Sat 230826 富山から高知へ/JRはキライです/名称を「国鉄」に戻すべきだ  4424回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 230826 富山から高知へ/JRはキライです/名称を「国鉄」に戻すべきだ  4424回

 もう1ヶ月以上も前のことになる。7月20日に富山で170名の大盛況、ワタクシにとって大盛況での90分以上に楽しいものは他にないが、しかし何しろ翌日には、富山 → 高知の大移動が待ち受けていた。

 

 だから富山「海の神 山の神」での単独祝勝会も、ごく控えめに済ませたのである。いつもなら日本酒7合とか8合とか、自分の限界ギリギリまでお酒を満喫するのであるが、翌日早朝からの大移動を目前に控えて、やっぱり今井君は少し大人しくなった。

 

 こういう精神状態も、丸3年のコロナ経験が大きく影響を与えている。もともと今井君は厳しい大移動が大好き。乗り継ぎを含めて片道26時間かかる中南米への空の旅だって、そんなに弱音を吐いたことはない。

 

 それなのに、たかが富山から高知への移動で弱気になって、富山の居酒屋を退散したのは23時。「揚げ物だらけで胃袋が悲鳴をあげた」という事情があったにせよ、今井君ともあろうものが「明日の移動に備えて」という理由でサッサとホテルに引き上げたのだから、こりゃほとんど天変地異だ。

(7月21日、富山空港で「富山ブラックサイダー」をいただく。オイシューございました 1)

 

 富山から高知、日本地図を広げてみるに、「は?」「そんなにたいへんな移動ですか?」と首を捻るぐらいの楽旅だ。つい5年前には早朝6時のオスロから、フィヨルド経由で夜10時の豪雨のベルゲンまで、欧米人のデカい肉体の間をスバシこくくぐり抜けて見事にたどり着いた今井とは、今はもう別人のような弱気なのである。

 

 しかし、コロナのせいで弱くなったのは今井ばかりではない。日本の鉄道網も、今や「自分たちは日本社会を支えるインフラなのだ」というキョージをすっかり失くしている。

 

 JR西日本のインフラ矜持なんか、もはや風前のトモシビだ。雨が降りそうになればすぐに計画運休、風が吹きそうになってもたちまち計画運休、計画運休がJR西日本のマイブームになりつつある。それじゃまるで、ひと昔前の予備校の浪人生みたいじゃないか。

 

「サンダーバード」という勇ましい名前の特急は、もはや利用者の信用をすっかり失って、利用頻度の高いビジネスマンは、低気圧や前線が近づくたびに、失笑ぎみないし自嘲ぎみに「だってサンダーバードですからね」「すぐ止まりますよ」と呟くのである。

 

 その情けない計画運休ブームが、8月中旬の台風ではJR東海にも飛び火した。8月15日、JR東海は「東海道新幹線を終日計画運休とします」と宣言。日本最大の大動脈運営を担うインフラとしての責任感はどこかに消えてなくなった。

(7月21日、富山空港で「富山ブラックサイダー」をいただく。オイシューございました 2)

 

 新幹線の恐るべき大渋滞が発生したのは、その計画運休の翌日 → 16日のことだった。「静岡県内で線状降水帯が発生」、それ自体は天災だから致し方ないが、その直後から翌17日まで延々と続いた新幹線大渋滞については、まさに「人災以外のナニモノでもない」である。

 

 いったんインフラとしての責任感を捨て去れば、その後ろにはこういう情けない事態がとぐろを巻いて待ち受けている。

 

「最終電車が新大阪駅に到着したのは、午前6時半でした」「翌日もダイヤが乱れ、運休や大幅な遅れが相次ぎました」。これはもう「ほぼ国辱もの」であって、JR東海、JR西日本、是非もう一度「社会のインフラを担う者」としての責任感を考え直していただきたい。

(7月21日、富山空港でクラシックなホットドッグをいただく。オイシューございました)

 

