Fri 230714 予備校の英作文指導/自由英作文にコメント/伊万里焼の里を訪問 4410回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 230714 予備校の英作文指導/自由英作文にコメント/伊万里焼の里を訪問 4410回

 予備校の英語講師をやっていて、「英作文」の担当になるほどシンドイことはない。どうしても春先、浪人生のクラスでも高校生のクラスでも、「添削してください」「添削してください」の嵐が押し寄せる。

 

 その嵐をどうさばくか、そこがマコトに難しいのである。たった1人の生徒の添削依頼に応じれば、他の生徒の依頼を拒絶するわけにはいかない。

 

 そりゃ当然「えこひいき」と言ふものであって、1人を受け入れ他の1人を拒めば、あっという間に「あの人はえこひいきだ」という取り返しのつかない悪評が定着する。

(7月6日、博多滞在中のワタクシは、伊万里の町を訪問 1)

 

 その場合、女子を受け入れ男子を拒否すれば、すぐに「ははあ、そういう人か!!」と言ふことになるし、ある女子を受け入れ他の女子を拒否したりすれば、その「ははあ!!」にはいろんな尾ヒレがつくので、「ウワサがウワサを呼ぶ」ことはもうどうにも止められない。

 

 だから、肝腎なのは最初の1人をどうキチンと説き伏せるかである。遥かなむかし、駿台の先輩講師が御茶ノ水本部校舎でまさにその「最初の1人」を見事に説き伏せるのを目撃した。

 

 正確には「最初のグループ5〜6人」だったが、グループ全員が賢かったのか、その説得はモノの見事に功を奏した。

 

「1クラスに200人、今日ボクの授業を受ける生徒だけで4クラス、合計800人だ。もし1人の添削を受け入れたら、残る799人の添削もしなきゃ不平等だ」

 

「不平等が最初から分かりきっている添削を、たとえ君たちだけにでも、して上がるわけにはいかない。ボク1人で乙会(仮名)みたいな添削会社を運営することになっちゃうだろ」。先輩講師の説得は、まあそんな内容だった。

(博多から長崎本線で有田へ。有田で松浦鉄道に乗り換える 1)

 

 あの時、まだ若き今井君は、あの大先輩を大いに尊敬したのである。何しろ講師は人気商売だ。ついつい人気のことを考え、目の前に「添削してください」と健気な若者が来てノートを広げれば、内心「困ったな」と思っても、「どれどれ、見せてごらん」の一言が口をついて出てしまう。

 

 しかし大先輩が言った通り、「もし1人を受け入れれば」、あの当時の駿台ならホントに1日で1000人近くになった。そのあと移籍した代々木ゼミナールだと、何しろ「全国同時生中継」と言ふものがあり、「サテライン」と名付けられた全国の受講生は、1コマで1万人を超えることも少なくなかった。

 

 その彼ら&彼女らが、郵便やら宅配便やらで「添削してください」とノートやら何やらドッサリ送ってくることになれば、もう収拾のつかない大混乱に陥る。「1人で乙会(仮名)」、まさにおっしゃる通りだ。

(博多から長崎本線で有田へ。有田で松浦鉄道に乗り換える 2)

 

 でもやっぱり、勇を鼓して「1人の添削に応じたら、収拾がつかなくなるだろ」と言ってみても、言われてスゴスゴ悲しそうな顔で講師室を後にする生徒諸君の後ろ姿を眺めていると、どうしてもホトケゴコロというかホダサレてしまうというか、「ちょっと待ちなさい」「今回だけだよ」「他の生徒には、言っちゃダメだよ」みたいな一言が飛び出してしまう。

 

 いや、30年以上昔のごく一般的な「和文英訳」式の英作文なら、くだんの大先輩みたいに厳しく突き放してもいいのだ。「授業で示した模範解答を、何度も何度も音読して、暗唱してしまうのが最も効率的な学習法だ」「別解もいろいろ示したはずだ。別解も音読して暗誦したまえ」そういう指導で何ら問題はない。

