何であり、「ドラえもん」の「ドラ」は何故「ドラ」なのか、ちゃんと調べてみたほうがいい。「チコちゃん」みたいに、何でもかんでも「諸説あります」でゴマかすのは知力の向上に繋がらない。後者は「どらやき」関連であるらしいが、まあチャンと調べてみたまえよ。

 

 もっとも、結局は「諸説あります」の域を出ない。ノラネコとドラネコの区別さえ明確ではない。飼い主なしにのらりくらりしている野良猫のうち、悪さをして他人を閉口させる猫がドラネコと呼ばれる。

 

 同じドラに「ドラ息子」もいて、のらりくらり遊んでばかりで親のオカネをどんどん減らしてしまう。ドラ息子がいると、親のオカネが尽きる。「カネが尽きる」から「カネをつく」→「鐘をつく」に連想が繋がり、やがて「鐘」を「銅鑼」に言い換えて「銅鑼ムスコ」になった(結局、諸説あります♡)。

 

 というわけで、「悪さばかりするネコだからドラネコ」というのであるが、では「ドラキュラ」はどうか。銅羅をガンガン叩きながら出現して派手に人間の血を求める「銅鑼キュラ伯爵」、そんなんじゃちっとも恐くないから、アニメにしてもまず絶対に流行らない(と思う)。

 

 ただし高知での今井君は、その足の速いカツオ君を刺身にしてワッシワシ、冷たい日本酒「桂月」の純米大吟醸をナンボでもお代わりし、ウツボの唐揚げやら、残酷に真っ2つに開いたタイを焼いたのやら、高知に上陸した銅羅キュラぶりを遺憾なく発揮して、それで7月の仕事は全て完了となった。

 

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 7/10

6D(Pl) 国立文楽劇場:文楽素浄瑠璃の会:

竹本織太夫&鶴澤清志郎(源平布引滝 九郎助住家の段) 

竹本錣太夫&鶴澤藤蔵(ひらかな盛衰記 松右衛門内より逆櫓の段) 

竹本千歳太夫&富澤富助(三十三間堂棟由来 木遣り音頭の段)

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