 昔の国鉄は、意地でも計画運休なんかしなかった。急行「越後」が100時間以上の遅れで新潟から上野まで完全走破した昭和38年の「サンパチ豪雪」の時だって、たとえ5日かけてでも乗客を終点まで送り届けるという矜持を見せた。

 

 8月15日は終戦記念日だったが、昭和20年の終戦の日にも、山手線は走り続けたし、日本中の国鉄はみんな「敗戦ナニするものぞ」「オレたちから国を立て直すんだ」ぐらいの心意気で運転を続けていた。

 

 当時はJRどころか国鉄でもなくて「鉄道省」であり、山手線は「省線電車」と呼ばれたが、「敗戦だから計画運休」なんてことは全く考えなかった。

 

 それなのに、いったいどうしちゃったと言うんだ。8月14日から15日未明にかけて、東海沖に浮かんだ台風はどんどん勢力が衰えて、暴風雨圏だって消滅しつつあった。

 

「こだまに限定して15分に1本」ぐらいの臨機応変な措置が何故とれなかったのか。「何かあったら、何を言われるか分からない」「さわらぬ神にたたりなし」みたいな対応で、インフラが維持できると考えるんだろうか。

(富山から羽田経由で高知に到着。半年ぶりの高知・土佐電鉄を満喫する 1)

 

 実はワタクシ、あの8月16日の午前中に東京から京都まで移動したのである。台風はすでに日本海に抜けていたから、ワタクシは「ヒコーキなら、まず確実に大丈夫」と判断。羽田から大阪伊丹に飛び、伊丹からリムジンバスで、京都には予定通りの時刻に到着した。

 

 だって新幹線、コワイじゃないか。雨量を機械が判断して、いったん機械が判断したことは、人間の手動で解除することが困難。機械サマがギュッと厳しく停止させた鉄道網は、容易なことでは復旧しない。新幹線の中に閉じ込められたまま、機械サマが「よろしい」と頷いてくれるまで、5時間でも10時間でもウンともスンとも言ってくれない。

 

 その点ヒコーキなら、賢明な管制官の判断でウンとでもスンとでも言ってくれるのである。羽田で乗り込んだ10時発のヒコーキは、さすがに15分出発が遅れたが、11時すぎには伊丹空港に到着。伊丹からのバスも何の遅れもなしに高速道を快走、12時に京都に着いた。

(富山から羽田経由で高知に到着。半年ぶりの高知・土佐電鉄を満喫する 2)

 

 ところが8月16日の京都駅前は、もうすでに地獄絵図。あの日の京都も「危険な猛暑」であって、最高気温38℃、クーラーの効かない駅コンコースは、普通に歩いているだけであっという間に熱中症の危機を感じるほどだった。

 

 その京都駅が、新幹線の改札口から半径数十メートルにわたって身動きも取れないほどの大混雑になっていた。どうやら「入場制限」であって、ニュースサイトを開くと、名古屋でも新大阪でも事態は同じようなことになっているらしい。

 

 ワタクシの目の前で、一人の若者が気を失い、救急車で緊急搬送されていった。今井君はヒコーキとバスで無事に京都に到着、馴染みの串揚げ屋「孫兵衞」で、串揚げ10本ほどを平らげて元気も勇気も100倍、「さあ今夜は五山の送り火を眺めに行こう」「今日から京都5連泊♡」とウキウキしていたのであるが、そのウキウキ気分もこのアリサマで一気に吹き飛んだ。

(高知の宿泊は「ザ・クラウンパレス新阪急」。あまりにクラシックなホテルで、なかなか派手なかき氷を味わう)


 駅のアナウンスでは「HPで最新の情報をお確かめください」とマコトに冷たく繰り返す。名古屋でも新大阪でも、広島でも東京でも博多でも、みんな対応は同じだったらしい。しかしそのHP、アクセスが集中してマトモに見られない。

 

 せめてこういう緊急事態に備えて、1枚の大スクリーンを改札周辺に備えておくべきなんじゃないか。みんなが一人一人HPにアクセスするんじゃなくて、大きなスクリーンに必要な情報を全て掲示する、その準備ぐらいはしておくべきなんじゃないか。