(博多から長崎本線で有田へ。有田で松浦鉄道に乗り換える 3)

 

 しかし1990年代、英作文の世界に「自由英作文」というカテゴリーが登場し始めると、「模範解答を音読して暗誦したまえ」では通らなくなる。「100語で書け」「150語で書け」の類いの設問を、まさか模範解答1つで押し切るわけにはいかないじゃないか。

 

 それを頑固に押し切ろうとしても、添削を求めて講師室に押しかけるたくさんの生徒諸君は明らかに不満顔。「添削はあきらめますが、せめて答案に目を通して、コメントだけでもしてください」と、滅多なことでは引き下がらなくなった。英作文担当講師の受難時代が始まったのである。

 

 それでも、代ゼミ時代の若かった今井君は果敢に英作文の特別単科ゼミを企画。冬期直前講習の「英作文完璧6時間」であるが、代々木本校でも名古屋でも横浜でも大宮でも池袋でも、あっという間に満員締め切りになった。

(博多から長崎本線で有田へ。有田で松浦鉄道に乗り換える 4)

 

 当時の代々木ゼミナールの教務課トップは、予備校史の中にもその名を残すビッグネームのオジーチャンだったが、さっそく心配顔で今井君のところにやってきた。

 

「昔から、英作文の講座というのはどこの予備校でも評判が悪くて、生徒が集まらないのが普通です」「今井先生が恥をかくようなことにならなければいいですが」とおっしゃるのだった。ま、そんな心配には及ばぬこと、「英作文完璧6時間」は、今井の長い歴史の中でも思い出に残る名講座になったと信じている。

 

 今井君の駿台最後の2年か3年、さらに代ゼミに移籍してからの数年は、まさに自由英作文が全盛期に入った頃だったので、「添削はしないが、答案に目を通してコメントするだけならOK」という方針にしたのである。

 

 ただし、「1回きり」とか「気が向いた時だけ」というのは許可しない。毎週必ず講師室に顔を出して、書いてきた自分の答案を見せる、そういう勤勉な生徒に限り、「添削はしないけれども、読んでコメントだけはする」という前提で受け入れることにした。 

(7月6日、博多滞在中のワタクシは、伊万里の町を訪問 3)

 

 そういう厳しい顔をすると、訪れる生徒の数はグッと限定されるものである。大昔、今井君の高校時代に「毎日必ず1枚デッサンを描いてくるなら、見てコメントしてやろう」とおっしゃる美術の先生がいた。もう何度もこのブログに登場している伊藤先生、名の通った画家でもあったが、英語講師になった今井君も、伊藤先生のマネをしてみたわけだ。

 

 駿台の頃には、そういう勤勉で熱心な生徒が毎年20人ほどの割合で、毎週コメントを求めにきた。代ゼミ時代になると、もう少し数が多くなったが、何しろ全国同時ナマ中継のサテライン授業だと、「コメントだけ」だとしても「不平等」「不公平」になってしまうのが申し訳なかった。

(伊万里駅から、タクシー20分ほどで焼き物の里「大川内山」に到着 1)

 

 今日の記事の写真を見ながら「どうして英作文の話が、有田や伊万里、焼き物の町と関係あるんだ?」と、多くの読者諸君が不思議に思っているに違いない。

 

 しかし諸君、そうやって「コメントだけでいいですから」と、毎週毎週欠かさず今井センセのところに答案を持ち込んだ熱心な生徒たちの中に、1人「伊万里」という名の生徒がいたのだ。確か駿台の頃だった。

 

 講師室に答案を持ち込む場合、ノートでもレポート用紙でも、いちいち自分の名前を明記したりはしないだろうと思うのだが、四半世紀前のその女子生徒は、必ず「○○伊万里」と几帳面な楷書で答案の一番上に記名して持ってきた。

 

 その「○○」のところは忘れてしまった。何しろ大昔のことだ、もうすっかり立派な大人になられただろうと思うが、姓名の姓の部分はごく当たり前の姓、特に記憶に残るような珍しいものではなかった。

 

 しかし、おそらくファーストネームであろう「伊万里」、これはやっぱり珍しいから、自由英作文にコメントするついでに「伊万里さんというのは、本名なんですか?」と尋ねたことがある。

 

 別にそれ以上会話も弾まずに、「はい」「そうですか」で会話は途切れ、しかしそれからも毎週必ず「○○伊万里」と書かれた答案を、講師室の今井センセのところに持ち込んできた。今や完全に収録授業だけのワタクシにとっては、マコトに懐かしい思ひ出なのである。

(伊万里駅から、タクシー20分ほどで焼き物の里「大川内山」に到着 2)

 

 ワタクシはものすごい晴れ男であるらしくて、大牟田での公開授業の時もそうだったし、博多滞在中にふと暇が出来たので、伊万里と有田に小旅行をしてこようと思い立ったこの時も、前日までの集中豪雨がウソだったかのように空は青々と晴れ、気温も止めどなく上昇していった。

 

 先週の長崎でも、そのあとの広島でも、やっぱり晴れ男ぶりは健在。前日まで大きな被害が出そうなほどの豪雨が降っていても、ワタクシが滞在している間だけはピッタシ雨が止む。そしてワタクシが立ち去るころに雲行きが怪しくなって、また元の梅雨末期の雨が始まる。

 

 ウソだと思うなら、「7月3日から7月13日までの11日間、大阪・沖縄・福岡・長崎・広島と旅を続けた今井が、一度も傘をささなかった」「1滴たりとも雨粒の洗礼を受けなかった」という事実を考えてみたまえ。このウォータープルーフぶりは、晴れ男以外の何者でもないじゃないか。

(伊万里駅から、タクシー20分ほどで焼き物の里「大川内山」に到着 3)

 

 博多から特急「みどり」に乗って、長崎本線・有田の駅に9時半の到着。有田で松浦鉄道に乗り換え。深緑の山、清冽な川の流れ、おおこりゃあまりに懐かしい、夏休みにバーチャンの家に向かう途中の嬉しすぎる風景だ。

 

 伊万里に到着、10時半。伊万里駅前からタクシーで20分ほど、伊万里焼の里として有名な「大川内山」にたどり着いた。空は青く晴れわたり、気温はおそらく35℃近くまで上昇して、焼き物の里に人影は稀だった。

 

 というか、どの店も「自主的に店を閉じている」という感覚。ちょうど「風鈴祭り」の開催中だったので、焼き物屋がつづく長い坂を登っていくと、無人の店の軒先で、伊万里焼きの白い風鈴が爽やかな音を立てる。店の奥に人の気配はあるが、この油照りの猛暑を避けて、奥で涼んでいらしゃるに違いない。

(伊万里駅から、タクシー20分ほどで焼き物の里「大川内山」に到着 4)

 

 静まり返ったこの町で、高いレンガの煙突に「青山窯」と白い文字を記したお店に入ってみた。たいへん上品に迎えてくれたのは、もの柔らかな言葉遣いに凛とした気品のある、10年先の今井君のお手本にしたいようなご婦人だった。この店もまた風鈴祭り。白地に美しい赤や青をあしらった数々の風鈴が、店の中のほのかな風に揺れていた。

 

 風鈴祭りは、8月31日まで。半月後の7月29日には、この伊万里の里で「ボシ灯篭まつり」が開催される。「鍋島焼協同組合」のHPによると、ボシとは本窯を焚く時に焼き物を入れる耐火性の器。ボシを灯篭に見立ててライトアップするんだそうな。19時点灯とのこと。近くの人は、出かけてみるといい。

 

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 1/3

2E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 2/3

3E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3

4E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

5E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 2/2

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