 

 というか、とにかく情報が少なすぎる。普段は「お使いになったリクライニングは元へ」「車内で出たゴミはゴミ箱へ」「お子様の手を繋いでお降りになってください」というところまで滅多やたらに放送するくせに、いざとなるとピタッとほぼ全ての情報が停止する。これじゃインフラ完全に失格だ。

(はりまや橋から徒歩3分、「大黒堂」でカツオのタタキをいただく。オイシューございました)

 

 ま、そういうふうだから、どんどん信用を失う。少なくとも今のワタクシは「JR」が大キライだ。イヤだ&イヤです、ジェイアール。せめて名称だけでも「国鉄」に戻し、「我々は国民の生活を背負って立つインフラなんだ」という意地と矜持を会社名に込め直してほしい。

 

 だから7月21日、「富山から高知への移動」に際してワタクシが選択したのは、もちろんヒコーキだ。もし富山から高知まで鉄道で移動しようとすれば、金沢まで北陸新幹線、金沢から新大阪まで悪名高きサンダーバード、新大阪から岡山まで山陽新幹線、岡山から高知までJR四国の「南風」、乗り換えが3回あって、4つの列車を乗り継いでほうほうのていで高知にたどり着く。

 

 4つの列車のどれか1つでも何かあってみたまえ、たちまち猛暑の中の地獄絵図だ。情報を得ようとしても「HPでご確認ください」の一点張り。果ては払い戻しの長蛇の列が待っている。しかし何しろ出張先では公開授業が待ち受けている身。長蛇の列に並んで体力を消耗するわけにはいかないのである。

(高知・大黒堂でクロコダイルをいただく。西新宿「ローズ・ド・サハラ」以来、おそらく15年ぶりのワニ肉、オイシューございました)

 

 7月21日、ガーラガラの富山空港に到着したのが午前8時半。かつてはそれなりに繁盛していた富山空港も、北陸新幹線の開通とほぼ同時にガーラガラ、売店もレストランもほとんど消滅してしまった。JRには、このあたりの重い責任も痛感してほしい。

 

 致し方ないので、たった1つ空いていたホットドッグのお店に入って朝食をいただく。「富山ブラックサイダー」、オイシューございました。シンプルなホットドッグもオイシューございました。しかし何より、店を運営する富山の地元のオバサマ&オネーサマとの気持ちいい会話が楽しかった。

(高知「大黒堂」の春巻き。またまた揚げ物づくしになってきた)

 

 富山空港から、真夏の入道雲の間を縫うように飛行して、羽田まで1時間。羽田で1時間の乗り継ぎ時間があったが、新しくなったダイアモンド会員専用のラウンジが最高に気持ちいいので、乗り継ぎ時間は全く気にならない。那覇や福岡や伊丹のラウンジも、早く羽田と同じ形式に改修してもらえないだろうか。

 

 羽田から高知のフライトは、1時間半。ランチも出る。こりゃ楽チンだ。高知龍馬空港に到着、14時半。高知は今や何でもかんでも龍馬♡龍馬♡龍馬であって、こんなに龍馬だらけでは、当の坂本龍馬どんもさぞかしコソバユイだろう。

(高知「大黒堂」で、夢のように大きなサザエの壺焼きをいただく。オイシューございました)

 

 高知での宿泊は、「ザ・クラウンパレス新阪急」。昨年冬に宿泊した「ホテル日航 旭ロイヤル」が閉館になってしまい、今の高知である程度ぜいたく気分で泊まれそうなホテルを探したら、どうやらここだけのようだった。

 

 ま、あくまで出張だ。贅沢気分なんかを求める方が悪いのだろうが、いやはや何ともクラシックなホテル仕様に一驚を喫した。どのぐらいクラシックか、まあ宿泊してみなければ分からない。まさに昭和、昭和そのものが高知のど真ん中に今もなお健在、そういうスンバラしいホテルなのであった。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

3E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1

4E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.2

5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

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